土曜日には東京ドームでシカゴ・カブスvs阪神タイガースを観に行った。ドジャースのチケットは当たらなかったけど、MLBの雰囲気を少し味わえたかな…。後楽園ホールのある青いビル1階がカブスの特設レストランになっていて、そこからマスコットキャラクターのクラークが出て来たのには感激。試合は凡戦でカブスがあららの完敗。大阪出身のマイティ井上&前田日明組がシカゴ出身のロード・ウォリアーズを破ったって感じかな。でも、馬産地・日高町出身の門別啓人が快投(現地で門別一族は有名)。鈴木誠也との対決も観られたから、それなりに満足の時間でした(阪神は絶対応援しないが、門別くんだけは応援するよ)。それよりシカゴと大阪が姉妹都市だというのは知らなかったなあ。



さて、来週発売のGスピリッツVol.75…特集は『1975 昭和50年のプロレス』であることは先週、お伝えした通り。

今から50年前…1975年の私は何をしていただろうか。その年の今頃は大学に合格して京都と奈良を旅行していたと思う。とにかく旅が好きだったので、大学生になったら思いっきり旅をしたいと思っていた。そのプレツアーが京都、奈良だった。中学の修学旅行で京都と奈良に行ったけど、学校が決めた寺社をぞろぞろ巡るのは盛り上がりに欠けた。「自分の選んだお寺に行きたい」ということで、あれこれ計画して、出来る限り全部観て回ろうと2つの古都を駆けずり回ったのを思い出す。この時、私に同行したのは高校で3年間同じクラスだった永島クン。彼は根っからのバイカーで、一緒に八ヶ岳山麓にツーリングへ行ったこともある。山登りも好きで一緒に志賀高原や尾瀬にも行ったことがあるので気が合うパレハであった。それで大学にあがった時に2人で計画したのが、バイクで1ヵ月かけての北海道一周旅行だった。これが私の冒険心を掻き立てる自由な旅の原点となる。彼とは結局、毎年北海道へ渡り、山に登った。そうした冒険旅は4年後のメキシコへ繋がって行くことになる。

1975…この年はマスカラスがIWAのエースとして活躍していたから来日が無かった。ファンクラブの活動も停滞した年だったが、プロレスからは目を離さなかった。旅行中以外は、新日本、国際、全日本のテレビ中継をほぼ欠かさず観ていた。学校の帰りに東スポを必ず買って試合結果をチェックしていたし、ゴングは渋谷の早売りの売店にまだ出てない時や発売日前に、水道橋駅から歩いて白山の編集部(日本スポーツ出版社)まで行って買っていた(高校の頃から)。間口の狭い2階建ての家屋。最初にここを訪れたのは1971年春、「マスカラスのマスクをみたい方は編集部にいらっしゃってください」という一文を見ての訪問。残念ながら竹内さんは不在だった。中学2年生の私は2階奥の屋根裏部屋みたいな位置にあった編集部に半日居座って、まだ見たことのない外国誌のバックナンバーを片っ端からチェックしていた。10年後にここに入社することになるのだが、1968年の創刊時に「ゴングの編集部員になりたい」と思った夢と、現実の編集部とのギャップは大きかった。その反面、「こんな雑然とした民家のような社屋で、あんなすごい本を作っているのか…。環境ではなく、作る人間の熱意なんだよな」とも感じた。

71年の初訪問は神保町の最初の編集部からここに引っ越して来てまだ2ヵ月ほどだったので、居ぬきとはいえ、まだ小奇麗であった。看板があがってなければ、ただの民家に見えるが、後に小柳幸郎編集局長に聞くと、それ以前は料亭?だったという。「ウソ、こんな狭い料亭に誰が来るの?潰れて売りに出ても仕方ない」と思った。1階の左脇が写真部で、奥が総務と倉庫。2階がやや広めでサッカーの新雑誌『イレブン』と野球の『ホームラン』の編集部。その奥の階段を上がった狭い部屋が『ゴング』の編集部。机と椅子が3つしかない。

話を75年に戻す。4年経つと、人の出入りの激しくなり、汚れるものである。玄関のドアを開けると靴が散らかされていて、その匂いの臭いこと臭いこと。特に革のブーツが異臭を放ち、今でも鼻に残っている。玄関の脇が写真部で、定着液の匂いもブレンドされている…。そんな玄関に立ち、「スイマセン、新しいゴングを下さい」と声を掛けると、奥から人が出て来て、「ああ、新しいやつね」と出来立ての月刊ゴングを持って来てくれる。発売日より2日、3日前でも躊躇うことなく売ってくれるのが嬉しかった。直接、会社に本を買いに来るコアな読者はいなかったようで、珍しそうに話を掛けられた。「遠くから来たの?」「はい、目黒のほうから」「学校の帰りなの…それはご苦労さん」。その度に、人が違ったように思うけど、あれが誰だったのか思い出せない。それが誰にしても、まさかこの学生が6年後に入社して来て、十数年後にゴングの編集長になるとは思っていなかったであろう。

さて、個人的な吉報。一昨日、3ヵ月待ってやっと購入した車が納車された。人生で、これほど待ち焦がれた日々はなかった。そして私は“スバリスト”になった。真の車好きならではの乗り味と最上級の安全性(アイサイトX)…私のような本質的にマニアックな老兵の行き着くところはやはりスバルなのだ(ロペス製みたいなものか)。コーポレートカラーのスバルブルーか、大谷さんのドジャーブルーか、「クロストレック Premium S:HEV EX」…これがたぶん“人生最後の買い物”・“最後にして最強のオモチャ”になることだろう。この車、満タンで1000km以上(東京~福岡、あるいは東京~札幌)も走る。つまり安全快適に超ロングツーリングが可能になるということ。そう、コイツならば、あの50年前に北海道へバイクで走り回った頃のバイタリティーを取り戻せるそうだ。ということで、今夜から北ではなく西へ、イホと一緒に試し乗りのロングツーリングの旅に出るので、来週のこのコラムはお休みします。来週の水曜日はGスピリッツVol.75の発売日だから、それを熟読して1975年…50年前にタイムスリップして下さい。それから、お花見も楽しんで下さいね。私の今年の初桜は何処で遭遇するのだろうか…。