ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第635回】帰国報告と告知諸々

1週休ませてもらって、5年ぶりのメキシコへ行ってまいりました。ルチャ・リブレ90周年記念大会(アニベルサリオ)を取材するのが第一の目的。すでに2ヵ月前にチケットはソウルドアウトで、当然の如く超満員。史上初の独立記念日の開催とあって雰囲気は独特なものに…。メインのマスカラ・コントラ・マスカラはテンペラリオがドラゴン・ロホ・ジュニアを破ってマスクを剥いだ。場内は大興奮だったが、私的に残念だったことが2つあった。一つはこのマスカラ戦が1本勝負だったこと。CMLLは絶対3本勝負でしょ! それはないよって思ったのは正直な話…。もう一つはセミのカベジェラ戦。以前にもあったけど、これもルール的なもの。ウルティモ・ゲレーロ&アベルノvsボラドール・ジュニア&アンヘル・デ・オロによるカベジェラ戦。タッグで試合した後にパートナー同士がシングルで髪の毛を懸けて戦い、敗れた者が坊主になるわけ。しかし、なぜ、タッグで負けたチームが退場して、勝ったチームが残って髪の毛を懸けて戦わなければならないのか。それ、負け残りでしょ!負けたチームが最後にシングルで戦うのが筋でしょ。これだけは全く納得がいかなかった(私以外にも、その2点は「ありゃ、おかしいよ」と嘆いている者がいたから、だから私の指摘は決して間違いではなかった)。パニコを含め、CMLLのマッチメーカーさん…その辺を、今後のために再考願いたい。ともあれ節目の90周年は無事に終了、めでたし、めでたし…である。

アレナ・メヒコはフルハウス。
ドラゴン・ロホは泣いてマスクを脱ぐ。

ただ、もう一つ、今回の旅で私をガッカリさせたのは、この国に唯一残っていた専門誌の『ボクス・イ・ルチャ』誌が廃刊になってしまったことである。コロナで休刊して、その後、復活したものの、再度ストップ…。同誌は電子版のみ生き残ったものの、ルチャの紙媒体はメキシコから消えた。全盛期には6~7の週刊誌が出版されていて街角のブックスタンドに鈴なりになっていたのに…超寂しい限りである(これについては日を改めて書こう…)。私が記者席に座っていたらカマチョ・ルイス編集長がやって来て「これらは最後の時期のボクス・イ・ルチャ誌だよ」と6冊ほどの雑誌をプレゼントしてくれた。また私の隣に座っていた女性から「あのー、ドクトル・ルチャのトマス・シミズさんですよね。カマチョからお噂を聞いています。ご一緒に写真を撮っていいですか」と声を掛けられた。彼女、ノルマ・アギラールは電子版『ボクス・イ・ルチャ』の記者だった。試合中はノルマとお話しながら楽しく観戦できた。「次回、メキシコに来られた是非、インタビューをさせてください」と何度もお願いされる。「いいですよ」…って言ったということは、またメキシコに来なくてはいけないってことだよね。会場ではCMLL社長のサルバトル・ルテロ・ロメリ氏にも再会できて90周年のお祝いを言えたし、アトランティス、オクタゴン、フエルサ・ゲレーラらレジェンドたちにも再会できた。結果的にかなり満足の一日でした…。

お隣のノルマ記者と。

それから「メキシコ観光」さんの“ルチャを極めるツアー”のお手伝いをして数日間、ツアーのお客さんたちと行動を共にした。会場はパラシオ・デ・ロス・デポルテス、アレナ・コリセオの見学。エル・マテマティコ、ドス・カラスとの連日のファンミーティング、マスク職人ブシオの本家と分家の工房見学、ウルトラマンの自宅訪問、ベビー・フェースやスペル・アストロの店での昼食。もちろん、プラチナチケットによるアニベルサリオ観戦。ファンフエスタではカネック親子、ドクトル・ワグナー・ジュニア、ビジャノ4号、ドス・カラス、ティニエブラス、エル・アルコン、マノ・ネグラ、ランボー、ピエロー・ジュニア、アルコン78、ロス・パヤソス、スペル・アストロ、ケンドー、パンティーダ、イホ・デ・ブラック・シャドー、スペル・ラトンらのレジェンドたちに会えた。オプショナルツアーでクリスチャン・シメットの超お宝マスク鑑賞会、サントのブティックと墓地、世界最大の闘牛場プラサ・デ・トロス・メヒコ見学…。とにかく、これでもかとばかりのディープな中身に…参加者のみなさんは、超満足のツアーで“極まった”のではないかと思う(また行きましょう!)。

