ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第593回】永久の立体造形を

 私は全国各地の城跡(近年はほとんど山城)を見て回るということを数十年続けてきた。先日、城好きで有名な藤波さんにお会いした時に「ええっ、5000城も行っているの!?」と呆れられた(実は日本全国に3~4万ある)。誰とも群れない趣味だったのだが、数年前に「本を出しませんか」と、ある出版社に頼まれる。「いや、まだ行きたい所、調査したい山城があるのでもう少し時間をください」と言ってから随分経った。その後、何度か入院して奇病で死にそうになったりもしたし、妻にも先立たれたりと、猪木さんの晩年にも似た身辺となって…何とか持ちこたえた。プロレス関連の執筆の合間に山城本の原稿をこつこつ書いているが、現場へ調査に行くこと自体が好きで、あそこも、ここもと、増えていき遅々として進まぬ状態に…。ということで、健康を取り戻して、かつてのプロレス巡業取材の延長線で未だに日本全国各地をくまなく巡回している。道なき山奥の城跡へ登るのと同時に、行く先々で何気に写真に収めてきたのが戦国の武将たちの銅像だった。

 有名なのは甲府駅前の武田信玄像(塩山市に2体、中央道双葉SAにも信玄像はある)と仙台城の伊達政宗の騎馬像(胸像は麓にある)だろう。名古屋城と熊本城、熊本市本妙寺にある加藤清正像はどれも強そうな雰囲気で良い。数が多いのは上杉謙信像…川中島古戦場の信玄との一騎打ち像を始め、春日山城、米沢城、上越妙高駅前、上越埋蔵センター前、秋葉公園、謙信公武道館前、プロレス会場にもなる上越リージョンプラザ前などいっぱい存在する。“三英傑”ならば織田信長像は岐阜駅前や岐阜城山麓、清州城、安土駅前、福井県越前町織田などにあり、豊臣秀吉像は大阪城内の豊国神社、長浜駅前と長浜城内、生誕地の名古屋市・中村公園…それから有馬温泉にもある。徳川家康像は駿府城内と浜松城公園、東岡崎駅前にある。他にもメジャー、マイナーに関わらず武将たちの銅像や騎馬像が全国各地に点在している。

私の好きな高知の長曾我部元親像。

私が個人的に好きなのは鹿児島・伊集院駅前にある島津義弘の騎馬像、島根県安来市の三日月公園の尼子経久騎馬像、高知市の若宮八幡宮にある長曾我部元親初陣像、タッグチーム編ならば米沢城内の上杉景勝&直江兼続像。武将ではないガイジン部門では大分駅前のフランシスコ・ザビエル像…(大分市大手町にもう一体、長崎県平戸、鹿児島市内にもあった)。戦国以前ならば、今、『鎌倉殿の13人』で注目されている源頼朝の銅像は鎌倉・源氏山公園、政子との夫婦像は韮山の蛭ヶ小島公園にある。専門外だけど幕末の偉人の銅像も多い。坂本竜馬像が高知の桂浜と高知駅前、香南市創造広場、長崎の風頭公園、品川区北浜川児童遊園地…それ以外に京都市内に5箇所もあるらしい(竜馬が恐らく最多だろう)。せごとん…西郷隆盛像は上野公園と鹿児島県美術館付近と霧島市の鹿児島空港近くにある。ちなみに「東京三大銅像」は上野の西郷さん像、皇居外苑の楠木正成騎馬像、靖国神社の大村益次郎像といわれている。こうした偉人の銅像に興味持った方はネット等でどんな像なのか調べるのもいいし、一つずつ歩いて回られてみてはいかがかな…。

それで、何でこんなマニアックな銅像の話をたらたらしているかというと、「アントニオ猪木像」が出来ないものかなと思ったからである。猪木さんほどの“偉人”ならば、銅像の一つ、あってもいいと思う。先週、猪木さんがかつてモデルになった仁王像(木造)の話を書いたが、今度は猪木さん自身の像を造るべきなのではないかと思った。ご存知のように池上の本門寺の力道山の墓所の前には胸像がある。あの胸像は力道山が亡くなった翌年の6月19日にリキパレスで除幕式が行われ、会場の入口横に設置された。死して半年の建立だから行動がかなり早い。リキパレスが身売りした後、本門寺に移されて現在に至る。私が見たいのは武将たちのような全身像だ。馬場さんだって本来ならば三条の駅前に実寸209センチの銅像がほしいところ。馬場さんの銅像が未だに存在しないなら、先手を取ってアントニオ猪木像を建立すべきと思うのだが…。

本門寺の力道山の墓所前の胸像。

プロレスラーの全身像で思いつくのはエル・サント(他に誰かいたかなあ…イタリアの生まれ故郷にブルーノ・サンマルチノの銅像あり)。没後10年目の94年、聖者の銅像が出来たのは生まれ故郷イダルゴ州のトランシンゴ。市内には本名の「ロドルフォ・グスマン・ウエルタ通り」もある。それとは作者の違う2体目のサント像はメキシコシティのテピート地区に出来た。2006年5月9日の除幕式には私も立ち会った。ホストはイホ・デル・サントで、サントファミリーだけでなく、ミル・マスカラス、ペロ・アグアヨ、ティニエブラスなどレジェンドたちがズラリと列席し、テレビ中継もあった。ここはもともと治安のとても悪い地区なのだが、聖者像の周辺は「エル・サント庭園」として整備され、その一角だけは明るくなった。メキシコは銅像が大好きな国で、いろんなロータリーにコロンブスやベニト・フアレス、モクテスマなど歴史上の偉人の銅像がたくさん見られる。サントもルチャの大英雄として、映画スターとして、この国の偉人の一人となったわけだ。

