メキシコ帰りで酷い時差ボケになった私は、それを逆利用して次の旅に出ていた。行先は島根県の出雲地方と隠岐の島。出雲には何度も行っているが、隠岐は初めて。以前から一度行きたいと思っていた島である。行くならば台風が減る10月半ばしかないと思っていたのでメキシコ出発直前の成田空港から隠岐の宿とレンタカー等の予約を入れていた。10月7日、私はブルー・デモン号に乗って横浜からほぼノンストップで松江まで走り、七類港に愛馬を置いてフェリーで約2時間半…島後の西郷へ渡った。

隠岐の島は島根半島の北、約40~50㌔に点在する4つの有人島から成る。ざっくり言うと丸くて大きな「島後」(一周約85㌔)と、中ノ島、西ノ島、知夫里島から成る「島前」がある。これらを総称して隠岐の島という。歴史的に言うならば「承久の乱」(1221年)で鎌倉幕府軍に敗れた後鳥羽上皇が配流された島で、19年後に上皇は中ノ島の配所で崩御している。また1331年の「元弘の乱」で幕府軍に敗れた後醍醐天皇が翌年流されたのもこの隠岐の島であった。だが、後醍醐天皇は1年後にこの島を脱出して挙兵し、これに乗じた足利尊氏、新田義貞の活躍で鎌倉幕府は崩壊…後醍醐は帰京後に“建武の新政”を発令する。こんな話は教科書に出ていたと思うが、要は歴史上、天皇クラスが流されてきた由緒ある遠島の地と思っていただきたい。また毛利元就によって滅ぼされた尼子氏再興のために山中鹿之助が尼子勝久を奉じて挙兵したのもこの島後である。

そうした日本史よりももっと古い歴史を追えば、これらの隠岐諸島はユーラシア大陸の縁辺にあった時代もあり、約600万年前の火山活動で誕生した島である。その貴重な地質資源と独自の生態系、そして歴史と文化、人の営みを含めて2013年に世界ジオパークに認定され、2015年に『隠岐ユネスコ世界ジオパーク』となっている。“大地の公園”とも言われるだけあって海岸線に点在する奇岩や絶壁、地層は極めて珍しく美しい。

そんな配流と大自然の島にもプロレスは来ている。最初に隠岐に渡ったのは全日本プロレスだ。1978年7月10日の『第一次サマー・アクション・シリーズ』第2戦の西郷町総合グラウンド大会がそれ。どの団体も松江まで何度も行ったとしても、そこから日本海を2時間半以上渡ってここまで来るのはリスクも大きかったようだ。フェリー代だってかなり高いし、海が荒れてフェリーが欠航になればリングも選手も島に渡れない。ちなみにこのシリーズの開幕戦は8日の後楽園ホールで、中2日の移動日が設けてあった。そしてこの西郷町大会のメインはアブドーラ・ザ・ブッチャー&ルーファス・ジョーンズvsジャンボ鶴田&ロッキー羽田。セミがジャイアント馬場&グレート小鹿vsキム・ドク&ワイルド・ドン・ウェイト。その下がキラー・カール・コックスvs大熊元司、ディック・スレイターvs肥後宗典、ウラカン・カステロ(フィデル・カストロ)vs渕正信…。西郷町総合グラウンドへ実際に行ってみる。ここは西郷町(2004年の市町村合併で隠岐の島町となる)の北の丘陵上の運動公園内にある野球場だ。この日の発表された観衆は2800人。1980年の隠岐の島町だけの人口が2万人だということを考えると、島全体から考えるとかなり少ないようにも思えるのだが…(現在の人口は約1万2千人)。

女子プロ…おそらく全女も隠岐に来ているようだが、それがいつなのかまでは調べが及ばなかった。わかる方がいたら教えてください。次に隠岐に来た男子団体は新日本プロレス。全日本から9年後の1987年7月27日。『ビッグ・サマーファイト・シリーズ』第24戦である。前日が兵庫県八鹿町で、この日が午後2時25分試合開始というかなりの強行スケジュール。月曜日なのに午後開始という変則開催だ。この時は「隠岐でプロレスやるのは珍しいから」と各社取材に行っている。ゴングも新日本担当の小林和朋記者が同行取材している。本当は私が行きたかったんだけど、ググッと我慢した憶えがある。

この時期は新日本本隊、ガイジン部隊、長州軍、UWF軍など30数名の大所帯で、さらにナウリーダーとニューリーダーが対決中だったから移動もマッチメイクも大変だったであろう(でも島に渡るのは呉越同フェリー…)。メインはアントニオ猪木&坂口征二&マサ斎藤vsバンバン・ビガロ&バッドニュース・アレン&ジョニー・スミスの6人タッグ。セミは前田日明vsバズ・ソイヤー。その下が藤波辰巳vsバイオレンス・ウォーロード、長州力&木村健吾&スーパーストロング・マシーンvs藤原喜明&木戸修&武藤敬司…全9試合もあった。平日の炎天下ということもあってか、発表は1820人と振るわずであった。現在もこの球場自体は昔の面影を残していた。ダッグアウトや照明灯などはほぼ昔のままであった。

たぶん、違うだろうと思ったのは、球場のライト線方向に体育館が建っていることだろう。「隠岐の島町総合体育館」は2002年3月竣工の新しい施設。別名レインボーアリーナ。ここでは昨年5月18日に大日本プロレスが松江だんだんプロレスと組んで“地方創生プロジェクト第8弾 Battle of Oki しまじ創業55周年記念 しまじマニア”と題して、地元ホテルや企業とタイアップして全席自由の入場無料の大会を開催している。利尻礼文の時もそうだったが、大日本が隠岐にまでやって来ているとは…大したものである。隠岐の旅については来週もう一度触れたいと思う。

そうそう旅といえば、あと10日…闘道館で『ドクトル・ルチャと行くルチャ・リブレ・ツアー2026帰国報告会』(10月31日=土曜日)が迫って来た。脳内をメヒコに戻さないといけないね…。

この報告会は2年前から低料金で細々と開催してきた。なぜ、このイベントをやるかというと、ツアーの内容を報告して、“来年行こうかな”と悩んでいる方の気持ちを後押しするという意味が強い。もちろん、メヒコに行きたいけど行けない方に行った気分になってもらいたいというのもある。でも、本当は一番見せたい人がいるからで、ツアーに行けなかったその人のためにツアー内容を報告して喜ばせたいというのが本音だ。彼の名は岡田清二くん…3年前の第1回ツアーに参加したメンバーで、ドクトル・ルチャの一番のサポーターであり、現在のドクトルマスクのデザインをしたのも彼だ。17年前の『第1回ビバ・ラ・ルチャ』の時からのアミーゴを超えたコンパニェロ(同志)である。ところが彼は2年前の春に路上で倒れて救急搬送…。心臓の手術を受けた後に意識を取り戻してリハビリ…そして今年再手術を受けて、現在もリハビリ中である。私はツアーを開催するたびにメキシコとルチャを愛する彼の熱いハートを、現地に持って行っているつもりだ。いつか元気になった彼を再びメヒコへ連れて行ってあげたい、喜ぶ彼の顔が見たい…そんな気持ちを胸に今回も報告会をやりたいと思う。