ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第576回】パウンド・フォー・パウンド

 先日、ノニト・ドネアをKOしてバンタム級三団体統一王者となった井上尚弥が「パウンド・フォー・パウンド」(PFPまたはP4P)ランキングに日本人として初の第1位に輝いた(これは超がいくつも付く大快挙だ)。パウンド・フォー・パウンドとは、違うウェイト(階級)の選手を対比して、もし体格・体重が一緒だったらという設定・妄想を基に「誰が最強チャンピオンなのか」を決める称号のことである。それは今から100年前、1922年に創刊した米国ボクシング誌『ザ・リング』のナット・フライシャー編集長が1950年代に考え出したもの。「重いから強いのではなく、軽くても(井上のように)すべてにおいて極上の最強の選手が存在する。そういう階級を超越した頂点の選手に与えられる称号…それがパウンド・フォー・パウンドなのである」。今回のアップデイトでは有識者9名の投票形式で行われ、さらにパネラーによるディスカッションを加えられた上にランキングが組み直され、井上が1位に輝いたのである。これを柔道に置き換えるなら、先の2021年東京五輪の全階級金メダリストの中での最強は「ウルフ・アロンでも、高藤直寿でも、阿部一二三でもなく、大野将平(男子73キロ級)だろ!」と言い切れるのと同じことといえる。

 世界中のボクシングファンたちは「こっちの世界王者のほうがアイツより強い」とか「いやいや、それよりも〇〇級の誰々のほうが上だよ」などと昔から飲みながら熱く論争しているようだ。これをプロレスに当てはめようとすると多少無理がある。日米の近代プロレスは大多数のヘビー級とわずかなジュニアヘビー級選手しか存在しないからだ。無理やりそれをやったとするなら、1982年のパウンド・フォー・パウンドはNWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーでも、AWA王者のニック・ボックウインクルでも、WWF王者のボブ・バックランドでもなく、インターナショナル王者のブルーザー・ブロディでもなく、タイガーマスクだ!といえば、なるほどと納得してもらえるかもしれない。だとするなら83年夏まではタイガーがPFPランキング1位をキープしていたかも…。

82年のタイガーマスクはPFPだ。

 ではダニー・ホッジの世界王座在位期間に「ホッジがPFPだ」と投票する識者はどれだけいただろうか…。絶大なヘビーと部分的なジュニアヘビー…たった2階級の争いでは妙味が薄れる。もしPFPをプロレス内でちゃんとやるとするなら細かく階級に区分されていた1910~1930年頃のアメリカマット(ヘビー級からバンタム級まで12階級もあった)まで遡るか、各階級に名王者がいた80年代以前のイギリスマットか、世界王者にまだ権威が残っていた90年以前のメキシコマットしかないであろう。

 現在、ボクシングにはWBA、WBC、IBF、WBOという4つの団体があり、承認料を欲しさに(?)、WBAはレギュラー世界王者以外にスーパー王者を作ったり、WBCは正式王者以外に暫定王者を設け、タイトルが乱立している状態だ。そのため4つの団体の思惑も絡んでなかなか統一王者を作るのが難しい。そんな中で、『ザ・リング』誌は各階級に一人、“最強”のチャンピオンと決めた者に非公認のチャンピオンベルトを贈呈している(3年前に井上も貰った)。それは創刊当時から100年も続いている儀式(4団体が出揃った90代に一度廃止になったが02年に復活)。ファンの中では「そのベルトを持つ者こそがそのクラスで最強王者だ」と信じられている。それにしても一つの雑誌社がこれほどの権威と影響力を与えている例は他のスポーツではないだろう。

 『ザ・リング』誌は、かつてボクシングだけでなく、プロレスも扱っていた(ザ・リング・レスリングというプロレスだけの雑誌を発行している時期もあった)。同誌はプロレスラーにもベルトを作って渡していた。その一例がハワイ・ヘビー級のカーチス・イヤウケアやリッパー・コリンズ、キンジ渋谷らが締めていた「THE RING」のロゴの入ったベルトだ。なぜ、ハワイなのか、フライシャーが静養先のハワイでプロモーターのアル・カラシックかエド・フランシスに贈呈したのだろうか(その辺はハワイの専門家マハロくんに調べてもらうか)。どっちにしても同雑誌のベルトを選手に贈呈するという行為は古今変わらないようだ。「ゴング」も景気のいい時期に松本徽章と組んでそんなことやっても良かったかもね…。

