旧・ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第537回】CSからYouTube

 おいおい、なんで大谷もダルビッシュも先発登板の日なのに、NHKのBS101は中継をやらないんだ(昨日、火曜日)。そして今日も大谷出場予定のアスレチックス戦があるのに、なぜ放送しない。オリンピックは実質的に土曜日から始まるのに、どういうこと!? これまで開幕戦からずっと放送してきたのに、ちゃんと責任取ってやってよ(これ、相当、抗議がいっているはず!)。サブチャンネル(BS102)だってあるわけだしさ、五輪期間中だって出来るよ。国営放送はここへきて突然、経費節減か!?

 そこで救世主となったのが「J-SPORTSチャンネル」(昨日、いつも通りにちゃんとエンジェルスvsアスレチックスを生放送していたよ。グラシアス)。でも、本日早朝のオオタニサン中継は別料金のJ-SPORTS4(戦略か…)。急遽、私は昨日オプションで加入し、試合開始の朝4時半に起きて観戦した(私はやらないより、やるほうを取る)。そう、CSのありがたさを改めて感じたよ。J-SPORTSは解説陣がマニアックだから好きだな。特に記者やレポーターたちの知識の豊富さには脱帽する。技術面や痛みだけを伝えるプレイヤー解説者よりも、私は選手個人の記録やデータ類、私生活までを徹底的に掘り下げて伝えてくれるアナリストたちの話を聞くのが楽しくてたまらない。

 昭和のプロレス中継で言うならば、国際プロレスの菊池孝さんの解説が一番だったと思う。事前によく予習して資料を作って本番に臨む姿勢は素晴らしい。マッハ隼人に事前に取材していたから「彼の所属していたEMLLのアレナ・メヒコにはプロレス学校があって、マッハはそこの卒業生です」と言うコメントが出せたのだ。私もそれでそういうスクールがあることを初めて知る。

 菊池さんは若輩の私に「エル・コバルデとエローデスのことを教えてくれる?」、「ホセ・ルイス・メンディエタはどんな選手?」と声を掛けてくれて、知識を広げる努力をされていた。だから、私がテレビで解説するようになった時のお手本は、櫻井康雄さんでも、山田隆さんでも、師匠の竹内宏介さんでも、田鶴浜弘さんでもなく、菊池さんでした(私は極力、資料を見ずに年月日と固有名詞は暗記するようにした)。

※「格闘チャンプフォーラム」のタイトルは印象的。

 そんな私のテレビ解説デビューは1990年春、JCTV(日本ケーブルテレビジョン)制作のパワーチャンネル『格闘チャンプフォーラム』…ユニバーサル・レスリング連盟の旗揚げ戦(録画)だった。この“格チャン”がプロレスCS時代の先駆けとなった番組で、この話をJCTVに持ち込んだのが今は亡きウォーリー山口くん。彼は「これからはアメリカみたいなケーブルテレビの時代が来る。だからプロレスのコンテンツだって必要になる」と交渉した。でも、時代が格闘技志向なので、当時の局を動かすためには他の格闘技のコンテンツが必要とされた。だからボクシング、シュートボクシング、SAWサブミッションアーツなども絡めながら番組はスタートする。早過ぎた故にプロレス専門チャンネルをまだ謳えなかった。それで『格闘チャンプフォーラム』と名付けたのもウォーリー。アメリカナイズされた彼は時代を先読みしていた。

 結局、やっぱりプロレスが番組の主軸となる。確か「格チャン」の初回放送は北尾特集だった。それに古いアメプロもの、国際プロレス等の映像は竹内さんが提供した。全女、JWPなど女子プロ団体の他にインディーが多発した時期なので、パイオニア戦志、FMW、誠心会館の興行もやったし、ユニバの番外では浅井嘉浩特集、MASAみちのく特集、パニクラ特集もやった。天龍源一郎、藤波辰巳、ブル仲野らが大物ゲストとして来た回もあった。

 ちなみに元はといえば、あの米国CNNと提携して配信したのがJCTV。その関係でテッド・ターナーのWCWテレビマッチもパワーチャンネルの別枠で流した。私はユニバから、みちのくプロレスのレギュラー解説となる。そうそう、新崎人生が初出現したのは、みちのくの会場ではなく、この番組のスタジオ収録の時であった。

