ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第636回】親ウルトラマン

 今回のメキシコへの旅で胸を打ったことがあった。それはウルトラマンの自宅訪問だった。メキシコシティ郊外のネッサワルコヨ地区はちょっとデンジャラスなエリアだが、アレナ・ネッサワルコヨ、アレナ・サン・ファン・パンティトラン、アステカ・ブドーカンなどの大小アレナが密集している地区。目的はツアー客のみなさんをアルトゥーロ・ブシオ親子の本家と、次男グスタボ&三男へラルドのブシオ兄弟の分家へお連れしてマスク工房を見学することだった。私がかつてここへ来た時は大御所にアルトゥーロSr.が健在だったが、2014年に他界している。アニベルサリオの前日で忙しい中、ブシオ一家はどちらの工房でも我々を歓待してくれた。M78星雲は地球から300万光年離れているらしいが、ウルトラマンの家は、ブシオ本家から10分くらいの距離だった。

ウルトラマンのおうちのディスプレイ。

 メヒコのウルトラマンの正体はハヤタ隊員ではなく、ミロ・ベンチュラ・チャベス。近年、体調を壊して、ボケが進んで記憶が定かでないということを耳にしていた。会って私のことがわかるか、わからないか…実にデリケートなところ。行くべきか、スルーするべきか悩んだ末に突撃することにした。彼に初めての出会いは1979年2月3日、アレナ・アパトラコの控室。前日のアレナ・コリセオでサトル・サヤマとパク・チュー(木村健吾)のタッグ対決を観た私は、彼らの宿舎ホテル・サンマルコのソファーで寝て、翌日佐山さんに付き合ってヒムナシオ・ハム・リーへ行く。その日、佐山さん(EMLL)は休みだったのでUWA系のアパトラコに連れて行った。まだ、敵対関係にあった両団体だが、プロモーターのラウル・レイジェスは佐山さんを快く迎え入れてくれ、リングへの眺めが良好な入口売店の中に席を用意してくれた。この日ウルトラマンはブラックマンと組んでセミ前でクロネコ&ネグロ・ナバーロと対戦。セミがソリタリオ&アニバルvsペロ・アグアヨ&フィッシュマン、メインがボビー・リーvsソラールの世界ウェルター級選手権。そこには後の新日本に関係していく重要人物がラインナップされていた。佐山さんが後に新日本のマット戦うことになる彼らを初めて観た日でもあった。

79年6月、京王プラザホテルで。

 その後、私はウルトラマンとトレオ、ソチミルコ、ベラクルスなどいろんな会場で顔を合わせて親交を深めた。確かソチミルコの控室ではインタビューをしている。物静かでソフトな感じの好青年という印象(と言っても私より9歳も年上)。ウルトラマンは、その年の6月に初来日する。この来日で人気者になったウルトラマンだが、レフェリーのミスター高橋にいじめられて辛い目に遭った話は以前に書いたと思う。82年6月の再来日ではタイガーマスクと初対決した。あのアパトラコから3年経過していた。この時はポリスマンとしてエル・ポラコ(クチージョ)が帯同していたが、最終戦の横須賀市総合体育館(7月8日)でウルトラマンと試合後に喧嘩していた。あれはかなりマジだったよ(映像の残っている…)。そんなことよりも、ウルトラマンはメキシコで挙げた私の結婚式にも来てくれた。誰も招待していないのに、自主的に参列してくれたのだ。教会のステージの上に立って新婦の入場を待つ私は孤独と不安で少し落ち着かなかった。こちらから見えるのは薄暗い客席に詰めかけた教会の信者たち。「私たちが通う教会でハポネスが挙げる異例の結婚式」を好奇の目で見つめる顔、顔、顔…でフルハウス。壇上で私はしばらく晒し者状態になる。その見知らぬ顔の中に銀色の仮面が一つ光っていた。「あっ、ウルトラマンだ!」と、私は安堵したのを今でもよく憶えている。

結婚式の後、素顔のウルトラマン。
マスクを被り直してみんなで記念撮影。

 82年が最後の来日と思いきや、それから20年後…2002年4月28日の横浜アリーナでまさかの再会をしている。彼はソラール、マノ・ネグラとともに『PRIDE20』に招待され、アレクサンダー大塚(vs菊田早苗)のセコンドに付いている。この時に横浜で会って以来だから、あれから21年ぶりか…。病魔を侵されているとはいえ、私のことを憶えていているだろうか…不安混じりで居間に通される。そこにミロは座っていたけど、ツアー客たちが突然、押しかけたので彼はビビッて、その場から奥へ逃げ出そうとした。この手の症状の老人にはよくある行動のようだ。

ビビった彼に昔の写真を見せて…。

私は彼を追って、79年の初来日の京王プラザホテルでのツーショット写真や結婚式の写真を見せた。すると「ああ、これは俺だ。それでこれは…おおっ、あんたトマスか…」と思い出してくれたのだ。「そう、そう、俺だよ」。「うんうん、こんなことあったなあ。思い出したよ…お互い若い…」といろんなことが頭を巡ったのであろう。「もう44年も前の写真だよ」と私。息子のウルトラマン・ジュニアも、奥さんも頭がスムーズに回って昔を思い出したお父さんの姿に胸を撫でおろすように安堵の笑顔を浮かべた。心を落ち着かせたミロは居間の自分の定位置に戻り、みんなのサインや写真撮影に応じた。彼がスペシウム光線のポーズを取るとツアーのお客さんから期せずして歓声が起きた。帰り際、私は思わず涙を流してしまった。それは“もしかしたら、これが今生の別れかもしれない”…そう思ったからである。同じようにそう思って2015年のグアダラハラで別れたブラックマンは翌年亡くなっている。アルベルト・ムニョス(ホワイトマン)の時もそうだった。ウルトラマン76歳…まだ元気でいてほしい。

ツアーのお客さんたちとシュワッチ!

 さて、今度の日曜日はいよいよ『第4回チャンピオンベルト・カーニバル』。生誕50年にあたるPWFヘビー級王座…そのチャンピオンベルト2本を前にして新説を発表しよう。73年に始まるPWF…89年に三冠に統一されるまで、馬場さんの意図で複数のベルトがどのように使われて来たのか、そこにどんな意図があったのかを解き明かす。それと同時にいくつかの謎を残したことも報告したい。さらにテキサス地区の67年~81年のアメリカン・ヘビー級のベルトにも遭遇できる。PWFのベルトはハンセンが何度となく締めているが、こちらのアメリカン王座はあの超獣ブルーザー・ブロディが執念を燃やし、4度も巻いたベルトだ。そこに秘められたいくつかの謎を解き明かして行きたい。このベルトを巻いての撮影会ではブロディのように吠えてみてはいかがかな。これは鉄の爪フリッツと親交があり、ブロディの親友だった吉澤幸一さんに見せたかった逸品。「えっ、本当にあのアメリカンのベルトなの。それはすごいねえ」という吉澤さんの驚きの声が想像できる。アメリカンだけでなくPWFのベルトも、実はテキサスに深く関連している。今回は昭和全日本の歴史とともに、テキサスのプロレスがよく学べる会になりそうだ。その意味は巣鴨に来ていただければよくわかるはず…日曜日は是非、『闘道館』へお運びください。

アメリカン王者時代のブロディ。

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