ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第653回】日高のプロレス(2)

 先週に引き続き、北海道の日高地方のプロレスを書こうと思う。先週は国際プロレスが1969年11月に静内町立体育館、70年8月に浦河町築港埋立地で試合をしたことに触れた。今回、私は静内(現・新ひだか町)に3泊した。ホテルの窓から体育館が見えるので、行ってみる。お隣の公民館で体育館がいつ出来たのかを聞く。ご年配の職員さんが分厚い『静内史』を持って来て調べてくれた。それによると竣工は1968年8月、北海道開道100年記念の行事として建てられた体育館だった。「私が小学生の時に体育館の前を鼓笛隊がパレードしたのをよく憶えていますよ」。国際プロレスは体育館が出来た翌年に興行を打ったことになる。館内を見学させてもらう。片面に2階席があった。「静内の中では最古級の建物です。雨漏りしたりもしましたし、修繕を重ねて騙しながらも使い続けています」。日高管内で最も古い体育館は56年経った今も現役である。

古川町にある静内町体育館の外観。
静内町体育館の内部。

では国際の次に何処の団体が日高に入って来たかというと、新日本だった。それは1974年6月6日、『ゴールデン・ファイト・シリーズ』第11戦、浦河町ファミリースポーツセンターである。静内から浦河へは国道235号線を東南へ53キロ。軽種馬生産と漁業の町だ。この体育館は眼下に太平洋が広がる潮見町の海抜51mの高台にある。新日本が来た10日前、浦河町の大島牧場生産のコーネルランサーが日本ダービーに優勝して町は沸いていた。絶対本命のキタノカチドキ(3着)を下しての勝利だった。大塚直樹氏によれば「日高は、岩見沢や苫小牧をお願いしていた松村一郎さん(北海芸能プロダクション)の興行ですね。『帰ってこいよ』の歌手・松村和子さんの御父上ですよ」。メインは坂口征二&山本小鉄vsクルト・フォン・ヘス&ラスプーチン。セミがアントニオ猪木vsイワン・プトスキー(リック・フェララ)。何かいかにもドサのお茶濁しのカードという感じ。試合前に猪木らが五冠馬シンザンを見学しに谷川牧場へ行ったというのはこの時か。ちなみにこの翌日が札幌でヘス&ショッツvs猪木&坂口の北米タッグ選手権(奪取ならず)。富川での種牡馬展示会の後、私はこのコラムのために浦河まで80キロの道のりを走る。ところが現場に着いてガッカリ、スポーツセンターは昨年9月から石綿障害予防の改修工事に入っていた。体育館の前にある「海の少女」という記念モニュメントには竣工が74年5月18日とあった。新日本がここに来たのはその3週間後…こけら落としに近いイベントだったことがわかる。この高台から国際が興行を打った浦河町築港埋立地を俯瞰するが、何処が現場なのかは特定できなかった(寒風がきついので退散…)。

浦河ファミリースポーツセンター前の「海の少女」像。
高台から浦河町築港の埋め立て地を望む。

新日本の次に日高に入って来たのは全日本。同じ浦河町ファミリースポーツセンター(76年8月21日、『ブラック・パワー・シリーズ』第6戦)。ちなみにこの年のダービー馬も浦河町産馬であった。田中牧場生産のクライムカイザーが大本命のトウショウボーイを下しての優勝であった。この日のメインはジャイアント馬場&グレート小鹿vsボボ・ブラジル&ザ・ウルフマン。セミがジャンボ鶴田vsテッド・デビアス。この翌日が今金町総合体育館であった。今金は北海道の南西部、渡島半島の瀬棚郡にある人口4600人の小さな町だ。浦河町の人口が1万1千人だからその半分以下。なんとそこでアジア・タッグ選手権が行われている。極道コンビvsタンク・パットン&テッド・デビアス。メインで60分やってドロー。セミは馬場vsブラジル…豪華じゃないか。主催者発表は3500人。この数をマジで信じると町の76%の人が会場に来たことになる。Gスピの前号のマイティ井上インタビューで触れた76年11月19日、陸別町スポーツセンターで行われたピエール・マーチンvs井上のUSヘビー級選手権。“日本一寒い町”陸別町は人口2100人…これはプロレスが行われた町としては最も人のいない町かも…でも入場者発表は3500人! そんな町で怪しいタイトルマッチが強行されたということである。

