ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第541回】若獅子前夜のヤングライオン

 お待たせしました。GスピリッツVol.61の表紙を公開しましょう。今なら、かなりパワハラなシーンといえるが、逆にこの時代そのものをよく表した衝撃のワンカットである。

 そして今回の特集は『日本プロレス時代の猪木』。その気になる中身を紐解いてみよう。Gスピリッツでは、今までにもアントニオ猪木の特集をいろんな角度でやってきたが、今回は間口を広げて、デビュー戦から海外武者修行に出るまでの若手時代を最初に取り上げてみた。かく言う私もさすがに若手時代の猪木さんを観てない。だが何事も、「知らないから…」といってスルーしては駄目だ。「知らないから、知りたい、知らなくてはならない」。それが私のモットーであり、Gスピリッツの愛読者諸君にも、そういう気持ちでいろんな歴史と向き合ってほしいと願う。

 巻頭の「猪木寛至~アントニオ猪木 1960-1964」では、これまで検証されて来なかった猪木さんの若手時代を徹底考察している。そこには今まで見えていなかった若獅子以前の若獅子の姿が浮かび上がってくる。力道山はブラジルから連れて帰ってきたこの若者にプロレスラーとしてどんなポジションを与えて使い続けようとしたのか、そこに日本プロレス界の未来は見えたのか…。当時を知らないプロレスファンにもわかりやすい形で、日本プロレス内での猪木寛至~アントニオ猪木を掘り下げた必見の考証である。

 インタビューは百田光雄と戸口正徳の2本。百田さんには“オヤジ”力道山の付き人を務めていた兄貴分「寛ちゃん」との交流、同居していた他の日本プロレスの選手、関係者たちについて興味深い話をお聞きしている。次にスポットを当てたのはアントニオ猪木が東京プロレスから復帰した1967年から1971年の日本プロレス追放まで…。私がプロレスに対しても、アントニオ猪木に対しても、一番燃えた、一番大好きな時代である。いわゆるその「BI黄金期」を最も長くリング下で目撃してきた生き残り戦士が戸口さんだ。この4年半に及ぶBI時代の最中、アントニオ猪木はどのように戦って自らのポジションを上げたのか。今まで一度も検証されて来なかった方法を駆使してBIの比較論を展開させる。戸口さんのインタビューはいつものことながら私が担当した。

 連載では大塚直樹さんに1980年の新日本の営業裏話をたっぷりお聞きしている(今回もかなり濃いよ)。

そしてリキレストランの料理長だった高梨正信氏にもお話を聞く。前編では信州から出てきた高梨少年が力道山にスカウトされてメインシェフになっていく過程と、知られざる“プロレスの殿堂”リキ・スポーツパレスの全容を解明する。

「アリーバ・ルチャ・リブレ」はクン・フー&カト・クン・リーの下編。再会と抗争を経て日本へ…そして永遠の別れまでを綴った完結編である。

今日はサラリとここまでかな…。他のコンテンツはオフィシャルサイトをご覧あれ。

 発売日は来週、29日(水)だよ。お楽しみに!

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