ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第612回】40年のアミーゴ

お待たせしました、来週、29日(水)は『GスピリッツVo.67』の発売日。特集は予告したように『BI 馬場と猪木』です。私の担当は例によって絶滅危惧種=日本プロレスOBのキム・ドク。今や日プロ時代のジャイアント馬場とアントニオ猪木を間近で見てきた者となると極めて少ない。戸口(キム・ドク=タイガー戸口)さんは、そこの部分を知る歴史の証人である。戸口さんの先輩である北沢幹之、グレート小鹿、高千穂明久(グレート・カブキ)らは途中でアメリカ・メキシコ武者修行に出たためBI砲の活躍を通しで見ていない。戸口さんの後輩である佐藤昭雄、藤波辰巳らは60年代のBIを身近で観ていない。百田光雄さん、木戸修さんより1年先輩の戸口さんはBI砲が結成された1967年春に入門し、インター・タッグ初戴冠から猪木が日プロを追放される71年末までをずっと観てきた唯一の人物。若き日の戸口さんの目には〝東洋の巨人〟馬場と〝若獅子〟猪木は、どのように映ったのだろうか。今回のインタビューは2日間にわたる超ロングになった。初日は東京ドームホテルで約2時間話を聞き、2日目は我が家に戸口さんを招いて約6時間、馬場さんと猪木さんの日プロ時代のビデオを観まくった。さらに78年全日本の馬場vsキム・ドク、81年新日本の猪木vsタイガー戸口のビデオもチェック…戸口さん自身が戦って肌で感じたプロレスラー・ジャイアント馬場とアントニオ猪木の比較論を展開する。レスラー視線からのBIの違いは目に鱗…こんな長いインタビューは初めてで、まとめるの大変だったけど、是非読んでいただきたい。

それにしても頭デカい!

BIに関連してというならば、元NET(現テレビ朝日)アナウンサーの舟橋慶一さんに“日本プロレス時代の『ワールドプロレスリング』中継”についてお聞きした。これは大塚直樹さんの時のように連載にしようと思う。その第1回はNETが日本プロレスの放送をスタートさせた1969年(昭和44年)にフォーカス。舟橋さんの口からは知っているようで知らなかった話が次々に飛び出す。私もここぞとばかり質問責めのガトリング砲を乱射。「今まで、いろんなところで喋ってきましたけど、その質問はされたことないですねえ…」と舟橋さんは戸惑いながらも、開けてない引き出しから的確な答えを次々に返していただいた。これも必見です。

舟橋さんとのツーショット。

「対談」という形式ではミスター豆タンクの高杉正彦さんと私で日本プロレス時代の馬場&猪木をファン目線で語っている。これまた長い対談だったけど、BI砲全盛期1967~71年にバリバリのプロレスファンは、こんな感じでジャイアント馬場とアントニオ猪木を観ていたということを後追いのファンの人たちに読んでわかっていただければ…と思う。その高杉さんと“虎ハンター”小林邦昭さんをゲストにした『ビバ・ラ・ルチャVol.47』を5月7日(日)に『闘道館』で開催することが決定した。題して『俺たちの青春!嗚呼懐かしのメキシコ修行時代 1980-1982』。おお、久しぶりにビバ・ラらしいお題だね。

そう、小林邦昭は80年4月29日にメキシコに旅立ち、高杉正彦は国際崩壊後の81年9月22日にメキシコ入りしている。偶然なのだが、この二人が出会った日に私もその現場に居合わせた。邦昭はUWA、高杉はEMLLと、団体は違ったが、この当時は両団体間に交流があった。育った環境は違えど、歳は一つ違い…彼らは出会ったその日から意気投合して同居する。以来、40数年間、二人は旧交を深めるアミーゴとなり現在に至る。上下関係のうるさい封建社会(日本のプロレス団体)から解き放たれた修行時代は、苦楽がいっぱいの思い出作りの場でもある。そこにはこの二人しか知らない青春ストーリーがあるのだろう…それを当日、聞き出したいと思う。

私は明日からまた西国へ長旅に出るので2週間このコラムをお休みします(3月29日と4月5日分)。その間、『GスピリッツVo.67』をゆっくり読んでいただき、また感想をお聞かせください。

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