※今から思うとスタジオの顔出しで始まるプロレス番組って画期的だった。

 少し脱線するけど、私はみちのくプロレスの解説をさせてもらったお陰で、東北の地方局からお呼ばれして解説に出向いたことが何回かある。94年4月の青森放送からのオファーはテレビではなく、まさかのラジオ。それも生の実況放送。会場は五所川原の市役所前の広場で、放送席は役場の車寄せの屋根の上だった。試合が観えてない人たち(聴取者)に対して、言葉だけでナマの試合を伝えることの難しさを初めて知った

 だが、この時は大会の中継だけでは終わらなかった。試合後、局のラジオカーに乗せられて車中でずっとプロレスのことを喋りながら35キロも離れた青森市まで走る。そして市内の青森放送の局スタジオに入っても生放送は続き、後から追ってスタジオ入りしたグレート・サスケたちとトークをするという数時間に及ぶ強烈な番組を体験した(ありゃ、ハードだったなぁ)。

 他には95年『みちのくふたり旅 タッグリーグ戦』(私が命名)の決勝では、IBC(岩手放送)に解説として呼ばれた。あれはサスケとカト・クン・リーが優勝した大会(盛岡県営体育館)だった。後日、同じ試合を「格チャン」で再度、喋っている(切り口を変えて…)。98年8月15日、お盆の時期に山形テレビに呼ばれて同局主催の大会(城内にある山形県体育館)の解説をしたこともある。あの時、初めて山形新幹線に乗ったように思う(お盆の帰省が大変な時期で…山形の局からグリーン車往復チケットが送られて来て感激)。それは『ふく面ワールドリーグ戦選考会シリーズ』。試合の中身は憶えていないけど、日本最高気温記録(40.8度)を74年間防衛した山形市の真夏の中継はきつかった。

 93年5月3日の福岡ドームでのグレート・ムタvsハルク・ホーガン、橋本&蝶野vsヘルレイザーズ。これがメジャー団体の解説デビュー(新日本・テレビ朝日)で、翌年1月4日の東京ドームも解説席に座った。でも私にとってはホームともいうべきJCTVの番組が一番居心地良かった。その後、GAORA配信(JCTV編集・制作)になってからはIWA JAPAN、格闘技サミット、GAEA、Jd’、藤原組、新生FMW、バトラーツ、全日本キックなんかをオンエアしていた。私は闘龍門、CMLLジャパン、AAAなどを担当する。何と言っても「ドクトル・ルチャ」という名前を売ってくれたのはJCTVの番組中である。

※1回目のトークは自然と50年前のマスカラス初来日話へ向かっていく。

 そしてこのたび久しぶりに懐かしいJCTVスタッフから声が掛かった。50周年を迎えたという同社が長年蓄積したプロレス秘蔵映像を「再加工してYouTubeで配信しようと思うのでお力を…」という依頼。あの頃は真面目腐って喋っていたことも、今ならまったく違った角度でざっくばらんに話せるかもしれない。「もちろん、喜んで…」と快諾…。実は既に私絡みで10本分くらいのネタを収録している。

 その第1回分が明日(7月22日)から配信される。聞き手は立ち上げ時から『格チャン』のプロデューサーをされていた重鎮の斎藤充さん(現・制作企画担当局長)。私は過去いろんな方と番組上でトークをさせてもらってきたが、この斎藤さん相手が一番リラックスできて話やすいと思っている(マジで…素が出せる)。

 第1回の収録は何の打ち合わせもなく、何を話すと決めたわけでもないところから唐突にスタート。だから何処へ話が飛ぶかわからない、実にナチュラルなフリートークが展開できたと思う。膨大な秘蔵動画の登場はもう少し後…まずはプロローグからという感じか。私がテスト版を観た感想は、「プロのテレビ屋さんが作るYouTubeは、こうも違うのか!」。そんなハイクオリティな仕上がり具合に満足。編集が出来次第、第2、第3の新ネタがアップされていくということなので、お楽しみに…。

 そういえば一昨日はユニバの新間寿恒代表との長時間トークを収録した。これもいずれアップされることだろう。私の出演したもの以外のコンテンツもすでに多数スタンバイしていて、随時配信されるようだ。詳しくは「JCTVプロレスチャンネル」を検索してみて…。是非、チャンネル登録お願いしたい。まずは、明日、1本目を観て! ここも「いいね」よりアナタのシェアを期待しています!

■JCTVプロレスチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCModjyc-PXwiSgXNUR_I2TQ

-旧・ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅
-,