ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第598回】背景の観察

 板橋の自宅を整理するのに10ヵ月かかった。異常なほどの荷物量だった。板橋のマンションはゴング編集部に通勤しやすくするため、竹内さんが紹介してくれた不動産屋から89年に買った物件だが、このたび売却を完了。今月20日に引っ越しをして横浜の実家に移った。そして昨日、36年ぶりに「横浜市民」にカムバックする。白金の生まれ故郷より1979年にここ綱島に引っ越してから結婚する84年までの5年間横浜市民だったが、それ以来の浜っ子復帰である。ここからゴングに通ったのは81年1月から…ボビー・リー、ペロ・アグアヨ、リスマルクがこの家にやって来たのは懐かしい思い出だ。そんな大事なアミーゴたちは一人も残っていない。夢の白金台復帰はとっくに諦めた…だからここを部分的にリフォームしながら終の棲家にしたいと思う。

リスが来た翌月に結婚して世田谷へ。

 先日、車で通って「ここかあ」と見上げたのは、猪木さんの亡くなった白金台のマンション。信号で止まって、手を合わせた。ここは私の母親の実家の目の前、父親の高校の隣と言ってベストプレイスである。ここは「王者」が去るのに最高の場所だ。ここからならば馬場さんの恵比寿のマンションだって見下ろせることだろう。猪木さんの遺骨は3月7日の「お別れの会」以降になりそう。また、分骨の話もあったようだが、結局、総持寺のみにお骨が入ることになった様子。そして私が希望したように、お墓には銅像が建つという。先日、実弟の猪木啓介さんとお話したけど「猪木家の墓の隣の空き地はもう1億くらいするらしいですよ。今ある猪木家の墓所は6坪。本門寺の力道山の墓所をモデルにして改装中です。銅像も造る予定ですよ」と教えてくれた。詳細はGスピリッツの次号インタビューにて。その取材の時に「胸像ではなく、出来れば銅像を…」と私の意見もお伝えしている。そういえば、この間、ある新聞で胸像は約800万円、銅像は約1600万円(土地を含めて)が相場という記事を読んだ。まあ、出来るということであれば、どちらにしてもめでたし…である。

 さて、先日発売されたGスピリッツアーカイブスVol.3『燃える闘魂アントニオ猪木』。あの表紙の写真は、いつ?何処?誰との試合?という答えを出さないとね。正解は1980年9月30日、日本武道館でのケン・パテラ戦です。写真のコンセプトとしては、「相手はもちろん他の人間が極力写り込まないもの」だった。それでも正解者がいるのが素晴らしい。なぜかと聞けば「あれだけ高い位置に非常灯があること。武道館は奥行があるのでバックが真っ暗になるんです。この日はお客が入らなかったから照明類を落として特に暗くしています。それに武道館でやったNWF戦はパテラだけですから」という模範解答。これはプロレスの写真に限らずの話だが、背景を読み解く観察眼は日ごろから養っておくべきだと思う。

愛知県体育館は照明と客席の傾斜が特徴。

 プロレス会場であったら、リング越しに見える観客席の形状、天井のライトの形、天井の模様などがヒントになる。我々の場合は控室へ行くことが出来るので、控室の背景、リングへの導線、踊り場の位置、壁や通路の雰囲気、窓、ドアの形状などを日ごろから観察しておく必要があった。中島体育センターならここ、愛知県体育館ならここ、旧大阪府立体育会館ならここ、後楽園ホールならばこことこことか、写真が撮れそうな場所、背景は頭に叩き込んでおいた。いろいろ猪木増刊が出るのは結構だが、蔵前国技館に入ったことのない世代が編集していては構成もキャプションも滅茶苦茶…。それは商業誌として恥ずかしい。リキパレスに入ったことのない私でも、台東区体育館とリキパレスの背景の違いはわかる。つまり普段からどれだけ真剣に一枚の写真と向き合っているか…である。天下一のアントニオ猪木が亡くなったとあれば、余計に時代背景と一枚一枚の絵を大事にしてほしいと思う。

愛知県体育館の控室は控室の窓に特徴が。

 引っ越しと役所、銀行めぐりで疲れたから今回はここまで…。今日から真面目に原稿を書こう。いや、本日(30日)は誕生日なので、出来れば緩い一日にしたい。

 

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