ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第655回】ベルトタッチ

 先週23日(金=祝)の『第5回チャンピオンベルト・カーニバル』はお陰様で過去最高の入りでした。AWA世界ヘビー級の「ニックベルト」の登場とはいえ、「男はチャンピオンベルトが大好きなんだなあ」と改めて思いました。確かに講義をするための仕込みは大変だけど、最後にみんなが嬉しそうにベルトを持って撮影している姿を見ると、報われたような気がする。クラシックでレアなチャンピオンベルトは私たちの心を童心に戻してくれる。

ニックベルト誕生の謎を解く。
マジでフルハウスでした。

 もともとチャンピオンベルトというものは、タイトルマッチの時のみチャンピオンの腰にあって、ファンの手の届かない所にあるものであった(日本でなら付き人以外の選手は触れられなかったという)。ベルトとは、誰もが羨望の眼差しで見つめ、憧れ続けたもの。子供の頃、自作のチャンピオンベルトを造った方も多いのでは…。私も作りましたよ。サントリーウイスキーのプラスチックエンブレムを改造して…。以前にも書いたと思うけど、私が最初に本物のチャンピオンベルトを手にしたのは、今回登場したNWA世界ライトヘビー級のベルト。1979年1月末、メキシコシティのホテルサンマルコ…当時、木村健吾と佐山聡が宿泊していた長期滞在型のホテルでのこと、チャンピオンだったパク・チューからベルトをお借りしてベランダで佐山さんに撮ってもらったのがこれ。

ベランダで初めて持ったベルト。

昨年9月、メキシコシティへ行った時にサンマルコへ行ってみた。下からベランダを見上げた。「あそこあそこ、あそこでベルトを持って佐山さんにシャッターを押してもらったんだ」。日本に帰って来て佐山さんにも「サンマルコはまだ健在ですよ」と報告したら喜んでいた。あのホテルには佐山さんの青春が詰まっているのだ。だからあのNWA世界ライトヘビー級は私にとって特別の思い入れがある。あれから45年が経って、こういう形でこのベルトのイベントが出来たことがこの上ない喜びである。このベルトは74年末から88年まで使用され、アレナ・メヒコのオフィスにお蔵入りしたものを92年4月に復活させたのも私のアイディアだった。そういう意味で私には思い出の多いスペシャルなベルトである。

92年4月の東体で立会人を。

 私はプロの世界に入って多くのベルトを触れて来た。タイトルマッチの時に控室に置いてあるベルトをこっそり触れてみたり、本部席が記者席を兼ねている時に置いてあるベルトを触ったり眺めたりという特権もあった。タイトルマッチの認定書を読んだ後にベルトを持って四方のお客さんに見せて拍手を貰う快感も何度か体験した。98年に『検証!チャンピオンベルトの謎』という増刊号を作った時には、全日本と新日本の事務所へ行って全部のベルトを出してもらって撮影した。あの時、今は行方不明のNWFやIWGP初代のベルトにもベタベタ触れているんだけどなあ…。残すはアメリカの有名な世界チャンピオンベルト。あのレイスモデルは、以前に話したようにケリー・フォン・エリックが84年5月来日した時、高輪で取材した。その後に白山のゴング編集部へケリーが来た際、あのベルトをずっと抱えて移動していたのは私だった。その翌日の横須賀でベルトはケリーからフレアーに移動する。馬場さんがらみではなくオフィシャルな外国人同士の王座移動劇を観られたのは良かったけど、横須賀はないだろう!と思った。

2人のリックが統一戦を。

翌年、私は再びレイスモデルにゆっくり触れるチャンスを得た。85年10月21日の両国国技館でのNWA&AWA世界統一戦…リック・フレアーvsリック・マーテルの前日だったか。フレアーとマーテルをスタジオ撮影するため六本木のスタジオでスタンバイしていた。その時、なぜか選手よりも双方のベルトだけが先にスタジオに来ていたのだ。私は2つ並んだNWAとAWAのベルトを眺めて感慨に浸っていた。ニックベルトはジャンボの王者だった前年に蔵前の控室で触れたことはあるけど、じっくり観察したのは、その時が初めてである。撮影後、私はマーテルを愛車のピアッツァに乗せて六本木から高輪東武ホテルまで送った。もちろんニックベルトも一緒である。車中、どんな会話をしたのか憶えてないけど、とっても感じのいい好青年だったことだけは記憶に残っている。WWFのベルトは、初代バディ・ロジャースからハルク・ホーガン政権までザックリ数えただけで16~17種類もある。残念ながら猪木やバックランドが締めたニキタ・マルコビッチ製のベルトに触れることは出来なかった。最初に触れたWWFベルトは85年6月に来日したホーガンのベルト。それは月刊の表紙用に京王プラザホテルでポーズ写真を撮影した時のこと。私がベルトを持っていて撮る直前でホーガンに渡し、ベルトの角度等を決めたり、ポーズに注文を出した。正直、レイスモデルやニックベルトの時のような喜びは感じなかったけどね。

京プラで撮影したポーズ写真。

 最後にマスカラス。本人はIWAのタイトルマッチと称してIWAのマルコビッチ製とAAALのマヌエル・サバラ製をその日の気分で併用していた。ALLLベルトは79年2月4日のアレナ・ソチミルコでのマキナ・サルバヘ戦の控室で触らせてもらったのが最初。IWAベルトは81年9月に赤坂東急の部屋でじっくり見させてもらった。92年8月15日、川崎でのカネックとのUWA世界ヘビーとのダブルタイトルマッチ…私が立会人だったような気がする。その時に試合を観ずに本部席の私の目の前にあるALLLのベルトを観察し続けた記憶がある。その後も試合前に「ちょっと後ろのベルトのホックを止めてくれ」と着用のお手伝いをしたこともあった。その上で場内から漏れ聞こえてくる「スカイハイ」のメロディーを耳にしてチョッキ付きのマントを着させることも何回かあった…これがまた快感なのである。

IWAとALLLの2冠。

こうした特権を駆使して日本と世界のチャンピオンベルトに触れて来た。昔に写メがあったら、もっといろんなベルトと記念撮影したのになあと思う。改めてイベントに来られたファンの嬉しそうな笑顔を見て、いい時代だなあと思った。今回イベントで紹介したNWA世界ライトヘビー級のレイスモデルとニックベルトは3月10日まで『闘道館』に展示されていますから、是非足を運んでください。次回『第6回チャンピオンベルト・カーニバル』は秋頃にやれればいいなあと思っています。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