ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第768回】美しきかな利尻・礼文 (1)

今回の旅の主目的である利尻・礼文に渡る。最初は利尻島から…。どちらの島も、これで4度目だが、過去3度とも稚内→利尻→礼文の順で渡っている。初めて渡ったのは51年前、1975年8月にバイクで島内を一周した。77年6月、2度目もバイクだが、登山目的のツーリングだったので利尻山に登頂した。3度目は86年9月、レンタカーで妻と島に渡った。あれから40年が経過した…。利尻島は稚内の西方52㌔の日本海洋上に浮かび、利尻・礼文・サロベツ国立公園に指定されている。利尻山(1721m)を中心にした円錐形の美しいシルエットの島で、一周約55㌔。フェリーで稚内から1時間40分の船旅で鴛泊(おしどまり)港へ着く(昔は2時間半かかった)。現在、島は鴛泊を中心とした利尻富士町と、私が3泊した沓形を中心とした利尻町の2つで構成されている。主な産業は漁業、水産加工業、観光業で、1955年の島の人口は2万人、現在は4700人と、過疎化が進んでいる。島内360度、何処からも拝め、見る場所によって山容が変化する利尻山は実に美しい。『日本百名山』の著者・深田久弥は「島全体が一つの頂点にひきしぼられて天に向かっている。こんなみごとな海上の山は利尻岳だけである」と称賛。観るというだけなら、私の一番好きな山である。

利尻島のオタドマリ沼より望む利尻山。

この島にプロレスが最初にやって来たのは71年7月13日。国際プロレス『サマー・ビッグ・シリーズ』第7戦の「利尻町研修センター」である。国際が北海道と東北に強いのは、後に営業部長になる担当の梅村則夫氏の力量によるところが大きかったからといわれている。さて、この日のメインは木村&小林vsブラックジャック・ランザ&チャック・カルボ、セミが杉山vsボビー・ヒーナン。まさか…利尻にAWAの顔役であるランザやヒーナンがやって来ていたなんて、嘘のような本当の話である。前日が札幌中島体育センター大会だったので、試合後、リングを乗せたトラックは夜通し走って稚内まで来て、フェリーで渡ったのだろう。選手たちもそれを追うように島へやって来たはずだ。大変な苦労の末に辿り着いたことが想像できる。私は「利尻町研修センター」を探したが、どうしても見つからないので、町役場を訪ねて調べてもらった。すると「研修センターは数年前に取り壊されてしまったんですよ。ホテル利尻の充電施設のある駐車場が跡地です」という答え。“ああ、間に合わなかったか…”と私は愕然とした。聞けば71年に開館した施設だったので、国プロが来たのと同じ年。もしかしたら、こけら落としのような町をあげてのイベントだったとも想像できる。発表では観衆2000人(当時の島全体の人口は1万5千人)。

利尻町研修センター跡地。

一応、更地となって現場へ行って軽くドローンを上げてみる。私の泊まった民宿からも徒歩5分の距離だった。役場にはもう当時を知る年配の職員がいなかった。3日泊まって現地で聞き込みをしても、人が少ないのもあるが、残念ながら憶えている方に出会えなかった。この大会に出た選手も存命しているのはアニマル浜口さんくらいで、ほとんど他界している…。ちなみに同じ沓形には95年10月に「利尻町総合体育館 夢交流館」という名の道北一の規模のアリーナを誇る施設が出来ていたのには驚かされた。さて、この国際プロレスの来島から10年後…次にやって来たのは全日本女子プロレスだった。81年7月26日の『サマー・ファイティング・シリーズ』。場所は現在の利尻富士町鴛泊字富士野にある「東利尻町総合体育館」。メインはミミ萩原&横田利美vsレイラニ・カイ&デビル雅美。セミが大森ゆかりvsダイアン・ホフマン。それは国際プロレスが羅臼で崩壊する2週間前のこと。全女は最果て離島にいたのである。

