“三浦(勝男)さん、観たかい。井上尚弥vs中谷潤人の素晴らしい攻防を…”。5月2日、東京ドームの四団体統一スーパーバンタム級タイトルマッチは、世紀の一戦にふさわしい名勝負だった。
“精密機械”沼田義明vs“雑草”小林弘による日本人初の世界タイトルマッチ(1967年12月14日=WBA・WBC世界ジュニアライト級選手権=蔵前国技館)を観てから60年近くボクシングファンであり続け、こういう歴史的な日を迎えられたことを幸せに思った。三浦さん(ゴング元メキシコ通信員、ボクシングビート誌米国通信員)は、私と同じ歳なのに「THE DAY」に到達できずにこの世を去ってしまった…。さぞかし無念であろう。三浦さんなら、どんな観戦レポートと後追いの情報を書いただろうか。

翌3日は忙しい一日だった。朝7時からモハメッド・アリの故郷、ケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場でのケンタッキーダービーが生中継された。観衆は15万人強。日本馬のダノンバーボンは直線半ばまで先頭だったが、5着に沈む。勝ったのは米国の穴馬ゴールデンテンポ(私の馬券は外れた)。朝8時からはセントルイスでのドジャースvsカージナルスを観戦。大谷クンは無安打で、ドジャースは連敗する。そして朝9時から、ネバダ州ラスベガスのT-モバイル・アリーナからのボクシングのビッグショー「シンコ・デ・マヨ」が生中継された。三浦さんも大注目していたはずだ。なにせ、メキシカンが主役の大会だからね。それにしてもケンタッキー、ミズーリ、ネバダと、アメリカから次々に生の映像が送られてくる…恐ろしい時代になったものだ。ちなみに午後はベガスから京都へ飛んで天皇賞(春)…(脳みそを使い過ぎて、さすがに疲れたよ)。

話をラスベガスに戻すと、メインはヒルベルト“スルド”ラミレスvsダビッド“エル・モンストル”ベナビデスのWBA・WBO世界クルーザー級タイトルマッチ。“シンコ・デ・マヨ”(5月5日の意味)とは1862年の同日、メキシコ軍が50年間不敗といわれるフランス軍に勝利した歴史的な戦勝記念日である。その戦場となったのは、プロレスファンならば一度は耳にしているプエブラ州プエブラである。11年前、マスカラス兄弟やカネックなどのマスク職人として有名なアレハンドロ・ロドリゲスの工房に行くため、プエブラを訪れた時のこと…。アレハンドロはバスステーションまで車で迎えに来てくれた。彼は市内を運転しながら「あの丘にイグナシオ・サラゴーサ将軍が布陣して、兵力で倍近く違うフランス軍を迎え撃って勝利したんだ」と熱心にプエブラ会戦の様子を話してくれた。アレハンドロのようなポブラーノ(プエブラの人)にとって、ここは関ヶ原のような古戦場か、はたまた日本海海戦(無敵のバルチック艦隊を撃破して日露戦争の勝利を決定的にする対馬沖の海戦)のような誇らしい場所なのだろう。彼の解説はかなり熱を帯びていた。今年も9月にまたプエブラへ行くので、ツアーに参加される方は、そういう視点でこの街の風景を眺めてもらいたい。

5月1日のメイデー(ディア・デル・トラバッホ)は休日だが、愛国的な記念日とはいえ「シンコ・デ・マヨ」は国民の休日ではない。戦場となったプエブラ市は祝賀祭で盛り上がるのだが、それ以上に熱くなっているのが“ボクシングのメッカ”ラスベガスだ。5月5日に近い土曜日の夜、1990年代から毎年、ベガスでビッグショーが打たれてきたのである。プロレスで言うならば『レッスルマニア』のような恒例のスーパーイベントだ…。メインに登場する選手は通常メキシカンが中心になるのだが、フロイド・メイウェザー(米)vsパッキャオ(比)のような時もあった。昨年はメインで井上尚弥vsアラン・ピカソ(メキシコ)が組まれたが、ピカソの父親がモンスターの強さにビビってキャンセルとなる。メキシコ系アメリカ人(サンアントニオ生まれ)のラモン・カルデナスが代打で井上と対戦した。アメリカに住むメキシコ人は多い。このカルデナスのように、テキサス州では人口の34%がメキシカンだ。カリフォルニア州も32%、ニューメキシコ州は31%、アリゾナ州は28%、ラスベガスのあるネバダ州は22%弱がメキシカンなのだ。続いてコロラドの16%弱。これらの州は米墨戦争以前、メキシコの領土であった。ユタ、アイダホ、オレゴン、ワシントンなど米国北西部の州のメキシカンは10%強で、米国中部や東部はそれ以下となる。ただし、メキシカンのコミュニティが発達したシカゴのあるイリノイ州は14%弱と多い。サングレ・チカナの生まれはメキシコ(コアウィラ州パレドン)だが、シカゴで育った。メキシコに土着する者からすると、祖国を捨ててアメリカへ行った者を売国奴として蔑むような時代があった。そういうメキシコ系アメリカ人を純血メキシカンは「チカノ」「チカナ」と呼び、それはルチャのルードの世界に長く残ることとなる。

