ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第577回】カッコいい女将

 天龍さんの奥様・嶋田まき代さんが亡くなられた。お通夜と葬儀に行ってきた。故人には生前とてもお世話になった。小佐野景浩くんが週刊ゴングの編集長を降りて編集企画室へ入り、交代に私が週刊に復帰してしばらくしてからだったと思う、私は「天龍番」をしていた。全日本時代から天龍さんを知る記者は週刊の編集部に私しかいなかったからだ。天龍さんのようなレジェンド系の昭和の大物は私がすべて請け負うことになる。その頃(フリー→WJ→フリー)になると天龍さんの周辺には昔からの番記者が減ってきていたので、天龍さん自身も寂しがってか、古参の私を大事にしてくれた(それは長州さんも同様)。

 私は調子に乗って天龍さんによく無茶ぶりをした。「山梨の鶴田さんの墓参りに行きませんか」、「社台スタリオンステーションと日高の馬産地に行きませんか」、「健介&北斗の新築の豪邸に行きませんか」。そんな時、天龍さんは「ああ、いいですよ」と言って、決して拒否はしなかった。健介&北斗家の畑で採れた野菜を大量に車に詰め込み、「これ、お店で使えるかも」と持って帰ったことも…。だからあの頃、取材でもプライベートでも『寿司処しま田』によく行った。あそこはあの当時、天龍さんの事務所を兼ねていた基地だったからだ。その女将がまき代さん。WAR時代には出過ぎず、引っ込み過ぎず、絶妙な立ち位置で経理とマネージャーとして縁の下から団体と天龍さん自身を支えた。フリーになってもマネージメントを続けてきた気丈夫な奥さんがお寿司屋さんのカッコいい女将にハマっていた。

 私の勧めで天龍さんが一口馬主になった時、「こんな高い馬買って奥さんに怒られないですか」と尋ねると、その場・北海道から奥さんに「馬買ったよ」と電話し、その後「ウチのかみさんにも…」と別のクラブのウマを購入した。そんな奥さんへの気遣いがいいなと思った。天龍さんの馬が初勝利を上げたときにはお店でささやかな祝勝会をする。「一つ勝つのって、大変な事なのね」とまき代さんはしみじみ言っていた。こんなこともあった。「しま田」の個室で天龍さんと佐々木健介と鈴木みのるの三者対談をしたことがある。私が書く記事じゃなかったけど、セッティングした手前、現場に立ち会う。対談後の酒席…鈴木はその時、天龍さんとほぼ初対面に近かったのだが、悪酔いして絡んだのだ。「何が天龍源一郎だ!」と手を出す。グーパンチが顎を掠めて小さく切れた。大きな指輪をしていたからだ。「落ち着け、座れ」と天龍さんはあくまで冷静だった。健介が止めに入るが酔って興奮した鈴木は収まらない。すると女将のまき代さんがバッと入って来て「他のお客さんがいるので、騒いだり暴れるのはやめてください!」と割って入ったのだ。その毅然とした態度、振る舞い、あの時のまき代さんはマジで格好良かった。私よりもずっと年上の姉御と思っていた。時には天龍さんの姉さん女房のようにも見えたことも…。でも私と同じ歳、それも1ヵ月後の生まれだった。なのに強い人だなあと思った。そして優しく明るい女性だった…。

 葬儀の席で天龍さんはこう挨拶した。「カミさんと一緒になったときに“日本一のプロレスラーにするから”と言われ、毎回そういう目で見られて来たから気が抜けなくて、相撲からプロレスラーを始めてやっと一人前になれたのもカミさんのお陰です」。実に勝手ながらも、今、天龍さんの夫としての苦しい心境がわかるのは、同じく妻を亡くしたばかりの私のような気がする…。あちらは公私ともに父親を支える娘さん(紋奈さん)がいて、こちらは一人息子がいる…嶋田家と清水家は似た構造になった。これからも励まし合い、学ばせてもらうことがあれば受け入れたいと思う。そして天龍さんにはいつまでも元気でいていただきたい。プライベートでも、私の妻も、私の息子も、それにマスカラス一家も、まき代さんには大変にお世話になった。そう、マスカラスは奥さん、娘さんたちと美味しいお寿司をまき代さんにご馳走になったことがある。「えっ、本当か、すごくショックを受けている。特にワール(WAR)ではあの夫婦に世話になった。テンルー夫妻のことはずっと気にかけていたんだよ。メヒコからしっかりお祈りしておくよ」と訃報に接したマスカラスからも連絡してきた。清水家とロドリゲス家からも、たくさんの感謝の意味を込めて、合掌したいと思う。

 さて、本日はGスピリッツVol.64の発売日。本はもうみなさんの手元にあるだろうか。特集は天龍さんも邁進した「“王道”全日本」。今回、私は巻頭の川野辺修氏のインタビューを担当している。川野辺さんは東京スポーツに半世紀も席を置き、黄金の全日本全盛期の担当記者。私の業界の先輩で、私自身が「この人がパウンド・フォー・パウンドだ」と言い切れるプロレス界最強新聞記者である。70年代後半から80年代…プロレス会場で、暗黙のうちに現場を仕切るリーダー格が川野辺さんで、いつもピリピリしていて正直怖かった。私たちのような“少年探偵団”は、ゴマハエのようで川野辺さんにとって目障りな存在だったかもしれない。仲良くさせてもらえるようになったのは、まだゴルフ初心者だった川野辺さんを私がゴルフ場に誘ってからだった。90年代にはプライベートで記者仲間たちとよくゴルフに行ったし、川野辺さんには日本スポーツ出版社の春秋コンペにも参加してもらった。今回は恐れ多くも川野辺先輩に“あの時代の全日本”をたっぷり語ってもらった。正直、会心のロングインタビューだったと思うので、是非読んでいただきたい。また、大塚直樹さんの連載も今回が最終回。短期集中連載と謳ったが、大塚さんの話は聞けば聞くほど奥が深いので、気づくと9回になってしまった。いよいよIWGP開催からクーデター、新日本退社と、まさかのラストスパートに入る。こちらも楽しみにしていただきたい。

 そして明々後日(7月2日)は午後2時から、「ビバ・ラ・ルチャVol.45」が開催されます。ゲストは予告通り小林和朋氏(新日本プロレスファンクラブ『炎のファイター』編集長、週刊ゴング副編集長、新日本プロレスオフィシャルマガジン『闘魂スペシャル』編集長)。80年代にゴング編集部で活躍し、その後90年代にも新日本に大きな影響を与えたマルチエディター&ライターである。テーマは『猪木とマスカラスと竹内イズム ~俺たちの青春 ゴング愛を語ろう~』。彼の口から、ミスターゴング・竹内宏介から学んだもの、アントニオ猪木の凄さ、そしてなぜだかミル・マスカラスの素晴らしさが語られる。今回、月刊ゴング時代からの戦友である小林くんをゲストに招くにあたって、彼の得意技を逆利用して、私がこれまで43回のトークショーで一度もやっていない超裏技、いや新スタイルのショーを披露する予定…。また、後半にはサプライズが連発するので、お楽しみにしていただきたい…。では、土曜日に巣鴨でお会いしましょう

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