ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第777回】闘牛の島

先週、隠岐の島のプロレスに関して書いたら、いろんな意見をいただいた。1987年の新日本来島の週刊ゴングの記事を読んだら「過去に全日本と女子プロが来ているが…」と書いてあったので、それを信じたけど…誤りであった。なんと最初は国際プロレスだった。1967年8月5日、『パイオニア・サマー・シリーズ』第8戦で隠岐の島・西郷町総合グラウンドで興行を打っている。TBSプロレス以前の67年とは盲点だったね。メインは豊登&サム・スティンボートvsビル・ドロモ&ロジャー・カービー。セミはヒロ・マツダvsデニス・ホール、その下が覆面太郎vs井上末雄…。試合は土曜日の午後2時10分スタート。ハワイ好きの豊登とハワイ生まれのスティンボートが炎天下の離島で勝利を収めている。ここには東京スポーツとデイリースポーツが取材している。東スポはモンちゃんこと門馬忠雄記者を隠岐に送り込んでいた。そこには「隠岐にプロレスが来るのは初めて」と記されている。観衆は3000人発表。

昭和42年8月5日の隠岐大会を報じた東スポ。

実は全日本女子プロレスは隠岐に何度も渡っていることがわかった。最初はジャンボ宮本&赤城マリ子の時代…73年10月24日の隠岐ボウリングセンターと、マッハ文朱が加わった75年6月5日にも全女は同所で試合をしている。79年11月29と30日にはジャッキー佐藤、ナンシー久美らが隠岐島サンロード天神で連戦しており、80年7月19と20日には島前の西ノ島中学校グラウンドで連戦している。そして82年10月28日にはミミ萩原、大森ゆかりらがメインを張った西郷町総合体育館大会があった。んっ、もうその時期に総合体育館はあったのか。新日本は87年に総合グラウンド(野球場)だったのに…。私が今回覗いた隠岐の島町総合体育館(レインボーアリーナ)の定礎には2002年3月竣工とあったが、80年代に前身の体育館があったということのようだ…。それにしても全女恐るべしである。

さて、私はこの「島後」に3日間滞在して、一周約85㌔の島内をレンタカーで隈なく走り回った。6月に行った利尻島は一周約54㌔で中心に円錐形の利尻山が鎮座しているので島内を周回するだけしかなかった。ところが島後は道が狭くて一周するのも大変だが、島の中心にも見どころが詰まっていた。ここでの主目的は隠岐の主要な山城に登ることだったが、それ以外の時間で最初に訪れたのが、国分寺にある後醍醐天皇行在所だ。その横に「隠岐モーモードーム」という闘牛場がある。今年5月、新潟の小千谷と山古志の闘牛場へ行ったことをレポートしたが、まさか同じ年に全国で6ヵ所しかない闘牛の聖地の一つ隠岐に来るとは、思ってもみなかった。闘牛場ハンター(?)の私としては、外せないプラサ・デ・トロスである。

闘牛は「牛突き」「BULL SUMO」とある。
隠岐モーモードームの外観。
場内はこんな感じ。プロレスたって出来そう。

モーモードームは1999年3月に完成した木造屋根付きの全天候使用可能な施設で、雰囲気的に宇和島闘牛場を一回り小さくしたような感じ。牛と牛が戦う「角突き」は、1221年に「承久の乱」で敗れて配流になった後鳥羽上皇を島民が慰めるために開催したのが発祥と言われ、日本最古の闘牛とされている。中越でも800年で最古を名乗っていたが、どっちが先かはわからない。隠岐の角突きの習俗は2005年には県の無形文化財に指定されている。ここの本場所は8月15日で、それ以外に観光用の角突きもあるようだ。明治時代には「島後」だけでなく、「島前」の全島で闘牛が行われていたが、今では島後の3地域でのみ開催されているようだ。ということは、モーモードーム以外にも闘牛場があるということではないか。私は観光協会でもらった地図をつぶさにチェックすると、あった! 都万という集落から6㌔も山奥に入った所に「佐山闘牛場」という名が…。サトル・サヤマがエル・トレオに出場!みたいな名前に親近感を持ったが、とんでもない山奥にそれはあった。こんな所に闘牛を観に人が集まってくるのだろうかと首を捻りたくなるような奥地だ。すり鉢のような地形を利用した客席の作りは小千谷にも似ている。壇鏡神社の奉納行事「八朔牛突き大会」として行われるここの角突きは、毎年9月1日の八朔祭に行われてきたが、今年は9月6日に開催されたらしい。

佐山闘牛場はかなりの山奥。

さて、もう一つの闘牛場は何処か…。さっきの地図にはなかったが、グーグルマップを眺めていたら、あった、あった!五箇という集落の北方の山奥に「一夜ヶ嶽牛突き場」という名が…。一夜で山が盛り上がったという伝承をもつ岳山(361m)をバックにした闘牛場はとても絵になる。ここの角突きは一夜嶽神社の奉納神事として毎年10月13日に開催されるらしい。ここも中越と同じで、誰一人いない山中は静まり返っていた…。

