ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第570回】新しい顔 (1)

 先週の土曜日、「闘道館」でビバ・ラ・ルチャVol.44『マッハ隼人復活祭』は満員御礼の大盛況。来て頂いた方たちには満足していただける中身になったかと自負しています。ファンを大事にしてきたマッハさんの人柄がこれだけ多くの人を呼び寄せたくれたのだと…改めて故人に感謝したいです。たくさんの資料を提供していただいた鹿児島のマッハさんの弟さんにも、この場をお借りして感謝申し上げます。きっと天国でマッハさんも喜んでくれていると思うな。

「マッハ復活祭」はマッハ信者でいっぱいに。

今回は時系列で、マッハさんの知られざる少年時代、会社勤めの時代からの旅立ち…メキシコ、グアテマラ、パナマ、ロスを経て国際プロ参戦・崩壊までの動向を検証したわけだけど、終了後、「全日本やUWFのことをやってほしい」という声を耳にした。私としては最初から「1回完結」のつもりで臨んでいたけど、そういう意見が1人、2人ではないと知って考えさせられた。今回も国際時代を知らないファンの方が多く来られていて、全日本、UWF時代に憧れてファンになった方が多くいるということをスルーしていたんだよね。マッハ・ファンの中にもそうした幅があったのか…。“う~ん、それならば『マッハ隼人復活祭2』をやってもいいかなあ…”と呟く。マッハさんは国際崩壊後、メキシコ、カルガリーで試合をしているし、UWF引退後のロスでの生活も、30年以上あったわけだから、面白くなるかどうかは別として、続編が出来ないわけではない…。もう一度熟考するので、暫しお待ちあれ…。

さて、私は3月末から2週間、近江(滋賀県)、若狭(福井県)、丹波(兵庫県)、丹後(京都府)、但馬(兵庫県)、伯耆(鳥取県)、美作(岡山県)の山城を毎日毎日、早朝から夕方まで登っていました。その際、鳥取の山中でひらめいた。「2年4ヵ月ぶりのトークショーだからマスクも新しいものにしよう」と。前回のブルーのシルク地のマスクは昨年2月に亡くなった友人の加藤賢さんの作品。加藤さんにはこれまで4枚(緑・茄子紺・紫・青)作ってもらった。だから私は自分の顔の作者を失ったことになる…。

金2つがアンヘル・アステカ製。加藤製の1号マスクは緑。

ドクトル・ルチャのマスクは2004年にアンヘル・アステカに、続いてアレハンドロ・ロドリゲス(プエブラ)にも発注したのが始まり。「ドクトル・ルチャ」を週刊ゴングの中でキャラクター化するための企画だったけど、慌ててデザインしたので、アイディアが完全に固まる前に発注してしまった。あのメキシコの地図入りマスクは、かつてロスマットにいたザ・テキサスというマスクマンのテキサス地図をヒントにしたものだが、正直、自分でもあれは失敗作だと思っている。その上、採寸もしてないから、きつくて被るのが大変。

右から加藤製の2号、3号、4号マスク。

デザインを一新するきっかけは、私のトークショーでデザインコンテストをやった時のこと。その結果、L・U・C・H・Aの文字が顔の縦に並ぶ、岡田(清二)くんのデザインが当選(原画そのものはチープだった)。それをベースにしてデザイン化する。UとCを蹄鉄にするのは私のアイディアで、マスクの作りを請け負った加藤さんがLを馬、Hをアギラ(鷲)、Aをピラミッドに図案化。初回作の配色でメキシコ国旗のカラーにするのは私の希望で、側面のデザインと素材は加藤さんにお任せだった。その後は加藤さんの気が向いた時に新作が生まれ、代を重ねていく。その4代目の青シルクのマスクは私の一番のお気に入りで、目鼻立ちがやっと固まった感があった。目の蹄鉄部分は有名なテキーラ「エラドゥーラ」のロゴの実物大(加藤さんならではのグッドアイディアだ)。ただ2016年から6年間も使い込んだ青シルクのマスクなので、さすがにくたびれていた。それで、そろそろ加藤さんに新作を頼もうと思っていたら、突然他界されてしまった…(残念無念)。

