ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第544回】リキパレスの幻影(2)

ここまでリキパレスに似た会場は、アレナ・コリセオ、山梨・石和パブリックホールだと書いてきた。そしてもう一つあると予告した。それが静岡県熱海市和田浜南町の「熱海後楽園ホテル」の大ホールである。ここのことは一度、このコラムで書いていると思うけど、進化系なので、もう一度お付き合いください。

私が訪ねたのは1980年3月4日、全日本『エキサイトシリーズ』第15戦。館内に入った時に「ああっ、リキパレスだずら!」と『細うで繁盛記』の正子(富士眞奈美)みたいな伊豆方言で興奮する(わかりずらいか…)。石和パブリックホールへ行ったのが85年1月だから、実はこっちの方が5年も早い。下の写真を見てお分かりのように、円形のホールの一方がステージになっていて、石和と同様に1階は畳敷きになっている。リキパレスのようにひさしみたいに迫り出した2階席が特徴だ。しかし、2階は椅子席でなく、桟敷席になっていた(粋だねえ)。このホールがショーや演芸大会、宴会、朝食会場のために造られたものであることがわかる。

畳と桟敷席なのわかる? 熱海後楽園ホテル大ホールの風景

水道橋の後楽園ホールが開場する3年後、熱海後楽園は遊園地を含む複合リゾート施設として65年夏に営業を開始している。プロレスで使用されたのは69年1月25日、国際プロレス『ビッグ・ウインター・シリーズ』第8戦が最初か。メインは豊登&杉山&草津vsチーフ・ホワイト・ウルフ&マイク・マリノ&アンドレ・ボレー。セミはロビンソンvsジョー・コルネリウス(ロビンソンは年越しの参戦)。

日本プロレスが使用したのは同年の『第2次サマーシリーズ』第11戦(9月13日)の1回のみ。この前日は東京の後楽園ホール大会なので「後楽園」の連戦だったことになる。メインは猪木&大木&ヒライvsザ・ブッチャー(ドン・ジャーデン)&ダン・ミラー&ドン・ダフィー。馬場はシークとのインター戦のためにロスへ出張中で欠場。ジャーデンは前シリーズからの残留で、先週触れたように8月28日の前シリーズ最終戦の石和パブリックホールで試合をしている。つまり彼は63年「リキパレス」、69年「石和パブリックホール」、69年「熱海後楽園ホテル」で試合をした唯一のガイジン選手ということになる。それより凄いのが先週書いた星野、駒、林の3人。この日、星野vs高千穂、駒vs小鉄、林vs木戸というカードが組まれている。つまり彼らは「リキパレス」、69年「石和パブリックホール」、69年「熱海後楽園ホテル大ホール」に出た後、70年と73年「アレナ・コリセオ」にも出場して、類似4会場をコンプリートする。

次の熱海は76年1月25日、国際プロレス『新春パイオニア・シリーズ』最終戦。メインは井上vsレン・シェリーの金網。あの宴会場で金網を組んだとは、ちょっと信じがたい。会場の表記は「熱海後楽園ポップランド」となっているので、隣接した新設の遊園地のことなのか。翌年、1月2日の国際『新春パイオニア・シリーズ』開幕戦も記録上は「熱海後楽園ポップランド」となっている。どっちも正月だから野外試合とは思えない。この時は翌日が東京・後楽園ホール大会なので、やっぱり後楽園の連戦だった。熱海はひと山越えれば、三島市の草津宅が近い。76年は正月の最終戦、77年は正月開幕戦が熱海に設定されているのは、草津の意図が反映されたスケジュールに違いない。「試合を終えて早く家に帰って酒が飲みたい」のと、お屠蘇気分で「そろそろ会場へ行くか」という感じで熱海を押さえさせたのだろう(間違いあるまい)。

三島市にあるグレート草津の自宅。

全日本は、私が行った80年3月20日が最初の熱海後楽園ホテル大会だった。ホールはホテルとは違う入口で、ちゃんとチケット売り場があった。熱海市のファン用の入場口なのであろう。館内には浴衣姿の宿泊者もチラホラ。宿泊客には割引があったのだろうか。この熱海の前の試合が、ドス・カラスvsドクトル・ワグナーの選手権のあった東京・後楽園ホール。つまりこの時も後楽園連戦だったのだ。水道橋と熱海がセットだと会場の使用料が安くなるのだろうか…。

メインは馬場&羽田vsカリプス・ハリケーン&ディック・マードック。セミがタイガー戸口vsトーア・カマタ、その下が鶴田&ドス・カラスvsリック・マーテル&ワグナーだった。全日本は88年2月23日にもここを使用している。メインが馬場&天龍&カブキvs木村&阿修羅&鶴見。セミがロード・ウォリアーズvs輪島&石川。畳の上を走って来るウォリアーズって、なんか変だなあ…。

新日本は88年1月6日、『新春黄金シリーズ』第3戦が最初。この時は正月の4日と5日が東京・後楽園ホールだったから、後楽園3連戦だったということになる。メインは猪木&越中&バズ・ソンヤー&オーエン・ハート。セミが長州&マシーン&馳vs藤原&木戸&高田。その下のカードがベイダー&マサ斎藤vs坂口&ジョージ高野。

昭和の「熱海後楽園」はここまで…。平成でここがどう使われたかまでは調べてない。それにしても正月開催が多いのが気になる。連戦セット割引だけでなく、正月割引もあったのかなあ、なんて勘ぐってしまう。

2階はこのように桟敷席になってていた。

2016年6月に同ホテルを再訪した時、このホールは健在だった。ホールは畳敷きではなくフローリングされていて、結婚式場の披露宴か宴会の準備をしていた。2階席は、すだれが降りていて、桟敷席が見えないような配慮がなされていた。たぶん、まだこのホールは現存していると思われる。

「80年に熱海へ行った時にドス・カラスに“ここアレナ・コリセオに似ていない?”って聞かなかったのですか?」というオカダくんからの質問がありそうだ。

その答えは…「いいえ、聞いていません」です。なぜならば、80年の時点でUWA所属のド・カラスはアレナ・コリセオに一度も出場していないからです。

でも、ワグナーにはちゃんと聞きましたよ。“ここ、アレナ・コリセオに似ているんだけど…”って。ワグナーは65年6月4日にアレナ・コリセオに初出場しており、74年9月にNWA世界ライトヘビー級王座初戴冠したのもコリセオだった。

控室の通路で黙々と縄跳びをしていたワグナーは、「どれどれ…」とばかり2階席の後方から会場内を覗き込む。それは最初の写真と同じ角度からの眺めである。

「おおっ、ちょっと天井が低くて平たいけど、確かにコリセオに似ているなあ。ガハハハッ」とダミ声で笑っていた。やっと賛同が得られて、私は満足した次第です。もう41年前の話でした。

熱海後楽園で撮ったワグナーのポーズ。

 リキパレスってどんな会場だったの?という方。メキシコは遠くて危ないのでアレナ・コリセオには行けないという方…是非、熱海後楽園ホテルに泊まって、現状を見て来てほしい。「熱海で絶対に外さないホテル10選」にも入っているよ。

 

 

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