トゥランシンゴのエル・サント像。
2体目のサント像除幕式を取材。

お墓までお参りに行くのはファン…猪木さんの功績と世間的な知名度の高さを考えれば、万人が身近に勇姿を拝めるモニュメントが必要だと思う。もし銅像を作るのなら、作者(彫刻家)の選定も慎重に…そしてリアルなものにとお願いしたい。いつ頃の、どんなポーズにするかも大事なポイント。私は薄っすら脂肪の乗っている1970~71年当時の身体が一番立派で綺麗だと思う。やや手を広げたポーズがいいかなあ。みなさんは、いつのどんな時代のどんなポーズがいいですか…。そして何処に設置するかも大事だ。猪木さんゆかりの地って何処だ? 何処に銅像を建立するのがベストなんだ?

さっきの武将たちの銅像が設置されている場所を思い出してほしい。自分の生まれ故郷か、居城だった城址公園か、ゆかりの土地の駅前である。たとえば新日本旗揚げの地…大田区の体育館の前? いいかもしれないけど…うーん、どうかなあ。あるいは生まれ故郷の生麦の駅前? 確か駅前は狭くて、そんなスペース無かったよなあ。近場の駅で一番大きくて、総持寺の門前に位置する鶴見駅前なんてどうだろう。駅前にロータリーがある。人目に付くならここがいいか…。そういう目線で先日、鶴見駅へ行ってみたけど、二層構造の圧迫感のあるロータリーだったので、どうかなあと思った。

猪木さん生家近くの岸谷公園の図。

私の個人の勝手な第一候補地は生家(すでに消滅)の目の前にある「岸谷公園」。ここは神奈川県東部特有の谷戸(丘陵地が浸食されて形成された谷状地形)の中にある。このアップダウンだらけの地形が寛至少年の足腰を鍛えたはずだ。擂鉢状の住宅地の底にポツンと位置する岸谷公園…昔ここには房野池という池があって、1919年に山崎生糸商の財によりこの池と周辺地には「三笠園」という自然公園が作られたという。房野池は1920年のベルギーのアントワープオリンピックのための日本人選手たちの水泳の練習場なり、五輪の予選も行われている(日本はメダル獲れず)。ちなみにその4年後にアントワープで生まれたのがカール・ゴッチ。経営難で三笠園が閉園後、1937年には池は埋め立てられて跡地に市の公園と横浜市営岸谷プールが出来る。現在も岸谷公園内には市営プールがある。猪木家の自宅の目の前にあるから寛至少年と兄弟たちは絶対にこの公園で遊んでいたはずだ。愛犬の散歩にも行っただろうし、夏はプールでも泳いだことであろう。現在、遊具がポツポツあるだけのこの公園はそこそこ広い。ここならば何処にでも銅像が置けるスペースがある。場所的にやや不便だけど「アントニオ猪木公園(パーク)」とでも改名すれば聖地になって人が集まるような気がする。先週書いたように、ここから総持寺へ歩いて15分ほどで行ける。

 その総持寺の猪木家の墓の区画内も銅像設置の候補かも…。総持寺は本門寺よりも広い。総持寺には猪木さんと金曜日夜8時のライバルだった石原裕次郎の墓所もあるが、ボスの銅像はない。他に黛敏郎、水原茂など有名人の墓も多い。猪木家の墓所のすぐ手前には、中村流抜刀道の初代宗家で「八方斬り」の中村泰三郎師範のお墓があり、お隣は神風特攻隊の創始者である大西瀧次郎海軍中将のお墓がある。猪木さんを守ってくれるかもしれない仁王様としては凄すぎる顔ぶれだ。先週、改めて猪木家の墓所を見て来たけど、灯籠をどかさないと銅像を建てるようなスペースは確保できないなあ…と思った。みんなさんならば、何処に「闘魂アントニオ猪木像」があったらいいなと思いますか?

日本の八百万神は古来、聖なる山、岩、巨木、森などに宿り、ご神体には決まった形がなく、人の目に触れないもので、姿などなかった。次第にご神体を囲う茅葺の社や宮が出来ていく。そこに大陸からの渡来技術による瓦葺きの仏教寺院の巨大な本堂や五重塔が出現し、人々は未来建築に驚愕する。さらにその堂に納められているのは姿のあるご本尊となる仏像。日本人はこれを観て驚き…初めて人の姿形のあるものを拝むようになり、仏教に傾倒していくわけである。「猪木さんは、それぞれの心の中で生きている…」と言えば、その通りなのだが…やはり確かな姿がほしい。写真や映像だけではない目に見えるアントニオ猪木の立体的な造形を残してほしい。生命体としての個人・肉体が消えてしまっても、文化として歴史として次世代に残す不変の物こそが必要になると思うのだが…どうだろう。銅像を作るのにいくら費用がかかるのかわからないけど、募金をすれば、「猪木ロス」の今なら集まりそうな気がする。ちなみに上野の西郷さんのときは全国の有志による寄付金が主だったという…。謙信公のように、あちこちに何体あったっていい。建立場所が何処であれ、サント像の時のように除幕式があったら是非駆けつけたいものである。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