ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第539回】日本最東端のプロレス

 久々にコラムを書いてみることにしました。コラムがストップしたのはオリンピックが始まる頃だったかな。最後に書いたのは羅臼の話。国際プロレスが羅臼で消滅してから40年目だったからね。コラム消滅?に引っかけて今年5月に羅臼を訪れた旅の思い出を綴りました。今日は国際プロレスが羅臼の前日、ラス前に行った根室について書こうと思います。実は私も今年の旅で羅臼の前には数日根室に滞在していたんです。日本百名城No.1の「根室半島チャシ群」を調査するためです。

日本最東端の納沙布岬。

 取材の合間に、日本最東端の納沙布岬に超久しぶりに行きました。北方領土は目の前です。ここに来たのは北海道へバイクでツーリングして以来、実に46年ぶり。知床は何度も行ったけど、根室は私にとって懐かし過ぎる最果ての地です。力道山時代には釧路市まで来ていても、それより東の根室までは足を伸ばしていない。羅臼は町だけど、根室は市だからね。根室は北海道の中で「プロレスがなかなか来ない市」といえる。

  私も根室のプロレス会場である根室市青年センターへ行ってみた。想像した以上に立派な建物で、中も広めの体育館で、それが昔のまま現存していた。プロレスでの初使用は71年6月2日、日本プロレス『ゴールデン・シリーズ』第8戦。メインは馬場&大木&吉村vsフレッド・ブラッシー&イワン・コロフ&ダッチ・サベージの6人タッグ(偽ロシア人?のコロフは北方領土からのスパイか…)。セミが猪木vsターザン・バクスター。その下ではブラック・ゴールドマンとエル・ゴリアテも出ている。彼らは日本の最も東に来たメキシコ人ということだ。その2つ下ではダニー・ホッジが安達勝治を破っている。日本プロレスが根室に来たのはこの1回だけ。

現存している根室市青年センター。

  国際プロレスが最初にここを使ったのがその翌年。72年5月20日。北海道だけで10戦だけやった『ワールド選抜シリーズ』の最終戦。ここにはモンスター・ロシモフ、ジョージ・ゴーディエンコ、ティト・コパが前シリーズから残留していた。アンドレもこの最東端の地にやって来ていたんだね。最東端だけあって陽が登るのが早い。私が今年行ったのはゴールデンウィーク後だったが、日の出が午前4時だった。だから3時半くらいにはかなり明るくなる。夜更かしすると睡眠時間が短くなってしまう。6月なんか日の出が午前3時40分だよ。

  さて、次の根室大会は76年4月27日、怪しい覆面レスラーばかりが5人も来た『ダイナマイト・シリーズ』。メインはラッシャー木村&田中忠治vsザ・スコーピオンズ。このサソリ仮面はメヒコのロス・エスコルピオネスではなく、正体はチン・リーとジェリー・クリスティというカナダチーム。セミはマイティ井上vsジ・アンダーテーカー(ハンス・シュローダー)。AWAとの提携路線が打ち切られて2年目、カルガリーの大剛鉄之助支局長から送られてくるガイジンの底が見えてきた時期だった。

81年8月8日の国際はご覧の通り満員に近い入り

  この年の8月24日に全日本が初めて根室へやってきた。メインではボボ・ブラジル&タンク・パットンが馬場&高千穂を破っている。セミは鶴田vsザ・ウルフマン。その下でサムソン・クツワダがテッド・デビアスに勝っている!この頃にデビアスはトライステートでトップだったのに、この頃はクツワダを売り出していたんだなあ…。

根室でV3に成功したマイティ井上&阿修羅・原

  そして81年8月8日の国際プロレス。これは現地では8月6~9日の「港まつり」の一環として行われた大会。メインは井上&阿修羅・原vsジェリー・オーツ&テリー・ギプスの金網ありのIWA世界タッグ。これは「国際最後のタイトルマッチ」という以前に、日本プロレス史上最も東で行われたタイトルマッチであり、デスマッチであるということだ(そう凄んで言ってみても、何か虚しさも感じる)。セミがラッシャーvsジ・エンフォーサーで、木村がグラウンド卍で勝利している。その下がジプシー・ジョーvs鶴見五郎。マット隼人vs高杉正彦もあった。マッハは翌日の羅臼は試合に出ていないので、これが国際最後の試合となった。

  今日は久しぶりなので、このへんで…。GスピリッツVol.61(29日水曜日発売)も校了が近いので、次回のコラムでは、誌面の予告が出来るかもしれない(来週には表紙、特集、コンテンツが公表されます)。コラムを毎週書くかどうか気分次第だけど、また以前のようにたくさんの人たちに読んでもらえれば、頑張りたいと思う。更新されているかどうか、また覗いてみてください。

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