ウルトラマンのお家を訪問しました。

メキシコ国際空港でツアーのお客さんたちを見送った翌日、10月20日に闘道館でマスク職人の「ローリン」ことミゲル・アンヘル・アギラール氏のトーク&マスク即売会をやることが決定した。それを私のトークブランド「ビバ・ラ・ルチャ」の第50回でやることに…。私はその日、ローリンの工房にお邪魔する。ポスター用や宣伝用の写真の撮影をするためだった。工房にはローリン・ファミリーが全員集合していて、食事を用意して私を歓待してくれた。気さくでとても素晴らしい家族に心が温まった。10月20日は金曜日だけど、いろいろ趣向を凝らして、お待ちしますので、マスクマニアのみなさん是非、ご来場ください。

本日はGスピリッツVol.69の発売日です。ルチャといえば、この号で元ルチャドールのゴクウこと小林和孝クンが「柔術とルチャ・リブレの関係」という学術的な研究論文を執筆している。なかなかの力作なのでご一読を…。私は“黒掌仮面”マノ・ネグラのライフストーリーの前編を書いている。マノ・ネグラは93年のアニベルサリオ60周年でマスクを取られた。それから20年後のアニベルサリオ80の時に私は彼の自宅でインタビューをした。それが今回の前編の元ネタだ。そしてあれから10年…アニベルサリオ90のあった今回、私は再びマノ・ネグラの自宅を訪れる。先週の火曜日のことである。今回の再訪は10年間、溜めに溜めた質問をぶつけるためで、それは12月発売の後編に活かされることになるだろう。まずは前編を読んでいただきたい。

マノ・ネグラの家に10年ぶりに…。

さて、「ローリン」より先にやるイベントが10月8日(日)の『第4回チャンピオンベルトカーニバル』。こちらはルチャ色、ゼロ。だからお客さんの層も違うはず。毛色がまったく違うけど、私のコアなトークショーが好きという方はどちらもお運び下さい(二刀流が頑張ります)。10・8のメインは創設50年目にあたる全日本の至宝PWFヘビー級のチャンピオンベルト。通説では純金製と金メッキの2本あるとされており、これが同時に姿を現すのは今回が初めてのことである。それだけではない。我が師匠・竹内宏介も生前「PWFは2本あった」と断言したまま天に召されてしまったが、近年の調査で「いや、3本ある」ことが発覚。さらにはごくごく最近の研究で「おいおい、4本あったよ!」というまさかの結論を導き出すことになる。今回は天国の竹さんに「えっ、4本も! 本当だ…よく調べたねえ」と褒めてもらうために、みなさんの前でその研究成果を発表したいと思う。来ていただいた方たちに、PWFベルトを通して全日本プロレスの裏面史を探る旅にいざないたいと思う。

さらにもう一本、“鉄の爪王国”のお宝…アメリカン・ヘビー級のチャンピオンベルトも登場する。これは1967年にフリッツ・フォン・エリックが新設したタイトルで、ベルトは初来日時のバーン・ガニアのAWA世界王座に酷似した初期のレジー・パークス製。このタイトルはフリッツが16回獲得し、15度腰に巻いたフリッツのほぼ私物のようなもの。他にザ・スポイラー(ドン・ジャーデン)、バロン・フォン・ラシク、ジョニー・バレンタイン、ボリス・マレンコ、プロフェッサー田中、ワフー・マクダニエル、ビリー・レッド・ライオン、ブラックジャック・マリガン、ブルーザー・ブロディ、ビッグジョン・スタッド、オックス・ベーカー、ケビン・フォン・エリック、エル・アルコンら強豪たちが巻いてダラス、ヒューストン、サンアントニオなど南部・中部・北部テキサス州の広域で防衛活動をやった由緒正しき初代ベルトである。ちなみに同タイトルの2代目ベルトはグレート・カブキやテリー・ゴディら巻いていて、フリッツも引退時に1度締めている。今回のトークショーでは西部のアマリロ地区のタイトルの歴史にも触れることになるので、テリトリー時代のテキサス州全土のタイトルのあれこれを学ぶことができます。是非、ご来場ください。

フリッツとアメリカンのベルト。

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