ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第597回】皇居かアレナ・メヒコか

 もうみなさんご存知の通り、ミル・マスカラスへの叙勲伝達式が18日のアレナ・メヒコで行われた。マスカラスが叙勲したのは昨年秋で、本来ならば去年の「文化の日」(11月3日)に皇居で執り行われるはずだった。「日本に来るんですか」と連絡すると、「コロナ禍ではとても日本に行けないよ。たぶん、メキシコの日本大使館でやることになると思うよ」との答えが返って来た。でも、その後、メキシコからはそういうニュースは伝わって来なかった。急展開したのが、9月末頃だったか。メキシコの日本大使館サイドのアイディアで、CMLLサルバドル・ルテロ・ロメリ代表(Ⅲ世)に「アレナ・メヒコのリングで伝達式が出来ないでしょうか」を問い合わせる。そしてロメリが「11月18日の定期戦で…」と快諾したのだ。前週にはアレナ・メヒコのイベント用スペースで日本大使館大使代理とロメリ代表、そしてマスカラス本人が出演してのテレビインタビューが収録された。「伝統あるアレナ・メヒコのリングで栄えある叙勲を受けるのは光栄なこと」とマスカラスは述べている。

「本当は皇居に行きたかったよ。私ほど天皇陛下や天皇制を勉強してきたレスラーはいないだろう。この勲章の価値がどんなものなのかも、私はよく知っているつもりだ。だから…」。そういうだろうと思った。車で皇居の前を通るたびマスカラスは「ここはパラシオ・デ・エンペラドールだろ」っと呟くように訊ねる。あれは90年代末だったか…私はマスカラスと一緒に皇居へ行っている(ドス・カラスも一緒だった)。と言っても、江戸城本丸・二の丸・三の丸のある東御苑(ここは一般公開)。さすがに不謹慎だから内部でのマスク着用の写真撮影はしなかった。素顔の兄弟は天守台や富士見櫓、松の廊下跡などを観て回る。「エンペラドールは何処に住んでおられるんだ?」。「あっちだけど立ち入り禁止ですよ」。指をさした方向に皇居、吹上御所がある。それは江戸城の西の丸に当たる。「そうか、元旦と天皇誕生日にしか一般公開していないのか…」。「それ以外なら桜のシーズンに限定で特別公開されますよ。私は天皇誕生日と春と計2度行ってます。それ以外なら、叙勲すると、秋に招待されますけどね…」。この時点でマスカラスも、私もまさか叙勲があるなんて夢にも思わなかった…。プロレスラーの叙勲は2017年のザ・デストロイヤーとマスカラスのたった2人…。意味合いがまったく違ってもWWFの殿堂入りより遥かにハードルが高い。

「旭日雙光章」(旭日双光章)は「きょくじつそうこうしょう」と読む。別名は旭双。英語では「The Order of the Rising Sun, Gold and Silver Rays」。スペイン語では「Orden del Sol Naciente, Rayos de Oro y Plata」(これをベタに直訳すると、金銀の光を放つ陽いづる国の勲章)となる。これは勲章「旭日章」の6等級のうち勲五等に相当する章で、国や公共に対し功労のある者に授与されるものである。伝達式の際、福嶌教輝・駐メキシコ大使はこう言った。「日本では誰もがあなたのことを知っている」。最近のことは知らないが、初来日した1971年から二十年くらいは「日本で一番有名なメキシコ人はミル・マスカラス」という時代が続いた。では、「それ以降で有名なメキシコ人は誰?」と問いても、恐らく誰の名前も挙がらないと思う(せいぜいフリオ・セサール・チャベスくらいか…)。40歳後半以前の人ならば「メキシコ人?昔、ミル・マスカラスってプロレスラー居たよね」ってなるはずだ。それもそのはず、あの頃はゴールデンタイムに毎週登場し、「メキシコのミル・マスカラスです」と宣伝されていたわけだから…。メキシコ大統領の名前は言えなくてもマスカラスの名前は浮かぶ…。ソンブレロを被ったチャロの衣装、アステカ王朝の羽根飾りの衣装…マスカラスの日墨交流で果たした成果は計り知れなく大きい。

福嶌大使は続ける。「あなたのお陰でメキシコのルチャ・リブレが日本に広まり、多くの日本人の若者たちがこの国でそれを学んだ」。まさにその通り。マスカラスがいなければ、日本人のメキシコへの関心、ルチャ・リブレへの興味は湧かなかったであろう。メキシコで修行した選手は200人くらいいるだろうか。マスカラスが日本でサクセスしていなければタイガーマスクもいない。もちろん、ドクトル・ルチャもいない。

 タキシードに身を包んだマスカラスの襟には日の丸がデザインされた勲章が光る。福嶌大使から手渡された証書にはこう書かれていた。

「日本国天皇はメキシコ国人 アーロン・ロドリゲス・アレジャノに旭日雙光章を贈与する 皇居において璽をさせる

 令和三年十一月三日 
 内閣総理大臣 岸田文雄
 内閣府賞勲局長 小野田壮」

 日本では早くからマスカラスの本名は「アロン・ロドリゲス」と公開されていたが、本国メキシコで公表されるのは、これが初めてのことである。マスカラ戦で負けた選手以外で、本名がリングから発表されるのは例がない。「51年前に日本デビューで成功したことがファンから信頼と称賛を得る機会を与えてくれた。それを支えてくれたメキシコのファンにも感謝したい」とマイクで挨拶すると、場内から「メヒコ、メヒコ!」の大コールが巻き起こった。メキシコ人たちが、この叙勲の意味をどれだけ理解できたか疑問だが、それでも私は皇居でなく、アレナ・メヒコのリングで出来たことが素晴らしい、美しいと思った。亡くなった猪木さんより4つ年上で、今年83歳になるマスカラスが自分の足で歩いてリングインし、伝達式のセレモニーに臨んだ。それも57年前に首都圏デビューした思い出の地で…。レスラーとしてこれ以上の舞台でのフィナーレはあるまい。私はこれが花道、引き際だと思っている。本人は「ミル・マスカラスは永遠に引退しないよ」と断固否定するだろうけど、私は「ここでいい。これがラストのリングインでいい」と思う。

「私は日本人であることを誇りに思っていますよ。それと同時に貴方のファンであったことも誇りに思っています。叙勲おめでとうございます」と伝えると「テンキュー、グラシアス」を連発し「日本は私の人生を変える国だったよ」と呟いていた。私は「これで引退…」の言葉をゴクンと飲み込んだ。「落ち着いたら、また日本に行くから…」とのお言葉。「是非!」。

私はこう思った。長年、猪木派と馬場派がどうの…と言われてきたけど、時間が経って令和まで残ったのは、猪木派とマスカラス派だったのではないかと…。

いや、派閥とかではなく、どっちも好きだという人もいるよな…。

カタール・ワールドカップ予想。オランダ-イングランド-フランスの3連単ボックス。メキシコはベスト8、日本は予選敗退。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