ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

津山のプロレス(2)

先週は岡山県津山市とその周辺の中国山地のプロレスについて書いた。その中で解けない謎が多くあった。前回の配信後、ありがたいことにいろんな方からいろんな調査報告が届き、少しずつ謎が解けて来た。まず、国際プロレスが1970年3月23日に「津山市体育館」で興行を打ったという表記。私は最初、岡山市津山の県営体育館の誤記ではないかと思った。岡山市在住の梶谷晴彦氏が「県体育館のある場所が津島と言うんで、津島体育館と呼んでいる時期がありました。現在、跡地はテニスコートですが」と教えてもらったのを思い出したからだ。それが津島と津山で混乱する原因にもなっていたからだ。すると稲村行真さんが70年当時のパンフを見て「その日の大会は津山市鶴山公園特設リングですよ」と教えてくれた。つまりそこは新日本が74年4月に使用した鶴山城の北にある「津山球技場」と同じ広場である。岡田清二くんの調べによると、津山城内にあったこの球技場と動物園は98年からの史跡保存整備の一環で撤去されたとのこと(私はその動物園へ行ったことがある)。つまり76年12月の総合体育館完成前の津山市に体育館はなく、プロレスは野外でやっていた…これが正解のようだ。私が今回入手した「津山市の体育施設」というパンフを見ると、市内に点在する現存体育館の中で一番古いのはやはり津山市総合体育館であった。

76年撮影の津山城航空写真。上の白い部分が球技場。

また78年4月27日の国際初の津山市総合体育館。ここのメインのマイティ井上vsジプシー・ジョーは「金網ではない通常のシングル戦でした」と、稲村氏からのご指摘を受けた。改めてそこを調べてみると、その『スーパー・ファイト・シリーズ』、ラッシャー木村vsジプシー・ジョーのIWA世界戦が決まっていたのにマイティが横槍を入れ、井上vsジョーで挑戦権をかけて戦うこととなった。4月11日の高崎での初戦は無効試合に、そしてこの27日の津山での再戦で井上勝利。それゆえ5月1日富士市で木村にチャレンジすることになった。この津山大会はテレビ放送があってテレ東では約1ヵ月遅れの5月8日オンエアされた。これが津山から初のテレビ中継であった(ポニーキャニオンとクエストからこの試合のDVDが出ています)。

猪木vsアイアン・シークは津山のメイン(撮影:梶谷晴彦氏)。

さて、津山にテレビが入ったのはこの時だけではない。80年3月20日、新日本『ビッグ・ファイト・シリーズ』第19戦がそれ。メインは猪木が卍固めでアンアン・シークを破った試合と言えば、「ああ、それが津山だったんだあ」と納得する人がいることと思う。そのセミのタッグマッチで藤波がマンド・ゲレロをドラゴン・スープレックスでレフェリーストップにしたと言えば「そうそう、あれが津山か」と頷く方も多いと思う。藤波&長州vsマンド&パッドニュース・アレン。1本目にドラゴン・スープレックスが決まり、2本目は試合放棄ということでマンドは担架で控室へ運ばれた。

連日の飛竜原爆。マンドに決まってレフェリーが止めた(撮影:梶谷晴彦氏)。

先日のコラム(高知のプロレス)で藤波がアンヘル・ブランコにドラゴン・スープレックスを決めて同じくレフェリーストップで破ったことを書いた。つまりこの津山大会の前日(3月19日)が高知県民体育館でのその試合だったのだ。高知→津山は“デンジャラス飛竜原爆ロード”であった。私の今回のツアーもその2つのポイントで繋がった。アンヘルは津山以降の試合を欠場して帰国させられたことになっているが、祝日(春分の日)だったこの日、梶谷氏は試合前にガイジンの宿舎へ行くと、そこにアンヘルの姿があった。それも首にギプスをしているではないか。この日、アンヘルがキプス姿で会場へ行ったのかどうかは定かでない。だが、翌日、お揃いの?ギプス姿のアンヘルとマンドがグレコ&セルヒオのオカマコンビと別れて帰京し、成田から一緒に帰国したことは間違いあるまい。ちなみに新日本一行の日程は津山の次の試合地が沖縄であった。もともと彼らはここまでの3週間のみの契約だったという可能性がある…。マンドは71歳でご存命だが、アンヘルは津山から6年後、自ら運転中の事故で即死している(享年47)。

アンヘルは津山に来ていた。ホテルでオカマコンビと談笑(撮影:梶谷晴彦氏)。

梶谷氏に聞くと「国際も、全日本も、新日本も、ガイジンの宿舎は津山プラザホテルでしたよ。もう今はないですけどね」と教えてくれた。前週載せた上田馬之助のホテルの庭の写真や上のロビーの写真…どちらも津山プラザホテルである。私は「津山にこんなにお洒落でゴージャスなホテルがあったんだあ」と思った。でも「今はない」ってどういうこと? ちょっと調べたらびっくり!ここは現在、知る人ぞ知る廃墟ホテルになっていたのだ。開業は74年だから総合体育館の出来る2年前。地方都市に似合わぬような豪華ホテルとしてかなり有名だったようだが、2000年代に倒産して、そのまま廃墟になっていたのだ。神戸市灘区で有名な心霊スポット…摩耶観光ホテルをなぞって「岡山のマヤカン」とも呼ばれているようだ。そういえば今回、津山駅から南東の丘陵上に“あれ、なんだろう”という建物があったのを思い出した。それが津山プラザホテル跡なのだ。立ち入り禁止となっている津山プラザホテル跡も摩耶ホテルのような心霊スポットらしい。廃墟内には読み捨てられたプロレス雑誌の残骸もあるとか…。私がそこに行けばアンヘルの泣き喚く声が聞けるかもしれない…。

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