旧・ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第536回】人生の先輩たちと対すレバ

「先週のタイガーマスクのタラレバ炒めは美味しかったです」という感想をいただいた。もう、終わりのつもりで書いたんだけど、おだてられると、すぐ木に登るので、今週は最後のタイガーマスクのタラレバを食べていただきたい(妄想スパイスをかけまくった濃い味を…)。

 佐山さんが今回の取材中に自分からタラレバを口にした。

「あの時代に僕が新日本に入団していたことが運命というか、その年が前後に数年ズレていたら、まったく違ったでしょうね。あの時代の新日本で良かったです。もし、全日本に入団してタラまったく違っていたでしょうからね。全日本(?)…僕自身、そういう選択はまったくありませんでしたよ(苦笑)」

 それを聞いた時、確かに佐山聡が全日本に入っていタラという想像、そこから膨らんで行きそうなものが頭に浮かんで来なかった。無理やりひねり出してみよう。もしかしタラ、同じような時期にNWAメンバーであるEMLLへ行かされていたなんてことがあったかも…。百田光雄の続く全日本第2の修行者として意外とスムーズに…。それで馬場に続く全日本第2号のNWA世界王者になったかも…。ただ、そうであっても、それでは虎戦士には辿り着かない。

 それより私が心に描いたタラレバは、佐山聡が国際プロレスへ行っていタラという奇天烈な妄想である。佐山が新日本に入門したのは75年夏。マイティ井上からラッシャー木村にエースが移った年である。私の想像はその時代の国際に入団していレバということではない。それよりも5年前に国際にいたら…ということ(同郷の田中忠治の付き人をやらされていたかも…)。いや、何が言いたいのかといえば、カール・ゴッチではなく、国際で開講していた「ロビンソン教室」を受講し、人間風車流の教えを受けていタラということである。

※68年に国際の初来日して大旋風を起こしたビル・ロビンソン。

 私はゴッチよりもロビンソンのほうが「プロレスラー」として高く評価をしている。ゴッチのガチンコ好きの教えや技術を乞うよりも、全盛期のロビンソンに魅せられて、彼のキャッチの技術を体得しようと日々励んでいレバ、佐山聡という天才的な資質を持った青年はすごい化学反応の示したのではないかと思うのである。そうすればガチンコのスパーリングからキックや新しい格闘技への道に進もうとせず、もっと「正統レスリング」の求道者としての方向へ進んだのではないかと想像する。ただ、国際にいては、虎戦士に辿り着くことは決してない…。ロビンソンが猪木戦後に新日本の常連ガイジンとして定着していレバ、そういう教えを乞うチャンスがあったかもしれない。

 改めてこの件で電話を入れて佐山さんに聞いてみる。

「僕の少年時代に下関では新日本や全日本はもちろん、国際のテレビも観られましたよ。東京とかと時間帯は違っていたかもしれないですけどね。だから国際でのロビンソンさんの試合も観てました。あのレスリングスタイルは大好きでしたよ。みんなの憧れでしたよ。確かに早くお会いしていレバ、ゴッチさん流とは違った自分になっていたかもしれないですね。僕がイギリスへ行った時には“出来る”選手はピート・ロバーツさんとかもう数人しかいませんでした。ロビンソンさんがイギリスを出てからあの国のプロレスレベルは急速に落ちたって聞きましたからね。一度、教えを乞いたかった方でした」

 あのタイガーマスクに、もしロビンソンのエキスが加わったなら、天下無敵であったことだろう。

さて、次のタラレバ。この人たちとタイガーマスクが戦ってタラどうなっていただろうか…という夢の対戦相手のベスト3。

<第3位>
ダニー・ホッジ

 言わずと知れたジュニアヘビー級最強の男。タイガーとの年齢差は25歳。猪木が27歳違いのルー・テーズと戦ったことを思えば、決して無理な対決図式ではない。しかし、佐山がプロデビューする2ヵ月前に交通事故で現役を引退しているので、対戦は夢のまた夢…。ホッジはアマレスで五輪銀メダリスト、アマボクシング全米一、プロレスで世界ジュニアヘビー級4度獲得というワールドクラスの最強の三刀流。自身が異種格闘技の塊のような選手だから戦って得るものは多かったと思う。BIは乗り越えたが、タイガーマスクが経験していないのがこういうレジェンドといわれるような大先輩との対戦だろう。2年4ヵ月でやれないことはいくらでもあったということだ。

