ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第640回】アリゾナに思うこと

 MLBのワールドシリーズはテキサス・レンジャーズvsアリゾナ・ダイヤモンドバックスの戦いとなり、3戦めから舞台がテキサス州アーリントンからアリゾナ州フェニックスに移った。今日は思いつくがまま、アリゾナについて書こうと思う。「アリゾナに行ったことがあるの?」と言われたら、「いえ、ありません」と答える。でも、「何回も観たことはあります」と付け加える。「どういうこと?」…と問われれば、「飛行機の上から」と答える。太平洋を越えてアメリカに入りメキシコへ南下する飛行機はカリフォルニアかアリゾナの上空と飛ぶ。9月にメキシコへ行った時のANAは、この両州の境あたりを飛んでメキシコ国境を越えた。ボーダーは上空からもよくわかる。窓際シートが大好きな私は小便を我慢してでも窓に顔を付けている。いま何処を飛んでいるのかパイロット気分で上空からチェックしているのだ。これは機内の映画より面白く楽しい…。メキシコへの進入航路は飛行機会社か?気流等のせいか?その時々によって違う。太平洋寄りの飛ぶときもあれば、アリゾナの真上の時、ニューメキシコ州の上やテキサスのエルパソ上空を飛ぶ時もある。その中でもアリゾナ上空が多い気がする。

荒涼としたアリゾナ上空。

 アリゾナ州自体は南がメキシコ、西がカリフォルニア、北西がユタ州、北がネバダ州、東がニューメキシコ州に囲まれており、全米で6番目の面積を持つ大きな州。もともとはメキシコ領だったけど、1912年にアメリカに持って行かれた。アメリカ大陸48番目、最後の州がアリゾナである。インディオの多い土地柄だ。州名の由来は諸説あるらしいが、スペイン語のアリーダ・ソナ(乾燥したゾーン)がそれらしい説だと思う。だから私はいつも「アリソーナ」と発音している。実際、州の大半が乾燥した荒野で、北は有名なグランドキャニオン。南西端のメキシコ国境のユマの砦などは、よく西部劇の舞台になる。1966年公開『南から来た用心棒』の原題は「アリゾナ・コルト」(主演ジュリアーノ・ジェンマの役名)で、私が最初にインプットしたアリゾナの名だと思う。いや、待てよ。どっちが先か忘れたけど、それと前後するように頭に入れたのが「戦艦アリゾナ」だ。真珠湾攻撃の時に日本海軍の奇襲攻撃で沈没した米国海軍の主力艦。それを人づてか月刊「丸」で見た憶えがある(現在、オアフ島のアリゾナ記念館になっている)。

ジェンマに代表作「アリゾナコルト」。

プロレスの世界でもアリゾナは不毛の荒野なのか…。1959年に初来日し、翌年正月に大阪で力道山とのインター選手権を反則絡みながら2-1で勝利したジム・ライト(王座移動なし。東京の再戦で敗れる)。このライトのニックネームが“アリゾナの殺人鬼”。それを後付けの知識としてインプットしている。だから、私はずっとアリゾナというとジム・ライトの名が浮かんだのだが、実際はテキサス州ヒューストンの近くのブルックスミスがライトの出身地であった。それならどこから“アリゾナの殺人鬼”というフレーズが出て来たのか。戦艦アリゾナから? その頃のニックネームって誰が付けていたんだろう。“狂えるメキシコの巨象”(ジェス・オルテガ)…動物園やサーカスにはいるけど、メキシコには象は生息していません。“シベリアの密林王”(グレート・アントニオ)…シベリアはツンドラ地帯なので密林はありません。いい加減だけど、恐ろしさが滲み出ている。

