越後の次は蝦夷地へ…。6月15日から22日間、昨年に続く2度目の初夏の北海道遠征を敢行した。といっても、2月の日高&網走・知床に続く今年2度目のブルー・デモン号に乗っての北海道への旅である。昨年は道南と道央を丹念に廻ったが、今年はいよいよ道北だ。最終目的地は40年ぶり4度目の利尻島・礼文島である。これを成し遂げるために車を買い、昨年は前哨戦までやった。私にとって利尻・礼文は何年経っても青春を過ごした最北の楽園……ここを改めてじっくり見て回ることは、人生最後の大目標の一つである。私はこういう旅をしている間、頭脳のプロレス領域を10%くらいに狭めて、先々の行程ばかりを考えて動いている。越後の旅もそうだった。真の目的の合間に行き当たりばったりで、馬場さんの故郷へ寄ったり、闘牛場へ行ったり、現地の体育館に寄ったりしている。
でも、今回は出発前に少し時間があったので、利尻・礼文へ行く道すがらのプロレス古戦場を予習しておいたので、頭脳のプロレス領域を30%に広げた旅となった。道北は北海道の中でもワイルドで遠く、交通の便が良くないので、なかなか足を運ぶ機会がない。故に、行くからには何事も見落としのないように北上する作戦を取ることにした。

オンシーズンに入ったせいか、大洗~苫小牧のフェリーが満員だったので、東北道を八戸まで走って、そこからフェリーで苫小牧へ渡る。北海道初日は道東道で占冠(しむかっぷ)を経由し、金山湖を経て富良野に入る。倉本聰の『北の国から』やラベンダー畑で有名な富良野……1980年代前半、ゴングに入社したばかりの私は仕事が忙しくて、そのテレビドラマを一度も観たことがないし、人気のファーム富田にも行ったことがない(正直、人の集まる観光地は苦手だ)。まずは「富良野スポーツセンター」へ寄ってみることにした。以前、書いたように道内には「スポーツセンター」と名の付く体育館が多い。現場に行くと体育館が2つ並んでいて、サブアリーナの方が1973年からある古い施設だと説明を受ける。

恐らくここで最初にやったプロレス興行、これがこけら落としか……それが73年9月1日、全日本『ワールド・チャンピオン・シリーズ』第12戦だ。メインは馬場&大木vsハーリー・レイス&ボボ・ブラジル。次は76年6月6日の新日本。猪木はアリ戦に備えて帰京し、メインは坂口&柴田vsハリウッド・ブロンドスだった。全日本は77年1月14日の厳冬期にも来ている。メインは馬場&鶴田&大熊vsマーク・ルーイン&キング・イヤウケア&カリプス・ハリケーン。81年7月12日には新日本が再度使用し、猪木が初登場。猪木&長州がマスクド・スーパースター&バッドニュース・アレンを破っている。全日本は82年10月にも来た。メインは馬場&ドリー&鶴田vsブルーザー・ブロディ&ニコリ・ボルコフ&ドリーム・マシーンである。

さて、この日は滝川市泊と決まっていたので、富良野から空知川を下りながら国道38号線を北西へ。途中、芦別に寄ったので、ここにある「芦別市青年センター」を覗いてみた。私は芦別に来たのは初めて。今は1万人ちょっとの人口だが、かつて炭鉱が栄えた時期には7万人もいたという。芦別の最初のプロレスは73年8月26日だから、前述の富良野での全日本『ワールド・チャンピオン・シリーズ』と同じシリーズの第8戦だ。メインは馬場&デストロイヤーvsハーリー・レイス&ダン・ミラーで、セミがボボ・ブラジルvs高千穂。でも、会場名は「芦別市青年会館前広場」とあるので屋外だったようだ。どこにそんな広場があったのかは不明だが、観客5000人と発表があるので、かなりのお客が来たことが想像できる。芦別といえば若松市政(将軍KYワカマツ)。若松さんの出身は函館だが、1999年に芦別市議会議員(通算6期)となり、現在も市議として活躍しているという。国際は晩年の80年7月20日にこの青年センターを初使用している。係の方によれば、体育館はその年に完成したようだ。本当に可愛らしい小さな体育館だった。

興行のあった日は日曜日ということもあって、試合開始は変則の15時30分から。観客は1500人。恐らく若松さんが買った興行だったと思われる。バトルロイヤルの後の第1試合で若松は菅原伸義をコブラツイストで破っている。メインは木村&大木&寺西vsジプシー・ジョー&スパイク・ヒューバー&ジェイク・ロバーツの6人タッグだった。

私はそこから滝川市へ入る。雪を被った暑寒別岳の手前に中空知の平野が広がる。時間があったので、この日のうちに「滝川市青年体育センター」に顔を出してみた。滝川は札幌まで約80km、特急で52分、車で1時間半。人口3万9000人、中空知地区の中心都市だ。プロレスは67年5月28日、日本プロレス『ゴールデン・シリーズ』がここで開幕戦をしている。使用されたのは二の坂町東の「滝の川運動公園」内にある「滝川市営球場」で、メインは馬場&猪木&吉村vsドン・レオ・ジョナサン&ダッチ・サベージ&アイク・アーキンスだった。ちなみにこの公園は滝川屯田兵練兵所の跡地だった。

この運動公園には「青年体育センター」と「滝川スポーツセンター」が並んで建っている。青年体育センターは69年着工で70年8月に完成した同市初の屋内体育施設で、現在は「滝川市スポーツセンター第2体育館」として現存している。一方の第1体育館は80年代にできたものである。72年11月4日に「滝川市体育館」の名で国際プロレスが興行を打っている記録があるが、おそらくこれは「青年体育センター」のことだろう。

そして何と言っても、日本プロレスが最晩年とはいえ、インターナショナル・ヘビー級選手権をやったということで、滝川の名はプロレス史に強くインプットされることとなる。73年1月12日の大木金太郎vsビー・レッドライオンで、テレビ中継もあった。力道山、馬場と受け継がれた日本の至宝がこれほど小さな地方都市(当時の人口は僅か5万人)で開催されたのは、これが初めてだった。故に「嗚呼、天下の日プロも遂にここまで落ちぶれてしまったのか……」と悲しくなったのを思い出す。でも、私の頭には「滝川」の地名がしっかり残った。

日プロも崩壊したその年の12月、全日本がここを初使用している。馬場&鶴田vsサンマルチノ&コワルスキー(ありえへんチーム)がメインで、インター王者の大木はセミ前でミッキー・ドイルと目立たないカードが組まれている。新日本がここを初めて使ったのは79年9月21日。アントニオ猪木初登場の滝川大会のメインはビル・ドロモとのシングルで、弓矢固めで勝利している。営業部長だった大塚直樹氏によると、プロモーターだったのは滝川在住の『ワールド企画』の堀裕宣さんという方で、当時、地元のここと旭川、留萌、砂川などをやられていたようだ。

それにしてもこの日、3つの市町で体育館を見学させてもらったが、意外や昭和のものが現存しているのに驚かされた(北海道はスゲーッ!)。実はその翌日からの旅でも昭和の掘り出し物件が次々に現れるので、私自身もびっくりだった。次なるレポートをお楽しみに……と言っても、まだここは道央。目的の道北に足を踏み入れていない。まあ、長い旅は始まったばかりである。