先週は小千谷の闘牛場のことを書いた。今週はその奥にあるもう一つの現役の闘牛場・山古志闘牛場へ行ったことをレポートしたい。小千谷闘牛場よりも約8km山の奥に入った山間部(長岡市南平地内=旧虫亀村)に山古志闘牛場はあった。別名は虫亀闘牛場。奥とは言え、こちらの方が小千谷の闘牛場よりも駐車場はもっと広いし、周囲が開けていてちょっと観光地的な雰囲気があった。

ここは駐車場より20mほど高い木々に囲まれた丘の上にあり、闘牛場へ向かって登る遊歩道は当地の闘牛の歴史を伝える立派なメモリアルギャラリーになっていた。古志郡二十村郷といわれるこの地域は昔、30ヶ村の枝村があったが、明治17年(1884年)に9ヶ村にまとめられた頃には各村に闘牛場があったらしい。明治22年の町村制施行により6ヶ村に、明治34年の町村合併で5ヶ村となり、昭和31年3月末の新市町村合併により2市1町1ヶ村となるという時代の移り変わりがあった。そんな中、1000年続いているという「牛の角突き」(闘牛)は村々の娯楽を通り越した神事のような行事であった。

戦後、農家の機械化により牛が減少したことで「牛の角突き」は廃止の憂き目に遭う。しかし、村々の有志たちの努力で復活したことで1978年に国の重要無形民俗文化財に指定される。これらの資料を見ると、現役の小千谷闘牛場とここ山古志闘牛場以外にも、90年代まで種苧原闘牛場、竹澤闘牛場、池谷闘牛場などで興行が行われていたらしい。しかし、2004年10月23日、マグニチュード6.8の中越地震が起きた。死者5名、住宅全壊339棟……地滑りが多発して道路が寸断され、村々は孤立したため、ヘリで住民全員が村外へ避難するという事態になった。これにより錦鯉の養殖場も甚大な被害を受け、牛舎が崩れて闘牛の牛たちも多く犠牲となったという。生き残った牛たちがヘリにつり下げられ村外へ救出される映像はニュースでも流されていた。後日、助け出された牛が徳之島で再起戦をしたという話も耳にした。

さて、遊歩道を登りきると、木立の中から闘牛場が忽然と現れた。特設のスタンドが2つもあって高くて急傾斜だ。これならば小千谷の闘牛場よりも入りそうだ。誰もいないからどのくらい入るのか不明だが、推測で1800人くらい入るかもしれない(小千谷は1200人くらいか?)。

さっそくドローンを飛ばしてみる。私はこれまで多くの闘牛場を見てきたが、街中にあるのが当たり前だった。宇和島闘牛場は丸山公園という宇和島市を見下ろす丘の上にあった。だが、ここ山古志闘牛場は長岡市の中心からも18kmと遠く、周囲を東山連峰に囲まれた中山間地域であることがわかる。ここに円形のすり鉢型の施設があるだけで異様な雰囲気が漂う。

開催は小千谷闘牛場と同じ5月から11月までの期間。小千谷は月イチの7興行。ところが山古志闘牛場は変則開催だった。2026年の日程では5月と8月が月2回で、7月と9月がお休み、6月と10月、11月が月イチ……計7興行。宇和島が正月場所、5月場所、和霊大祭場所(7月)、10月場所の年間4場所。これに比べると、雪深い小千谷と山古志では年間(7ヵ月)で計14度も闘牛が雨天決行で行われているのだ。山深くて市街地から遠いとはいえ、小千谷闘牛場同様、山古志闘牛場でもプロレスをやればいいのになあと思った。闘牛開催の際にはシャトルバスも出るし、大きな駐車場もある。夜ではなく、土日の昼間ならば可能だ。せっかくのすり鉢状の観客席がもったいない。「ここへ行ってこんなことを考えるのは俺だけだろうな」と思いながら退散する。初夏の中越の山間部……どっちの闘牛場でも「何か情報を入れたかったけど、今日は誰一人いなかったし、会わなかったなあ」と思った。