ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第540回】スポーツセンターの分布

 本来はもっと早くアップしたかったのですが、出来なかったのにはわけがあります。それは次号のGスピリッツVol.61の表紙の校了をずっと待っていたからです。残念ながら表紙は公開は金曜日以降になりそうなので、とりあえず、待ちながら書いていたものをアップすることにしましょう。

先週は日本最東端の根室市青年センターについて書いたけど、随分、間違いがあったので訂正しておこう。国際プロレスは73年4月24日にもここで試合をしていた。『ダイナマイト・シリーズ』第4戦。メインは草津vsラーズ・アンダーソン。もししたら金網だったかも…。セミはラッシャー木村&マイティ井上&寺西勇vsマッドドッグ・バション&イワン・コロフ&ターザン・タイラー。6日前、土浦での開幕戦でバション&コロフは草津ストロング小林からIWA世界タッグを奪ったばかりだった。偽ロシア人のコロフは71年6月に日本プロレスでブラッシーたちとここへ来ているので2度目。「ああ、ここ来たことある。ソ連に一番近い所ただ」と言ったかどうかはわからない。

 この6人タッグの下が小林vsエドワード・カーペンティア。この2人は3日後の仙台でIWA世界ヘビー級選手権を懸けて戦うので、これはそれを想定したお手合わせだった。カーペンティアの来日は2度目でアルバート・ウォール欠場の代打。その下がマスカラス初来日時に来たボブ・ラムステッド。相手は田中忠治。さらにその下が西ドイツから凱旋したばかりの大磯武がザ・カナディアン(正体はバスター・マシューズ)と対戦。目新しさはないが、味のある実力者たちが揃ったシリーズである。小林は最終戦の大宮スケートセンターでコロフを破ってIWA世界王座の21度目の防衛に成功し、Nさんとの婚約を発表したが、その後解消されている…。

 それと先週、81年8月9日の羅臼でマッハは試合をしなかったと書いたが、これも大間違い。マッハは羅臼で寺西と試合をしていました。黄色い蜘蛛の巣のマスクでね。『国宝級マスク研究』で、写真まで載せて書いたのに、もう忘れているとは情けない。

81年8月8日の根室にバニー・キャロルも出現。客の目線が泳ぐ。

 それともう一つ。先週、根室に新日本は来ていないと書いてしまったけど、来ていました。見落としていました…。それは84年7月14日、『サマー・ファイト・シリーズ』第13戦。前々日が中標津で、前日が帯広で、翌日が釧路というコース。恐らくこの根室大会は、釧路のプロモーター、垂水勘兵衛さんが噛んだ興行ではないかと思われる。昭和新日本の根室は、この1回のみ。メインがアントニオ猪木&坂口征二&木村健吾vs長州力&アニマル浜口&谷津嘉章。セミが藤波辰巳vsリック・オリバー。他にデビッド・シュルツ、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、カネック、バッドニユース・アレン、マイク・デービスらが来ていた。シュルツ以外は常連メンバーでフレッシュさに欠いた。国際の吉原功元社長が新日本の顧問として入ったのは根室大会の6日前のことである。

 青年センターは明治100年事業の一環として青少年育成の拠点として全国展開した施設で、中標津町、滝川市、江別市、芦別市など道内に多く見られ、プロレス会場としても利用されてきた。それよりも北海道に多く見られるのは「スポーツセンター」という会場名だ。天塩町ファミリースポーツセンター、名寄市総合スポーツセンター、紋別スポーツセンター、留萌スポーツセンター、岩見沢市スポーツセンター、美幌町スポーツセンター、置戸町スポーツセンター、遠別町スポーツセンター、富良野市スポーツセンター、温根沼スポーツセンター、雨竜町スポーツセンター、鵡川町スポーツセンター、浦河町ファミリースポーツセンター、千歳市スポーツセンター、苫小牧市王子スポーツセンター、様似町スポーツセンター、陸別スポーツセンター…ざっと数えて17もある“センター”だけなら札幌・中島体育センターや北見市トレーニングセンターなどもあったけどね。中島はスポーツセンターと表記されていた時期もあった。

今年5月に訪れた美幌町スポーツセンターはそろそろ寿命か…。

 スポーツセンターを全国視線で見てみよう。“内地”とは北海道から見た本州を指す。内地では北から黒石市中央スポーツセンター(青森)、鹿角記念スポーツセンター(秋田)、仙台・宮城県スポーツセンター、宇都宮スポーツセンター(栃木)、水戸・茨城県スポーツセンター、土浦スポーツセンターと大須スポーツセンターも茨城県、前橋・群馬スポーツセンター、多摩スポーツセンターと東村山市民スポーツセンターは東京都、戸田市スポーツセンター(埼玉)、諏訪湖スポーツセンター(長野)、名古屋・露橋スポーツセンター、大垣市スポーツセンター(岐阜)、能登川町スポーツセンター(滋賀)、大阪臨海スポーツセンターと伊丹スポーツセンターは大阪府、神戸市平和スポーツセンターと洲本市スポーツセンターは兵庫県、阿南市スポーツセンター(徳島)、中村市スポーツセンター(高知)、竹原市スポーツセンター(広島)、防府スポーツセンターと美祢スポーツセンターは山口県、福間町厚生年金スポーツセンター、福岡スポーツセンター、久留米市スポーツセンター、佐賀スポーツセンターは福岡県、本渡市スポーツセンター(熊本)…。ざっくり数えて昭和でプロレスに使われた会場では29。あったというより、29しかなかったというべきか。29:17…内地と比較すると、北海道にスポーツセンターがやたらと多いことがわかる。

では、なぜ、北海道は「体育館」とほぼ同数の「スポーツセンター」が存在したのだろうか。道民には「体育」でなく「スポーツ」、「館」ではなく「センター」としたほうが垢抜けて響いたのだろうか。まさかクラーク博士の教えではあるまい。日本人が運動とか体育ではなく、スポーツという名称に親しみ、強い意識を持ったのは1964年の東京オリンピックを前後にしてのように思える。そして続いて72年の札幌五輪を迎える…道民の意識は体育よりもスポーツへ移行していたのでは…。道内のスポーツセンターは、こうした転換期に作られた施設だからなのではないかと思われる。岩見沢出身のアナタはどう思いますか――。

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