シム・ライトは力道山にも勝つ。

では本当のアリゾナ出身のレスラーはいないのかと思ったら…いました。“アウトロー”の異名を持つエディ・サリバン。このサリバンがユマに近いアリゾナ州バッカイ出身。彼の本名がルーベン・ウイサール。メキシコの血の入ったアメリカ人…いわゆるグリンゴである。プロレスの師匠がトナ・トマーという女子インディアンレスラー。1964年にデビューして南部を転戦、マイティ・ヤンキーズの2号になったりしたけど、素顔で1969年11月の日本プロレスの『NWAシリーズ』に初来日。開幕戦でミツ・ヒライをニードロップで仕留めた。シリーズ中はダニー・ホッジやハーリー・レイスと組むこともしばしばあった。根っからのタッグ屋で、リップ・タイラーと組んで1972年6月、旗揚げして間もない新日本に来日し、連日のように猪木のコブラの標的となる。タイラーとともに1976年5月と76年1月には国際プロレスに来日。映画『空手バカ一代』にも出演して柔道家役の本郷弘次郎とプロレスラーとして異種格闘技対決をしている。国際には80年3月に単身でやって来たけど、この時はパッとしなかったよ。1984年10月には上田馬之助のラインで全日本に初登場。この時もリップ・タイラーと一緒だったけど、フリーバーズが来たシリーズで目立った活躍をしていない。ここでの扱いは酷く井上、渕、浜田らにやられていた。それでも日プロ、新日本、国際、全日本の4団体を渡り歩いたのはすごい。サリバンのアメリカでの別名が“アリゾナ・ワイルドキャット”だった。アリゾナに山猫が生息するのかどうかまでは知らない。

初来日初戦のエディ・サリバン。

浜田の名前を出したところで思い出したのが、「ルイス・アリソナ」というルチャドール。1983年1月にタマウリパス州レイノーサでセントゥリオン・ネグロを破ってUWA世界ミドル級チャンピオンになっている。このタイトルはモンテレイのレネ・グアハルドの管理下にあったのでフングラやセントゥリオンなど北部の有望選手がベルトを締めている。モンテレイ出身の24歳、ルイス・アリソナもグアハルドの秘蔵っ子だった。ところが新王者アリソナは別の本業の忙しくてベルト返上を示唆。6月から改めて王座決定トーナメントを開くことになった。この動きを嗅ぎつけた浜田が5月22日にモンテレイの乗り込み、アリソナとタイトルマッチをやってベルトを奪ってしまったのだ。アリソナはメキシコシティに一度も来たことなく、そのまま引退してしまったので、まったくプロフィールがわからない。メキシコでは珍しい謎の元世界チャンピオンである。彼がなぜアリソナを名乗ったのか、それが本名だったのかもわからずじまいだ。浜田が84年のUWF旗揚げの時に持っていたタイトルは、このアリソナから奪った時のもの。ただし、使われたベルトはUWA定番イグナシオ・キンタナ製ではなく、新間氏が設えてプレゼントした吉永プリンス製であった。

謎の世界王者ルイス・アリソナ。

新間氏の話が出たので次はアントニオ猪木。2010年3月、猪木はアリゾナ州フェニックスの地に立っている。WWE殿堂入りのためである。『レッスルマニア26』は同市のユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアムに7万人強を集めて行われた。ブレッド・ハートが電撃復帰し、ショーン・マイケルズが引退した大会で、2年前に同市で開催されたスーパーボウルよりも動員し、この街に多大な経済効果を与えた。テリトリー時代、アリゾナはプロレス不毛地帯だったのになあ…。

6年前、「俺は再婚して今、アリゾナ州のフェニックスから100マイル北にあるドゥーインという超田舎に住んでいるんだ」と今日のテーマにニアピンの男がいた。「90になる母親のリンダはフェニックスで一人暮らしをしている。運転だってするけど、さすが心配だから一緒に住もうと思っているんだ」と言っていたのは、小さな巨人チャボ・ゲレロである。チャボ自身はメキシコシティの生まれだが、父親のゴリー・ゲレロはアリゾナ州レイ生まれのメキシコ人なのだ。サリバン以外にもアリゾナ出身のレスラーで、もっと偉大な選手がいたことを忘れてはならない。チャボの祖父はメキシコのサカテカス州の貧農だった。メキシコ革命の混乱を避けてゲレロ一家はアリゾナ州カーニーへ移住して銅山で働いた。カリフォルニアに移るまで17年間、ゲレロ一家はアリゾナに居た。ゴリーはその時に生まれている。つまりチャボは晩年、父の生まれ故郷に帰った…ということになる。

チャボは父が生まれたでアリゾナで没。

私はチャボにMLBのスポーツバーで取材をした。自然と野球の話にもなる。好きなチームは「ロサンゼルス・ドジャースなの?」と聞くと「俺は昔からニューヨーク・ヤンキースだよ」と笑った。いくらヤンキースファンが多いとはいえ、チャボがそうだとは意外だった。そんなチャボは翌年、まさかまさかの他界…。もし、チャボが生きていたら、今シーズンのヤンキースの凋落ぶりを嘆いているはずだ。そして地元アリゾナのダイヤモンドバックスを応援しているだろうか。劣勢に立たされたアリゾナはここから巻き返せるか!?

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