今年のシンコ・デ・マヨの主役で“メキシカンモンスター”と呼ばれるベナビデスもメキシコ系アメリカ人である。時代が違うのでメキシカンたちにも人気が高い選手だ。親はメキシカンだが、生まれはアリゾナ州フェニックス。あのゴリー・ゲレロ(チャボやエディらの父)もアリゾナ生まれのメキシカンだった。対戦相手のヒルベルト・ラミレスは太平洋岸にあるシナロア州マサトラン出身。ここ出身の有名なルチャドールはいないが、カンチャ・ヘルマン・エベレスというルチャ会場があって、83年頃からUWA系の興行をしていた。調べてみたが、ここで主要なタイトルマッチは行われていない。カルロス・マイネス2代目UWA代表が私にこう言った。「メキシコで一番素晴らしいリゾートはマサトランだよ。機会があったら行ってみなさい」と勧められたのを思い出すが、未だに実現していない。現在もこのカンチャ・ヘルマン・エベレスというアレナは使用されていて、去る4月にはCMLLとAAAがそれぞれ興行を打っている。また同じシナロア州のグアムチル市からは元WBC世界スーパーフライ級王者のカルロス・グアドラスが出ている(昨年11月に坪井智也にKO負け)。また同州のクリアカン市からは偉大な父を持つ元WBCミドル級王者フリオ・セサール・チャベス・ジュニアが出ている(麻薬密売で逮捕)。父の三階級制覇の名王者フリオ・セサール・チャベスは、米国の試合で「クリアカン、シナロア」とコールされていたが、実際はソノーラ州シウダ・オブレゴン出身だ。現在ルチャのコミッション代理で国際プロレスやユニバーサル・レスリング連盟に来たランボーこと(ホセ・ルイス・メンディエタ)も同じシウダ・オブレゴンの出身である。

さて「シンコ・デ・マヨ」のメイン…王者のラミレスは中谷のように右目に被弾。挑戦者のベナビデスが高速連打を浴びせて6回TKO勝ち。スーパーミドル、ライトヘビーに続いてクルーザー級を奪取して三階級制覇を達成した。ボクシングの場合、ライトヘビー級(79.38kg以下)からクルーザー級(90.72kg以下)は、他のクラスが約2~3キロ刻みに上がってきたのに、何と約11キロ以上も一気に跳ね上がるのだ。そんなウェイト差を克服しての勝利だった。5日発表の“パウンド・フォー・パウンド”のランキング(ザ・リング誌制定)によると、2位だった井上は1位に返り咲き、6位だった中谷は1つ順位を落とし、7位だったベナビデスは5位にまで上昇した。それにしてもメキシカンボクサーは、いつからこんなに大きくなったのだろうか…。日本でのシンコ・デ・マヨは、飛鳥山公園でメキシコ系イベントが行われたらしく、いたばしプロレスもそれを意識した興行をしたらしい。さて私にとっての“シンコ・デ・マヨ”は、幼少時代から通い続ける故郷・白金台の清正公(せいしょうこう=覚林寺)の大祭(5月4日・5日)だ。菖蒲入りのお守りが有名で、猛将・加藤清正にあやかり「勝負に勝つ」という意味が込められている。息子とフィアンセと現地合流して勝ち運祈願をする。何の勝負に勝つことを祈ったのかは秘密にしておこう…。