 では、誰に新しいマスクを依頼するか…。親しくさせてもらっているマスカレーロ(マスク職人)たちが次々に脳裏に浮かんだが、最終的に私がオファーしたのはSollunaの林雅弘くんだった。96年にレイ・ミステリオが2度目の来日をした頃からの長いお付き合いである。あれから26年間、彼は「世界のミステリオ」のマスクを作り続け、今日に至る世界屈指のマスカレーロとなる。彼が編集したマスク本では執筆の協力をさせてもらったし、出版イベントもやった。2017年の『LUCHA EXPO』(クリスチャン・シメット主催)ではヘラルド・ブシオとの初共作のミステリオの公開マスク作りに、私も超微量のお手伝いをさせてもらった。林くんとは彼が尊敬する師アレハンドロのプエブラの家にも泊りがけで行ったし、グアダラハラ、レオンも一緒に旅をした。最近ではdrlucha.comの制作とインスタグラム、さらにはこのコラムの毎週の更新にもSOLUCHAスタッフの井浦さんに大協力をお願いしている。今やSOLUCHAはドクトル・ルチャがこの世に生存し続けるための大事な「西の頭脳」となっている(超ありがたや!)。

林雅弘くんとヘラルド・ブシオ・クルスと。

ただ昨夏にドクトルマスクを林くんにオファーした時は「それは勘弁してください」と冗談まじりに断られる。考えてみてほしい。今まで私のマスクを作った3人のマスカレーロたちは3人全員天に召されているのだ…。それも天寿を全うすることなくである。でも、今回私は鳥取の山奥から再度、彼に電話してみる。ちょうど『レッスルマニア38』(テキサス州アーリントン)へ行って、帰って来たばかりで時差ボケしていたのだろうか…林くんは私の再オファーを快諾してくれた。

“林くんがOKならば…”と、岡山の山中で、ひらめいた次のアイディアは、“ミステリオのテーストを入れて、側面のアギラ(鷲)の部分にカバージョ(馬)を走らせたい”だった。採寸もしてほしいし、これはもう直接行くしかない。私は山城登山を32城で打ち止めにして、津山から神戸へ車を走らせSOLUCHA城へ…。

コロナ禍もあって、林くんとは約3年ぶりの生再会。それでさっそく、採寸から。すると林くんが言った。「清水さんの頭、アレハンドロが使っていたマスカラス用の型、そのままで行けそうですよ。ベースは何色の生地にしますか」。私は6年間、青だったので、そのイメージを定着させるために再び青を選んだ。昔のエストレージャたちは基本カラーが不変だった。たとえばサントは銀、ソリタリオは金、ブルー・デモンは自分でブルーと謳っているけど、ウラカン・ラミレスも、アニバルも、リスマルクも、青は青…。彼らは一生、マイカラーを押し通した。「青ですか。じゃあ、青のゴムラメにしましょうか。濃い色の青と、薄い青とどっちのゴムラメにしますか」。出された2つのゴムラメはどちらも今では超が付く貴重品。何でこんなもの持っているの!と驚く。ウウウっと唸った後に「濃い方」と決めた。林くんはマスカラスの型紙を元にして、薄緑色の生地で、仮のマスクを縫い始めた。「いきなりゴムラメを切るのはさすがに怖いですからね」。その仮マスクを被って目、鼻、口の位置と被り具合を入念にチェックされる(きつめで圧迫感があったけど、フィット感を出すためにと思い、我慢、我慢…)。

林くんがドクトルの仮マスクを縫い出した。

馬のデザインも林くんにお任せにしようと思ったけど、手持ち無沙汰の私はミステリオのマスクを横に置いて、「こんな感じかなあ」と、馬の絵を描き始めた。ミステリオのアギラの反り具合に似せた馬をいくつもデッサンする。“んっ、これをそのまま採用するの!?”。反り返る馬を何回も何回も描いたが、上手くいかず、林くんから何度も駄目だしを食った。「いいですね、それ」、2時間後、やっとOKが出ると、林くんはそれをハサミで切って、型を作り始める。自分のマスクとはいえ、ここまでマスク作りに参加したのは始めてだった。完成は先だけど、だいたいの目途が付くまで約7時間を要した(この後、深夜に横浜まで車で走る)。次号では目途が付くまでの工程とトークショー前日に完成するまでの過程を書きたい。

馬の絵を何度の何度も描き直しました。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