リッパー・コリンズのリングスベルト姿。

 それはともかくとして、私は79年の初渡墨の時点でボクシングの世界にPFPがあることを知っていた。プロレス世界にPFP理論を持ち込んだのは私が最初であろうと思う。メキシコでは「リブラ・ポール・リブラ」(LPL)という。リブラはポンド、つまりイギリスの重さを計る単位のこと。正確に言うと「エル・メホール・リブラ・ポール・リブラ」(ウェイト制の垣根を取り払った最強戦士とでも訳しておこうか)。メキシコのプロレスには79年当時、ヘビー級からライト級まで5階級(UWAは6)あって、2団体の世界王者は11人、5階級のナショナル王者も入れれば16人がPFPにエントリーの対象となる(無冠でも強ければ候補になれるのだが…)。

 私はメキシコ滞在中にそれらの王者たちの試合をすべてチェックした。その王者の中で一番優れていると思ったのがUWA世界ウェルター級王者のボビー・リーだった。帰国して「まだ見ぬメキシコの強豪たち」の連載を始めた時に私は「パウンド・フォー・パウンドはこの男」と、はっきり書いている。スピード、テクニック、技の引き出し、戦術、ファイトIQ、受け身の技術、パフォーマンス…ありとあらゆるツールで、彼は他の王者たちより抜けた存在だった。残念ながら81年に大怪我をして選手生命を絶たれてしまったが、78~79年は絶対にこの男の技術が突出していたと思う。活躍時期が限定されているためかメキシコでは決して評価が高くない。それでも「彼こそ間違いなくPFP級だと太鼓判を押したのは私だ!」と胸を張って言える。

ボビー・リーは78~79年のPFPだった。

 あの時点でランキングとして考えていなかったから、2位以降は誰だったのかを決めてなかった。でも、改めて振り返るとこんな感じか。2位リンゴ・メンドーサ(NWA世界ミドル級王者)、3位マノ・ネグラ(NWA世界ウェルター級王者)、4位ブラックマン(UWA世界ライト級王者)、5位グラン浜田(UWA世界ジュニア・ライトヘビー級王者)、6位ミル・マスカラス(IWA世界ヘビー級王者)、7位カネック(UWA世界ヘビー級王者)、8位サングレ・チカナ(ナショナル・ミドル級王者)、9位アメリコ・ロッカ(ナショナル・ウェルター級王者)、10位フングラ・ネグラ(UWA世界ミドル級王者)、次点がドス・カラス(ナショナル・ライトヘビー級王者)とフラマ・アスール(ナショナル・ライト級王者)。

 この年の9月にサトル・サヤマがリンゴを倒してNWA世界ミドル級王者になった。そこから翌年3月にベルトを落としたまでの在位期間に彼がPFPに成れたかどうかも検証してみる。まず2月に2位にしたリンゴを破ったという点では1位になれる要素は十分だ。同年6月までサヤマと2勝1敗の戦績だったNWA世界ライトヘビー級王者のアルフォンソ・ダンテスは、1月にラウル・マタに一度ベルトを奪われたのがマイナス点といえる。ランク上位へ進出するであろうNWA世界ウェルター級王者のアメリコ・ロッカをサヤマが自らの防衛戦で破っている点も大きい。またチカナや元世界王者のトニー・サラサルを破って防衛戦を重ねていることも評価できる。そのサヤマのライバルとなるのは未対戦のUWA世界王者たちだろう。11月に三階級を制覇した浜田が世界ライトヘビー級王者となったのは敵対団体のサヤマに対する牽制と新日本の先輩としての意地のようなものを感じる。2月の時点で1位指名したボビー・リーを6月に倒して二階級制覇を達成しているエル・シグノは3位以上には入るだろう。またサヤマ在位期間になおも赤いベルトを守り続けているブラックマンも引き続き上位にはランク出来る。そんなことを妄想しながら、多少ひいき目に見て、サトル・サヤマはPFPの1位に相応しいチャンピオンだったと思うのである。

赤ベルト時代のサトル・サヤマはPFPか…。

 こういう話を肴にして、私とクリスチャン・シメット弁護士とならば、ボクシングファンたちのように延々と飲み続けることが出来るだろうと思う。日本のルチャ・ファンたちもマスク話ばかりに偏らないで、ルチャの歴史や個々の選手のキャリアといった本質に目をやってほしいと願う。来週発売のGスピリッツVol.64の「アリーバ・メヒコ」はロス・ブラソスの前編。ブラソ・デ・オロとプラタの兄弟…彼らはパウンド・フォー・パウンドに顔を出すようなシングルファイターではなかったが、来年で90年になろうとするルチャ・リブレの歴史において、歴代のタッグチームの第何位に入るのか…そんなことを考えてみるのも面白いかもしれない。これだけの肴でセルベッサ「TECATE」を5本くらい飲めそうだ。

 そして7月2日のトークショーも10日後に迫って来た。Gスピ発売の3日後だから、現場で本の感想など一声でも聞かせてくれたら…嬉しいね。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