※世界ジュニアヘビー級王者といえば、鳥人ダニー・ホッジ。

<第2位>
ドス・カラス

 マスカラス!と言いたいところだが、ホッジ同様のレジェンド枠…ここは世代が近くて対戦の可能性がありそうなドス・カラスを指名してみた。近いといっても年齢もキャリアもドスが6つ上。ドスはスティーブ・ライトより年上なのだ。若手の佐山がメキシコ修行へ旅立った78年夏、ドス・カラスは全日本に初来日し、すでにあれほどの大活躍をしている。80年のUWA在籍中にサトル・サヤマはドス・カラスとタッグを組んだことがあるという。「ドス・カラスはとてもいい人でしたよ」(佐山)。

 カネックを物差しにすると、ドス・カラスはタイガーを相当苦しめそうな存在だ。天性の資質と後天的な努力によって開花したドス・カラスの実力は半端でないが、もし、新日本で試合をさせられていたら、ドスが潰されただろう…。やるならばエル・トレオでの対戦が逆に中立な結果が出そうな気がする。いや、タイガーとドスは戦うよりも、やっぱ組んだほうが絵になったかもね。

<第1位>
チャボ・ゲレロ

 歳はチャボが8歳年上、キャリアは6年差。佐山が入門した頃にチャボは全日本に初来日し、佐山がメキシコに旅立った次のシリーズから新日本に初参戦した。タイガーマスクとして凱旋する前年の秋まで新日本の常連ガイジンとして6度来日して、タイガーマスク降臨の夏には全日本へジャンプしてしまう。チャボと佐山タイガーはいつも擦れ違いだった。日本ではジュニアヘビー級に分類されてしまった「小さな巨人」チャボだが、アメリカでは堂々のヘビー級戦士。チャボは米マット界のウルフ(千代の富士)のような名レスラーであったと思う。

 技術的な面も図抜けて超一流であり、何よりも気の強さは天下一品。対戦するシチュエーションによっては「何だ小僧」って感じで、ちょっと“危険な試合”になったかもしれない。チャボの性格を知るだけに、そんな危ない匂いもする。チャボはヒールをさせても巧い。テーズに師事したチャボとゴッチの弟子の佐山という図式でもある。上手く歯車さえ合えば、名勝負になったことは間違いないであろう。

※小さな巨人チャボ・ゲレロは天才的なセンスと技術も持ち主。

 同期のライバルも大事だけど、先輩はもっと大切。プロレスラーとは先輩を越えながら格を一つずつ上げて行く商売だと思う。佐山サトルの若手時代にそれをやって海外武者修行の切符を掴んだ。タイガーマスクになってからはグラン浜田という先輩も倒した。願わくば、メキシコで何度も戦ったパク・チュー(木村健吾)ともやってほしかったし、それよりも藤波辰巳と戦ってほしかった。81年10月、藤波はスティーブ・トラビスという、取ってつけたような相手を最後にジュニアヘビー級の防衛戦を打ち止めにしてヘビー級に転向してしまったが、あそこはタイガーマスクとやらせるべきだったろう。ジュニアヘビーをタイガーに譲り、ヘビーへ行くことで新日本内での住み分けをしてしまったことが、対戦機会を奪ってしまった。

 先週触れた「タイガーマスクのヘビー級への挑戦」をここでもう一度持ち出したい。81年夏以降にあったかもしれない「新日本タイガーマスク第2章」、「その先の虎伝説」では藤原喜明、キラー・カーン、タイガー戸口、藤波辰巳、長州力、そしてアントニオ猪木といった先輩たちとの戦いが見たかった…結果よりも内容で魅せる、あるいは圧倒する姿を見たいと思ったのは私だけだろうか。ホッジやチャボがすでにアメリカで実践していたことをタイガーマスクにもやってほしかった。嗚呼、すべて、今になってはタラレバであるが…。

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