話を浦河に戻すけど、今金町でアジア・タッグやるなら前日の浦河でやってほしかったというのが私の意見。国際でヨーロッパ・タッグをやった町だから、アジア・タッグも…って感じでね。さて、その次に日高へ入って来たのは新日本だった。79年7月13日、『サマー・ファイト・シリーズ』第14戦。静内の古川町にあった旧雪印跡地が会場だ。ここは戦後、雪印の工場があって、73年に廃止され更地になっていた。10年前に国際が町立体育館を使っているのに、なんで新日本は野外だったのかは疑問だ。メインは猪木&藤波&長州vsウイリアム・ルスカ&トニー・ロコ&マサ斎藤の6人タッグ。セミが坂口vsジョージ・スチール。その下でレロイ・ブラウンがストロング小林を、我らがウルトラマンは星野を回転エビ固めで破っている。新日本はこの年に再び日高へやって来る。『闘魂シリーズ』第6戦の鵡川町スポーツセンター(11月3日)と翌日の様似町スポーツセンターの連戦だ。鵡川(現・むかわ町)はシシャモとタンポポの町。もちろんサラブレッド生産も盛んだが、近年は恐竜の化石が次々に発掘されて博物館まで出来た。この鵡川大会は猪木vsダスティ・ローデスのNWF戦(札幌)のあった翌々日、次の興行。メインは猪木&長州vsパット・パターソン&ニコリ・ボルコフ。セミがローデスvs坂口、その下が藤波vsグレッグ・バレンタイン、ペドロ・モラレスvsストロング小林…これはゴージャスの極みだ。翌日は99キロ南下した日高本線の終点・様似町へ。ここから襟裳岬までは37キロ、車で約50分の距離だ。ここもサラブレッドの生産地で81年にはカツトップエースがダービーを制覇した。この日のメインは猪木&坂口vsモラレス&パターソン。MSGのファンが観たらひっくり返りそうなチームだ。セミは藤波vsマサ斎藤、その下がローデスvs木村健吾。このシリーズはクズのカイジンがいない。素晴らしいシリーズ。だからこの後もグレッグが木戸を、ボルコフが星野を押さえ、ガイジン3連勝…付け入る隙なしだ。山本小鉄が自分の名義で猪木ら有志数人と一緒に競走馬を買ったというのは、この時の日高ツアーだったのか(?)。私は浦河からさらに足を延ばして様似まで行ってみた。ここも私にとって懐かしい町だ。

様似町スポーツセンターの外観。

様似町スポーツセンターには全日本も来ている。全日本にとって7年ぶりの日高入りだ。それは83年『グランド・チャンピオン・カーニバルⅡ』第17戦(6月1日)。メインは馬場&天龍源一郎&阿修羅・原vsブルーザー・ブロディ&ニコリ・ボルコフ&ビル・アーウィン。セミは鶴田vsロディ・パイパー。その下がディック・スレーター&チャボ・ゲレロvsマイティ井上&石川敬士…これもなかなかいいじゃないか。様似の人はいいもの見られているね。ちなみに発表は3500人。この町の人口は現在3900人。そりゃ、89%の人が集まったことになる(昔はもっと人口多かったかもね)。実数は不明だけど「超満員」と表記しているので、かなりのお客が殺到してことが想像できる。それにしてもボルコフは新日本でも全日本でも様似に来ていて、メインに出ている。「あれ、このロシア人、また来た」って気づいた客はいたかなあ。管理人さんの案内でスポーツセンターの中を見学させてもらう。静内のように片面に2階席があるが、静内よりも大きい。床面積も広く、天井の高い立派な体育館だ。詰め込めば3千人くらい入りそうである。日高本線の終点、最果ての町にローデスやブロディが来たのかと思うと感慨深いものがあった…。

様似町SSの内部は結構広い。

ということで、遥かなる様似から巣鴨へ…我らの『チャンピオンベルト・カーニバル』第5戦も9日後に迫ってきました。興味津々の秘話をたくさん用意しますので、楽しみにしていてください。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