ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第589回】英雄たちの終活

 本日はGスピリッツVol.65の発売日だけど、今回もメヒコの話の続きを書こう。先週、地震で安否を心配していたTNT(ホセ・グアダルーペ・アギラール・エレーラ)は8月6日に病死していた…。どおりで連絡がないはずである。享年84。TNT(発音的には“テネテ”…日本人の耳にはそう聞こえるが、私は彼をルーペと呼んでいる)。ルーペが天国に呼んだのか、彼が他界した20日後に鶴見さんが亡くなっている。2人には因縁があった。鶴見さんがメキシコに修行で入った頃(1974年8月)のパートナーがTNTだったのだ。「モンテレイの宿で同室だった時に彼が飼っているあの蛇がピッピッって鳴いて寝られなかったんだよ。蛇って鳴くんですよ。それにあの蛇がリングで小便たらしてねえ…大変でしたよ」と苦笑いしていた。それで10月18日のアレナ・メヒコで仲間割れし、翌週の同所でカベジェラ戦をやって鶴見さんは髪の毛を切られることになる。鶴見さんはもちろんだが、TNTにとってもアレナ・メヒコで初のカベジェラ戦、初のビッグマッチだった。

74年10月、TNTがゴローを坊主に。

「ゴローと戦った前の年にニュージャパンに行っている。イノキとも戦ったよ。彼は私の蛇が嫌いみたいだったよ(笑)。ブラジル育ちだと聞いたけど蛇で嫌な経験をしたの?」とメキシコでルーペに会った時、私にそんな話をきいた。新日本ではアナコンダのリングネーム。記録を調べると9月26日の西尾市体育館と10月2日の高松市民センターで猪木vsアナコンダが実現している。どちらもコブラツイストでアナコンダが敗れている。大蛇対決はコブラに軍配…ちなみにアナコンダは毒蛇ではない。「私の蛇はボアって種類で毒はない。日本に連れて行ったのは小さい牝で、大人しい。あの時はハム・リーと一緒だった。彼はマスクを被らされてエル・サントと名乗っていたな(笑)。あとでメキシコへ帰ったら、その事がバレて問題になったけど…」。当時はカール・ゴッチが新日本のブッカーで、ゴッチは親友ハム・リーにメキシコからマスクマンと巨漢を1名ずつというリクエストする。巨漢は即座にTNTに決まった。「それなら俺がマスクを被って行くよ」。ハム・リーが即座にゴッチに伝えた名前がサントだったらしい。力道山存命中に勝手に海外で黒いロングタイツでリキドウザンを名乗って試合したのと同罪である。「それよりも日本の後にハム・リーと一緒にシンガポールとかマレーシアとか東南アジアにも足を伸ばして試合をしたよ。あそこは日常にニシキヘビが居る国だから私が小さなボアを持って行っても客に笑われるだけだったな。ネパールも行ったよ。それにしてもどの国も寺社仏閣が美しくて、アジアの旅は私にとって忘れられない思い出だよ」。そんな話を聞かせてくれたルーペ。ちなみに彼の師匠であり、コンパトレ(後見人)はブラソスの父シャディト・クルスである。改めてルーペさんに合掌するとしよう。

23日大会にはオクタゴンが(CMLL)。

 今シーズンで引退するアルバート・プーホールズ(カージナルス)が700号を打ったのも長い選手人生の終活なら、メヒコのスペル・エストレージャたちの終活も始まっている。アニベルサリオの翌週の23日、オクタゴン親子がアレナ・メヒコの定期戦に参戦した。オクタゴンのCMLL復帰は30年ぶりか。今年61歳になるオクタゴン。彼がアパトラコのローカル選手ラ・アメナサ・エレガンテから1989年5月にオクタゴンに大変身して1年半後の事。1990年12月14日、フエルサ・ゲレーラとヌエボ・ウラカン・ラミレス(敗者)と、ここアレナ・メヒコで三つ巴のマスク剥ぎ戦をやった。それがオクタゴンブームの引き金となる。フエルサ(現在67歳)はその時からの抗争相手で、1992年にAAAに移ってからも抗争は続いた。ザ・シークvsボボ・ブラジルも真っ青!彼らは実に32年間に及ぶ宿敵関係なのである。本日が60歳の誕生日のアトランティスを絡めたレジェンドたちによる三つ巴戦が恐らく彼らの最終決着の場になるのではないかと想像される。それが実現されればオールドファンにとって、たまらないスーパーカードとなる。

懐かしや、この対決の定番シーン(CMLL) 。

 もう一つの終活!?は負け残りマスク剥ぎトーナメントだの、三つ巴戦などと紛らわしいことなしの一発勝負。ペンタゴン・ジュニアvsビジャノ4号のマスカラ戦が10月15日のAAA『トリプレマニア30』(アレナ・シウダ・メヒコ)で決定した。実はAAAは今春の時点で10月に後楽園ホールを押えていて、日本で『トリプレマニア30』を開催する予定だった。でも、このスーパーカードがトントン拍子で進行したために後楽園はキャンセルされ、地元開催になったというわけだ。さて、このカード…どう見てもビジャノに勝ち目はない(そういうマスカラ戦もあるよ)。ビジャノス1~5号の中で存命なのは4号(五男)と5号(四男)。5号(ライムンド・ディアス・メンドーサ)は2009年3月にウルティモ・ゲレーロに敗れてマスクを取られ、2017年12月のナウカルパンでリタイアしている。つまりビジャノ5兄弟の最後の生き残りが末弟の4号(57歳)なのだ。それも、いよいよ正念場ということである。

