
本日はGスピリッツVol.80の発売日。今、私は日本最北限の礼文島に滞在しているので本は読めません。だけどコラムの内容は先週の続き…5月末日、新潟県三条市で馬場さん関連の施設を訪ね、三条市厚生福祉会館のプロレス史を垣間見た後のお話。新潟の旅の最終日、私は長岡に泊まった。プロレスの取材では帰京圏内のため、ここに泊まった記憶がない。翌朝、小千谷市へ行き、「熊よけホーン」の猛犬バージョンを多用しながら薭生城というマイナーな山城に登る。晴天なのはいいが、あまりの暑さにバテた。午前10時に下山。次に南魚沼の六万騎城というのを落とす予定を暑さで断念。「南魚沼産のこしひかりをJAの直売所で買って帰ろうかな」と方針変更する。でも「いやいや、せっかく小千谷まで来たのに…何か別に行く所はないかなあ」と思い、ピコーンと閃いた。「そうだ、闘牛場へ行こう!」。小千谷の山中には闘牛場がある。またその奥の山古志(長岡市)にも闘牛場があるのを思い出したのだ。“闘牛場ハンター”(!?)の私としてはプロレス会場ではないが、この2つは行っておく価値があると判断したのである。

私が一番多く通った闘牛場はエル・トレオ(メキシコ州)。他にはメキシコシティにある世界最大のプラサ・デ・トロス・メヒコ、エル・コルティホを制覇し、モヌメンタル・モンテレイ、ヌエボ・プログレッソ(グアダラハラ)など主要三大都市のメイン闘牛場もルチャ観戦でコンプリートしている。地方ではチルパンシンゴのサン・マテオでAAA大会も取材した。3年前のこのコラム(第614回)で触れたように日本では81年5月に宇和島闘牛場で新日本プロレスを取材し、沖縄ではプロレスではないが99年11月に安慶名グスクを見に行った際に安慶名闘牛場を見学した。沖縄県にはうるま市石川多目的ドーム、沖縄市営闘牛場、石垣島の八重山闘牛場が現役のようだ。最も盛んな徳之島には「なくさみ館」や伊仙などの闘牛場があるようだし、島根県の隠岐島のモーモードーム、岩手県の久慈市山形町には平庭闘牛場など、日本各地に現役のプラサ・デ・トロスが存在している。旧闘牛場の跡地を入れたら、まだまだ行きたい所はいっぱいあるが、この小千谷と山古志の現役闘牛場は押さえておかねばなるまい。

まずは小千谷の闘牛場へ行ってみよう。場所は日本一の大河・信濃川が流れる小千谷市の中心部から東へ約10キロの山間部。途中、朝日山古戦場への入り口があった。ここは1868年の戊辰戦争(北越戦争)の大激戦地で、長岡藩vs長州藩&薩摩藩の新政府軍が激突して、多くの死傷者を出した。時代が時代ならば徴兵されて、ジャイアント馬場&キラー・カーンvs佐山聡&長州力&栗栖正信&荒川誠のハンディキャップマッチがあったかも…(長州人は奇兵隊だから志願兵か)。標高341mの朝日山の山頂周辺には砲座や塹壕が遺構として残っている。また、この山間部へ入ると棚田のように錦鯉の養殖場があちこちに出てくる。新潟県の古志郡二十村郷(現在の小千谷市と長岡市の一部)と言われるこの山間部は錦鯉の発祥の地として有名だ。それと同時にこの二十村郷は1000年の歴史を持つ「牛の角突き」…つまり闘牛の発祥の地(諸説あり)とも言われている。

朝日川を国道291号で遡った標高約250mの小栗山に小千谷闘牛場がある。別名は小栗山闘牛場。広い駐車場は開催時の人気のバロメーターでもある。その奥に巨大な牛のような「みまもり岩」がご神体のように鎮座していた。2004年10月23日の中越地震でこの地区は壊滅的な被害を受けたことは記憶に新しい。その日にこの岩は割れたという。厄難から市民を守ってほしいという願いから名づけられた巨岩で牛につけられる面綱がかけられている

闘牛場は斜面を利用して作られていた。恐らく片面に観客席を作るためだろう。杉林の中にあって、神社の境内のような厳かな雰囲気を感じさせ、酷暑の中でも涼やかな風が吹き抜けていた。これまで見たことのない和を感じさせる味のある闘牛場である。ウウウッ、私は箱のような体育館よりも、こういうすり鉢状の円形競技場を見ると、興奮してくる(前世は牛か…)。メキシコでは開催時に陽が当たる暑い席が「ソル」、日陰の席を「ソンブラ」と言って料金が違う。ここも屋根のある席と斜面側の席では条件が違いそうだ。雨天決行なので、屋根のある席が良さそうだが、斜面の席も味がある。この地区…二十村郷において牛は家族の一員で、守り神として崇められ、雪深い地に春が来ると「牛の角突き」をして老若男女で楽しむという文化が根付いた。戦後、農業が機械化されたために牛の数が減少して闘牛は一時途絶えたが、地元有志の努力で復活し、1978年に国の重要無形民俗文化財に指定された。なるほどここでは宇和島とは違う神事のようなものを感じ取った。ここでの闘牛は勝ち負けがなく、引き分けにするのがルールのようで、農家の大事な家族の一員である牛を傷つけないのが基本のようだ

小千谷闘牛振興協議会主催の開催は5月から11月の第1週の土曜日か日曜日の月イチ。だから年間7回しか使われていない。小千谷市内にはかつて市民体育館があって、73年9月5日に新日本は馬場のお膝元の中越に初進出。この日、メキシコから来たアナコンダ(TNT)が蛇を持ってメインに登場している。この体育館は2008年3月に閉鎖され、1996年3月に完成した立派な総合体育館が役割を受け継いでいる。どっちの体育館も街のど真ん中で至便がいいのでわざわざ山間まで行く必要があるかと言えば首をひねるが、あれだけ大きな駐車場があるのだから闘牛場で一度、プロレス大会をやってほしかったと思う。そこにアメリカからブル・ラモス、ブル・カリー、スペインからブル・べドウ、メキシコからブファロ・サルバヘ、エル・トレロ、オスカル・セビージャ、日本代表は林牛之介…誰でもいいから出ていたら面白いと妄想を膨らませる。まあ、今からでも遅くない、どこかのインディーにここをお勧めしたい。それはともかく、今度は闘牛の開催日に行ってみたいと思う。

さて、次回はさらに8km奥へ行った山古志闘牛場へ行った話を書きたい。