利尻富士町(旧・東利尻町)総合体育館。

ここは59年から「東利尻町」で、90年に「利尻富士町」に改名しているので、過去に私が来た時も、全女が来た時も「東利尻町」だったというわけだ。次に利尻に来たプロレスは2002年9月のLLPWで、その時には「利尻富士町総合体育館」になっていた。その後が2014年7月23日の大日本プロレス…である。海沿いにあって風雪に耐えながらボロボロに朽ちた建物は“大丈夫か”と声を掛けたくなるほど。でも、私が見たところ、ボウリング場を改築したようにも映った。それで利尻富士役場と教育委員会に問い合わせて調べてもらうと、やはりそうだった。「以前はボウリング場でして、78年に総合体育館として再オープンしたんです」「ボウリング場は73年には確実にあったのですが、正確な完成時期までは…」とのこと。ボウリングブーム(60年代後半~70年代前半)は利尻島にもあったということである。

名店・『利尻らーめん味楽』の江差家会長と。

3日間で島を3周していろんな角度からの利尻富士のドローン撮影にトライ。昼飯は3日連続で島唯一の行列店『らーめん味楽』に通う(私がゴールド会員の新横浜『らーめん博物館』にも2017年より出店中)。ここでは毎日ラー博にない現地メニューを食す(江差家会長から手作りの木製スマホスタンドをお土産で頂く…愛用中)。そして4日目に私は、礼文島に渡る。利尻から北西へ…礼文までの距離は約19㌔、フェリーで45分。海抜0mから数百mの低山帯に礼文だけの固有種を含む約300種以上の高山植物が咲き乱れる。別名“花の浮き島”とも呼ばれる人気の島で、ウニ、ホッケ、タラ、コンブなど海の幸の宝庫でもある。

礼文島・澄海岬(すかいみさき)の花と海。

利尻同様、ここに来るのは40年ぶり4度目となる。現在の島の人口は2143人。島は東西約8㌔、南北約25㌔と縦長で、西海岸が絶壁の地形のために一周する道路はない。故に行き止まりの集落や道が多く、秘境感が漂う。

民宿『海憧』(かいどう)と絶景の船泊湾。

大きな集落はフェリー港のある香深と、北の船泊のみ。私はこのコラムの管理人さんの親友が働く、船泊の民宿『海憧』に泊まる。礼文は海も花も夕陽も奇麗だし、この民宿のおもてなしは素晴らしく、食事も最高に旨い。また近所にはアザラシもいっぱい生息している。

ゴマフアザラシは日常で観られるよ。

あまりの居心地の良さからここに3日間の予定が1泊延泊することに…。その中の一晩、船泊で唯一やっている居酒屋“いっこん”へ。漁師さんがご主人という人気店で、獲りたて海鮮料理に舌鼓を打つ。“内地からプロレス雑誌の元編集長が来る”ということがすでに伝わっていて、ご主人が、プロレス大ファンでゴングの愛読者だったというホッケ漁師の岡本さんを呼び出してくれた。そしてそこからマニアックなプロレス談義となる。岡本さんからは、昭和には、どの団体のプロレスもテレビで観られたこと、ここの小学校の校長先生も大のプロレスファンだということをお聞きする。そして礼文に来たプロレス話も入手した。その上に今まで聞いたことのないホッケ漁の話もたくさん聞けて、とても楽しい有意義な酒席でした。

一人漁業部…岡本さんの自作Tシャツ。

翌日、西海岸の険しい未踏の絶景を求めドローン撮影しながら移動していたら西上泊という小さい漁村で偶然に岡本さんと再会する。ご自分の船(第三十八 八龍丸)にマスクマンがいっぱい乗って魚を釣っている絵柄の自作のオリジナルTシャツを着ていて、カネックのレプリカマスクも持っておられた。「アザラシだけじゃなくて、トドも出るんですよ」と、トドのぬいぐるみを頂いたので、ドクトル・マスクをプレゼント。奥様も「私たちもいつかメキシコツアーに行きたいです!」と気さくな方だった。「ぜひ、最北からの参加をお待ちしています」。岡本さんは私にとって初めての“漁師アミーゴ”…それも日本最北限のフィッシュマンである。

前の晩に飲んだホッケ漁師・岡本さんと再会。

今日はここまで、来週は礼文のさらなる魅力と礼文のプロレスについて書こうと思う。

桃岩付近から空撮。利尻富士を遠望。

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