『トリプレマニア30』のポスター(AAA)。

彼との付き合いも長い。82年8月22日のパラシオでのエル・サント引退興行で、試合前、控室で私が3号と親しく会話をしていた横で“僕も話しに入れてほしいな”みたいな雰囲気を出していた細身の黒いマスクマンがいた。それがレオパルド・ネグロ…後のビジャノ4号である。「コイツは俺の2つ下の弟だよ。今日、俺はロカンボレ(後のビジャノ5号)と組んで、コイツは兄貴(1号)と組んでトーナメントに出る。コイツもいつかビジャノスのメンバーになるからよろしくな…」と兄の3号に紹介され、その黒覆面の若者は嬉しそうに握手をしてきた(この日、1号&レオパルド・ネグロはカト&クン・フーらに敗れるがブラソスに勝つ)。そして彼は翌83年にビジャノ4号を名乗る。そこから数えると39年間もビジャノのマスクを被ってきたわけで、兄弟に中では最もビジャノ歴が長いことになる。メキシコ人たちは、みんな40年近くビジャノをやって来た男の素顔を見たいのだ。僅かながらだが、もしものこと…だってある。1988年10月に4号は兄貴の1号と5号と組んで番狂わせを起こしている。下馬評を覆して、あのブラソスのマスクを剥いだ大穴仮面なのである(この88年夏に新日本に初来日した)。

時は流れて、10年前の夏、『第5回ふく面ワールドリーグ戦』に4号が来日した時のこと。最終戦の岩手県営体育館での試合を終えて東京に帰るバスで、彼と長く話し込んだ。話というよりも私の講義だった。それは彼から私への質問に始まった。「僕が今、とっても知りたいのは、日本のプロレスの歴史なんだ。リキドウサンの名前だけは知っているけど、この国でどうプロレスが始まって、リキドウサンからどういう風にババとイノキに繋がって、どういう風に分裂して今に至ったのか…それを教えてほしい」と言うのである。こんなことを聞いて来たメキシカンは彼が初めてだった。盛岡から東京までだから時間はタップリある。ドクトル・ルチャの車中移動講義が始まると、真後ろの席から“んんっ”と顔を出したソラールも生徒として加わる。彼らはわからなくなると、すかさず質問を浴びせて来た。新日本に来日経験のある彼らは日本独自のシステムがどういう歴史の変遷を経て構築されたのかに興味を示していた。彼らの目には「シリーズ制」、「付き人の仕事」、「先輩後輩」、「セコンド」、「たった1人エース」、「1団体1つのリングでの巡業」、「海外修行」、「格付け」、「集団行動」…それら日本のプロレスのあり方がすべて奇異に映ったのだ。また彼らは彼らの知らない日本プロレスや国際プロレス、全日本プロレスの成り立ちや相撲、柔道、アマレスとの関りなどにも興味が及んだ。

4号はWCWにも出場していたから、アメリカの主要団体と日本の交流にも興味を示す。そして最後は日本に来たメキシコ人選手を全部言わされた…。「で、俺の親父はどうだったの?」と身を乗り出す。戦績はイマイチだけど、ツアーに参戦した他のアメリカ人選手たちからメンドーサが愛されていたという話をすると、4号は嬉しそうにうなずいた。約7時間半の道中、講義は2回のトイレ休憩を挟んで6時間以上やったかなあ…それにしても彼らはとっても真面目な生徒たちだった。授業を終えて満足そうな笑いを浮かべた4号の顔が兄貴たちのように父親のメンドーサに似てきたように見えた。年輪のせいか、血が濃いせいか、そう伝えると「そうかい。ありがとう、すごく嬉しいよ」と満足気だった。

「マグニ」航空のシートには(AAA)。
カンクン行き便でビジャノ増殖(AAA)。

 「フエルサやビジャノ4号がマスクを取られるのを見に行きたいなあ」と呟いたら、「ドクトルは彼らの素顔を知っているからいいじゃないですか」と知人に返された。「いや、そういうもんじゃないんだよ。あの何万のお客の前で40年間の選手人生の集大成をどう演じるのか…そういう男のドラマを生で体感したい、そういうことなんだよ」。そこはメキシコ人たちと心を一つにしないといけない。そう言う反面、数十年間慣れ親しんで来たマスク姿への愛着があるのも確かだ。私なんかより本人自身の気持ちはもっともっと強いはずだ。それを断ち切って一世一代の非情なる勝負に出ること、そして敗者が勝者を超越した主役になること、それこそが他国にはないこの国ならではのプロレスの醍醐味なのである。単にプロレス世界に留まらず、文化的や歴史学的に言うなら、これは祭儀、生贄の儀式と言えるかもしれない。古代マヤなどメソアメリカ文明ではゴムボールを使った球戯で勝利した者が自ら生贄になった。そんなこの国には喜んで生贄になるという血が根底に流れているのかもしれない。おわかりかな…。今日の講義はここまで! さあ、次はテキスト(Gスピ)を読みなさい。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