ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第546回】ねえねえ、モンちゃん

 久しぶりに外出先で食事をした。先輩の門馬忠雄さんに誘われての大船での会食だった。

門馬さんが書き上げた『雲上の巨人 ジャイアント馬場』(文藝春秋)の出版お祝いのような小会。本来ならば、この本はもっと早く出る予定だった。2017年正月に門馬さんは馬場元子さんからジャイアント馬場の本を書いてもいい許可を貰っていたが、翌年4月に元子さんが亡くなり、原稿を全面書き直ししたという。

この期間、門馬さんから何度かお電話いただいて、ぶつかった疑問にお答えしている。「コロナでオリンピックが延期になったことも原因があったんだよ。1964年の東京五輪のことも随分書いていたし…それもバッサリ切り捨てたんだ」。よくわからないけど、ともかく、かなり苦戦された様子。そしてこのたび、やっと形になったという労作だ。

本を自ら頂き、一気に読ませていただいた。“古き良き時代の最後プロレス記者”門馬忠雄にしか書けない本だと思った。第一、日本プロレスを取材した人はもう門馬さんしかいない。全日本ではなく、日本プロレス時代からのジャイアント馬場を取材したという強みは門馬さんの最大の武器だ。私の知らない馬場さんの世界、門馬さんだから心を許した馬場夫妻の姿が見事に綴られている(文中に私も登場していた…)。

でも、私は時間をかけて書き直して正解だったと思った。元子さんが存命だったら、決して書けなかったであろう門馬さんの本音の部分もちゃんと書き込まれているし、忖度ではないリスペクトも感じる。馬場正平だけでなく、馬場元子の生涯もセットにされていて、全体的に深みも出て、しっかり完結しているように思えた。

門馬さんとの付き合いも40年を越えた。先輩記者、古参のレスラーたちが言っていた愛称「モンちゃん」の響きが好きだ。だからご本人の前以外ではそう呼ばせてもらっている。まあ、これほどレスラーたちから愛された記者も珍しいだろう。それは裏のない明るい人柄、愛すべき人懐こいキャラクターから来る。

門馬さんは福島県相馬市の出身。「相馬野馬追」祭りで有名で、馬を大事にする土地柄だ。引退した競走馬が野馬追に転用され、大事に養われている(GⅠ勝馬や重賞好走馬ならサーペンプリンス、ウインクリューガー、ロジック、コティリオン…)。門馬姓は同地に極めて多い。戦国時代に伊達政宗と対峙した中村城主・相馬盛胤・義胤の重臣に門馬氏が居並んでいた。モンちゃんも血筋を辿ると、そこへ到達する可能性は大であろう。

相馬の中村城大手門。門に馬…。

では馬場姓のルーツを辿ってみよう。馬場氏とは関東甲信越だと武田信玄の重臣・馬場信春の家系か、水戸の大掾氏か、あるいは千葉氏の一族になる。千葉氏なら相馬氏の祖…もしかしたら馬場さんは門馬さんにとって遠い遠い主家だったかもね。馬面の巨漢馬とマキバオーみたいな丸い顔の馬と、2人は馬つながりでもある…。

月刊ゴングの活版ページの大半は外注原稿だった。1番の書き手が東スポの櫻井康雄さん、2番目が菊池孝さん、3番手が東スポの山田隆さんと門馬さん。たまに原稿用紙のマス目から外れて書かれるので、一文字ずつ数える手間はあったけど、それは御愛嬌。何よりも締め切りをしっかり守ってくれるので、編集者としては喜ばしいライターでした。この諸先輩たちは、竹内学校の我々“少年探偵団”(新間さん命名)をとても可愛がってくれた。

馬場夫妻のお墓の最新版。岩津くん撮影

そんな少年も40年も経って老境に至ると、生意気にモンちゃん先輩にも意見を言うようになる。この酒席でもそうだった。

「この本は明石の馬場夫妻の墓前に持って行かないと駄目ですよ。元子さんが早く見せてと言っていますよ」

 馬場夫妻のお墓は兵庫県明石市の本松寺にある。私は納骨から二週間後の2018年6月に墓参に訪れている。あれから新しい碑と16文リングシューズのレプリカが増設されたらしい。そこにこの本を供えて、完成を報告すべきと勧めた。

「ああ、明石のお墓には行こうと思っているよ。(和田)京平ちゃんにも相談したし」

 私に言われなくとも、門馬さんは明石への旅を計画していた。東スポ社内でかつて“ドサ回りのモン”と言われるほどの旅好きだった門馬さん。旅好きということで私と共通することが多い。お互い日本各地で知らない所がない旅をしてきたから、ド田舎の「あそこはさあ…」という話で盛り上がる。まあ、私は門馬さんみたいに飲んベエの旅はしたことないけどね…。運転しない人なので、いつも旅は電車。つまりずっと「吞み鉄本線プロレス旅」のようなことを続けてきた人だから、こういう本が書けたのだと思う。今ではプロレス記者が巡業を追うこともなくなった。もうこういうプロレス本は出ないし、書ける人もいないだろうなあ。

国際の合宿地・雲見で門馬夫妻と飲む。

明石の駅前に「まるまる」という明石焼きの店がある。兵庫の知人・竹本さんに教えてもらった人気店で、私は初めて明石焼きというものを食べた。美味い。馬場さんの墓参に付き合ってくれたクリチャン・シメット弁護士とその妻アルマ・ディアス(ビジャノ1号の娘、レイ・メンドーサの初孫)も明石焼きを絶賛。「メキシコでこれの店を出したい」とまで言い出した。門馬夫妻も明石へ行かれるならば「まるまる」をお薦めします。ここで名物の玉子焼きをおつまみに酒を飲んだら美味しいですよ。ああ、こういうアプローチの仕方は、私もモンちゃん病にかかってしまっているかな…。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