ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第563回】旗揚げ年の記録(1)

 新日本プロレスの東京での50年記念行事は終わったが、ここではNWF世界ヘビー級のチャンピオンベルトや実物のIWGPの初代チャンピオンベルトの展示はなかった。これらは新日本の歴史そのものなのに、一体何処へ行ってしまったのかと思う。50周年という大事な節目に現れないということは、どういうことなのだろうか…。2001~2002年頃に猪木事務所に貸し出されて?から、新日本への返却がなされなかったのか、その辺があやふやでよくわからない…。今、誰がどう管理しているのか、心配になってしまう。

日本プロレスから綿々と続くインターナショナル・ヘビー級王座やUNヘビー級、アジア・タッグのベルトは所在もしっかりしている。東京プロレスのUSヘビー級然り、国際プロレスのIWA世界ヘビー級、全日本のPWFヘビー級など、日本マットの歴史を飾った主要なベルトも現存が確認されている。なのに、なぜNWFは出て来ないのか…これもまさしく日本プロレス史における有形文化財…ファンの目の届く光ある場所へ、ぜひとも御開帳してもらいたいものだ。

展示された旗揚げ戦の公式記録用紙。

今回展示されたものの中にリングアナだった大塚直樹氏が72年3月6日、大田区体育館で付けたオフィシャル記録の現物があった。そこには当日の天気なども日記のように記されている。この新日本オフィシャル記録と東京スポーツに掲載された記録…それを写してまとめたのがゴングの「プロレス熱戦譜」、この2つを見比べると、いろんな違いがあるのに気づく。

旗揚げ戦の外国選手メンバーと日程。

その一つがドランゴ兄弟。東スポの記録はドランゴ兄弟をジム・ドランゴ(ボブ・アームストロング)、ジョン・ドランゴとは書かずに「ドランゴ兄」、「ドランゴ弟」と記している。第2戦の高崎市体育館と第4戦の愛媛県民会館でドランゴ兄は猪木とシングル対戦しているが、この2試合だけは正解なのだが、他の12戦すべてが兄ジムと弟ジョンの記録が逆になっているのだ。東スポの番記者はジムとジョンを逆に憶えてしまったのだろうか。大塚氏のオフィシャル記録では全戦「ジム」、「ジョン」と正しく書かれている…にも関わらずである。記録マニアのバイブルである「プロレス熱戦譜」だったが、我々は50年間、違う記録を信じ込んできたことになる。

以前にも触れたように『オープニングシリーズ第1弾』でアントニオ猪木は「地獄固め」という新技を多用している。最初に出したのは第2戦の高崎でのジム・ドランゴとの60分3本勝負の1本目。技の形はリバース・インディアン・デスロックの体勢からブリッジしてチンロックで決めるというもの。だが、この日の新日本のオフィシャル記録では「インディアンデスロック」となっている。2本目は卍固めを決めてストレート勝ち。猪木の新日本初勝利の決まり手は卍だった。これまでにも卍は、ここぞという時にしか使わない。前年11月1日、東京体育館での『第2回NWAタッグ・リーグ戦』の優勝決定戦でキラー・コワルスキーに決めて以来の卍だった。

高崎大会で初公開された地獄固め。

「地獄固め」は東スポが勝手に命名した技のようだ。初使用翌日3月14日の桐生市体育館でのインカ・ペルアーノ戦の1本目にも使われた。その時のオフィシャル記録は「変型背骨折り」とある。大塚リングアナは前日の「インディアンデスロック」を翌日には「変型背骨折り」としたのだ。以後、16日の松山でのジム・ドランゴ戦の1本目、20日の宿毛でのペルアーノ戦の1本目、24日の川崎でのペルアーノ戦の2本目でこの技を使用する。大塚氏はそのたびに「変型背骨折り」と書き続けるが、東スポはあくまで「地獄固め」とした。ゴングもそれに準じて地獄固めとグラビアで書くが、テレビがないのでこの名称は浸透せず。

他に『オープニングシリーズ第1弾』で気になる点は、3月18日の高知県民ホールでの柴田勝久がイワン・カマロフに決めた技。大塚氏は「メキシカン足固め」と記しているが、東スポはただの「足固め」と記す。恐らく東スポは高知へは取材に行っておらず、電話で大塚氏から口頭で結果を聞いたのだろう。長い技名だと新聞の記録に入りづらいからか、メキシカンの部分をカットしたのだと思われる。大塚氏は「アバラ折り」とは書かず必ず「ゴブラツイスト」と記している。日本のプロレス試合記録の技名が全部、和名になっているのは、新聞社が文字数の関係で縮めたいがためにそうなったのである。フィギュア・フォー・レッグロック→足四の字固めなどは、その最たるものだろう。それにしても「メキシカン足固め」ってどんな技なんだ(?)。

記録を簡潔に書いたがために分からない技もある。このシリーズでも魁勝司、ジム・ドランゴが出した「背骨折り」…どんなバックブリーカーなんだ(?)。藤波が最後の2戦で浜田に決めた「足固め」。これだけではどんな技だったのか想像できない。大塚氏は新日本に入社するなりいきなりリングアナに配置されたので、わからない技が急に出て来ても仕方ないのかもしれない。私も本部席にいて、リングアナに「今の技、ナニ?」と聞かれることがしばしばあった。たとえば、私ですら観たことないジャーベみたいな複雑な技が出た時には控室まで行ってやった選手に「今の技、何っていう名前?」と聞き、後でリングアナに教えることもよくあった。正しい技名を後世の残すためである(恐らく、そこまでする記者はいないだろう)。

   

気になったのは旗揚げシリーズの3月20日、足立区体育館のセミのタッグマッチ45分3本勝負、インカ・ペルアーノ&ブルックリン・キッドvs山本小鉄&柴田勝久。この2本目のところでキッドが小鉄から取っているのだが、オフィシャル記録帳では決まり手のところが空欄になっている。東スポのそこの部分を見ると「体固め」とある。足立区ならば東スポも取材に来てそうだ。東スポが「体固め」としたのならば、技名が分からないで大塚さんが空欄にしたとは思えない。控室に呼ばれてリングアナが本部席を外すというケースはよくある。私も「ちょっと見ていて」とリングアナに言われて席を外され、“早く帰って来ないかなあ”とゴングの木槌を握りして留守番したことが何回もある(さすがにゴングを鳴らしたことはない)。

『オープニングシリーズ第2弾』の開幕戦(4月28日=千葉県体育館)のタッグマッチの3本目…猪木はラシアンズAに「背骨折り」で勝利している。えっ、猪木が何か新しいバックブリーカーを使ったのか!? これは東スポの記録。でも、大塚リングアナのオフィシャル帳には「変型背骨折り」と記されている。そう、これは例の地獄固めだったのだ。この日、東スポの記者が来てないか、あるいは今までと別の記者が来ていたとも考えられる。大塚リングアナの記したものを写して「変型」を取って、ただの「背骨折り」と書いて社に送ったのだろう。新聞社のプロレスの記録とは、こういう曖昧の上に成り立っているのだ。

「背骨折り」は「地獄固め」だった。

アントニオ猪木は、人の目や反応を気にするタイプ。「これ技は客の受けが良くない」「見栄えが悪い」と思ったのだろうか。この千葉大会を最後に「変型背骨折り」はフィニッシュホールドとして消えた。確かにコブラや卍固めのように「出た!」というワクワク感のない地味な技であった。ただし、しばらくは繋ぎ技として生き残っている。でも、「おっ、地獄固めだ!」と合いの手を入れる者はいなかったであろう。死語になった技名である。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