一夜ヶ嶽闘牛場と岳山。

私はこの後、麓にある隠岐温泉GOKAで湯に浸かりながら考えた。「スペイン、メキシコの闘牛は牛vs人の戦い。日本のそれは牛vs牛だが、なぜどちらの国の闘牛場も円形なのだろう」「日本の闘牛場は沖縄も、久慈も、中越も、徳之島も、ここも、何処も似たような大きさのサークルなのはなぜだろう。誰がいつどう決めたのか」など、思いを巡らせる。そして休憩所で一息ついていたら、そこに今場所の取り組み表が置いてあった。

11日の取り組み表。

それを見ると、今年の開催は10月13日ではなく、明後日の11日ではないか。でも、私は明日、島前へ移動してしまうので、残念ながら観戦できない。その日、宿泊した隠岐プラザホテルには横綱プラザ号ののぼり旗がなびき、ロビーには展示物もあった。ホテルの方にお聞きすると「ウチの社長が代々プラザ号という名の牛のオーナーをしているんですよ。明後日は勝てるといいですね。横綱というのは強さだけでなく体重もあるんですよ」。メインで横綱勝負をするプラザ号は850㌔ある。相手の堅磐嵐は900㌔だ。次にその方の口から飛び出た言葉に私は絶句した。「8月のモーモードーム、9月の佐山、10月の一夜ヶ嶽の3つが本場所と言われています。本場所は真剣勝負で、負けた牛は食べられてしまうんですよ」。中越の闘牛は大事な農家の牛が出てくるので、どの勝負も引き分けにすると聞いたが、ここの闘牛はシュート…負ければ食われてしまうこともあるとは、マスカラ・コントラ・マスカラの遥かに上を行く恐ろしい話だ。島後には約250頭、この後に行く西ノ島には約900頭、知夫里島には約700頭の肉牛が飼育されているといわれている。確かに島前の島内は牛だらけで、道は徘徊する牛たちと牛糞だらけの牛王国だった。これだけ多くては食われても仕方ないか…。「プラザ号も西ノ島生まれで、他の牛たちも本場所に備えてフェリーで運ばれて来るんですよ」とのこと。地質的なものだけでなく、こうした牛突きの歴史と文化、人の営みを含めて隠岐の島は2013年に世界ジオパークに認定され、2015年に『隠岐ユネスコ世界ジオパーク』となっているのだ。今度は開催日に行ってみたいと思う。それにしてもなかなか興味深い島であった。

知夫里島の赤壁にいたコイツもいずれは?

さて、あと3日…10月31日(土)は闘道館で『ドクトル・ルチャと行くルチャ・リブレ・ツアー2026帰国報告会』。去年はエル・パンテーラとの抱き合わせだったけど、今回は特別なゲストがいるわけではない。出演者は私とメキシコ観光の伊藤さん、それとツアー参加者たち…だから入場料も気軽に来れる最安値にしてあります。

待ってまーす。

今年のメキシコも去年に負けないほどのコアなツアーをしてきました。恐らくみんなが高いと思った費用も、ツアー参加者たちにとって「この内容ならば決して高くないね」と思ってくれたに違いないと思います。たぶん、それは彼ら彼女らが予想していた以上の、濃密かつ倍返しの中身を盛り込めたからだと思っています。その上で参加者たちの希望、やりたい事を出来るだけ汲みあげることも忘れてなかったはず。ご存じのように私の旅の基本は一人旅。恐らく今回の隠岐と奥出雲の旅でも、私に付いて来るのは大変だったと思う。まず普通の人が行かない所へ行く。そして一日を朝から晩までフルに動く、時間を有効に使う旅を毎日毎日続けるのが“トマス観光”のスタイルだからである。長年そうした一人旅をして研ぎ澄ましたノウハウを団体旅行に応用したのがドクトル監修のメキシコツアーというわけ。そこに伊藤さんのマニアックかつ誠実な対応、そしてメキシコ観光ならではの安全性が保証されるわけで、ドクトル・ルチャ&チョンボ・イトウとの最強タッグだからこそ可能な、個人のメキシコルチャ旅行では決して出来ない体験や企画満載のツアーに仕上げられたという自負があります。是非、どんな中身のスーパーなツアーだったのか覗きに来てください。それを来年、どうしようかと迷っている方の一つの目標、参考にしてもらえればと思っています。そして当日は来年9月のツアーの概要も予告したいと思います。恐らくリピーターを含めて「それならば行きます!」となるのではないかな…と思う。是非、ご参加を…。そして当日は参加者全員へのメキシコからのお土産も用意しているし、現地入手のマスク等のオークションもあります。久しぶりにルチャの話を思いっきりしようよ。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