ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第685回】誌上最大の作戦

長旅から帰ってきましたよ。驚いたことに今のところ時差ボケの症状はなし。予定通り日本に帰ったら秋になっていました。日本に戻って一番食べたかったお寿司も食べたし、カレーも、日本食も、焼き肉も、焼きそばも、ラーメンも…堪能。ノー・マス・タコス…やはり日本の日本食が世界一だあ。

さて、頭の回路をメヒコから37年前の巌流島に切り替えないといけない。今週末、6日(日)の闘道館はいよいよアントニオ猪木vsマサ斎藤の巌流島決戦の裏舞台を検証するトークイベントがある。実はこの企画、2年半前に立案し、巌流島決戦から35年目の2022年10月4日に決行しようとしたが、延び延びとなってやっと出来るようになったものである。つまり構想2年半で実現に漕ぎつけた企画なのだ。その分、中身はしっかり練られていると思っていただきたい。あの巌流島決戦の新日本プロレス側の担当責任者が当時、営業部次長の上井文彦さん。でも、その当時は誰がこのような大掛かりなイベントを仕掛けたのか知らなかった。イベントとはいえ、無人島で無観客の試合をするのだから、一枚のチケットを売らなくてもいいということ。それよりも島の使用許可や船でのリング、テントなどの機材の搬入など、やらなければならない仕事は他のプロレス興行とはかなり違って大変だったはずだ。上井さんは1977年に新日本に入社し、大塚直樹営業部長の許、営業マンとして活躍する。最初にサブで営業を覚えたのが地元・下関の下関市体育館(77年9月17日=メインは猪木&長州vsハンセン&パイパー)。大塚さんの営業デビューもここだった。上井さんの故郷は巌流島のある下関市で、9月初旬にお墓参りを兼ねて下関に帰郷している。その時に体育館へ寄ると取り壊し寸前で、隣にJ:COMアリーナが完成していたという。「清水さん、ぎりぎりセーフでしたよ。でも取り壊されるのは寂しいなあ」。上井さんが最初に単独で担当して満員にしたのが78年1月25日の同じ山口県の下松市体育館。マクガイヤー兄弟が来ていて、メインは猪木&長州vs上田&ジェリー・ブラウンだった。

フグをデザインした下関市体育館も…。

78年7月25日の猪木vsペドロ・モラレスのNWF戦の広島県体育館を担当して超満員にしたことで営業マンとして高評価を受ける。以後、広島を担当。その後、長野県下の更埴市体育館も担当し、諏訪湖スポーツセンターも担当したので、亡くなった諏訪の吉澤幸一さんとも仲が良かった。その後、84年にUWFへ移籍。86年1月に新日本にUターンするも、出戻りには辛くアルバイト扱いに…。ところが5月30日の広島県体育館を超満員にした上にテレ朝の辻井博遠征局長の推挙により、ほぼバイトから営業部次長へ一気に超スーパー昇進している。巌流島はその翌年秋のことだった。

弟子待太子堂から巌流島を望む上井氏。

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした船島(巌流島)は関門海峡に浮かぶ無人島で、住所は山口県下関市大字彦島字船島648番地。かつて壇之浦(関門海峡)で源義経に敗れた平家の本拠があった彦島に寄り添うように浮かんでいる三日月が少し欠けた形の島だ。猪木vs斎藤のあった1987年頃は島の西半分に三菱重工の造船所で立ち入り禁止、一般に公開されていたのは細長い東半分だった。船着き場は北の一箇所のみで、潮の速い南端には灯台があった。上井さんが下関出身で地の利に明るく、多くの人間関係が構築されていた場所だったということが、巌流島でプロレスの試合をするということに繋がり、そして地元だったからこそ、容易に実行され、無事に成功に結び付いた…それは間違あるまい。そのあたりの経緯を今回のイベントではしっかり聞き出したい。

8月末に顔合わせ。手の内は見せず。

ゴングの巌流島取材班のキャップは当時、週刊ゴング編集部副編集長だった私。そして新日本担当だった小林和朋氏が副キャップ。8月末日に闘道館で上京した上井さんを入れた3人で軽い打ち合わせをした。当日、上井さんはリモートなので3人が顔を合わせるのは、それが最後。ただ、その時、我々はゴングとしての手の内は見せなかった。上井さんも手の内を見せてないように思えた。87年10月4日の巌流島…あの日は主催者(新日本)とマスコミの化かし合いであった。マスコミの大半は上井さんの手の内に居たが、我々ゴングは違った。創刊以来、最大の“兵力”と精鋭を巌流島に動員して主催者側と戦ったのだ。

上井氏の巌流島ファイル。
私の巌流島のノート。

今回、イベントポスターに『日本プロレス史上最も長い日…』とタイトルを付けたが、これは映画“The Longest Day”(邦題・『史上最大の作戦』米1962年作品)から引用したもの。1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦における連合軍側とドイツ軍側の駆け引きと作戦行動を描いた超大作だ。地方の無人島、無観客ならば、ゴングにとってここは勝負どころ。陸・海・空から島を攻めて決闘の全貌を読者に伝える…これは我々にとってプロレス編集者人生を懸けた“誌上最大の作戦”であった。それで、何でThe Longest Dayかといえば、決戦前日に審判部長の山本小鉄が「夜明けが試合開始のゴングです」と発表したものだから、マスコミは朝6時に島に上陸していた。それで実際、試合終了が18時35分。撤収が19時半。つまりマスコミは13時間も島内にいたことになる。それは上井さんたち新日本スタッフも同様で、プロレス史上最も長い日であったことに違いはない。この12時間に島の内と外で一体、何があったのか、その答え合わせをしようというのが、今回の企画。私も小林くんも当日、上井さんの口からどんな舞台裏の秘話が出るのか、聞き出すのが楽しみだし、上井さんも我々がどんな作戦を立てて実行したのかを聞きたかっている様子。そのすり合わせを日曜日にしましょう。

巌流焼きは先着15名様にプレゼント。

先に触れたように9月上旬に上井さんは下関へ行って、渡船の出る江の浦、巌流島決戦の地を望む弟子待太子堂、火の山山頂、一の里山公園、猪木さんが泊まっていた、みもすそ川別館など巌流島決戦の縁の地を回られた。火の山の山頂とか、一の里山公園って何か巌流島に関わりあるの? その解説も興味津々である。そして決戦当日に島で配られた「巌流焼き」という老舗の高級和菓子…「巌流本舗」本店の3代目の社長さんを訪ねている。イベント当日には闘道館に届く手配もしていただく。先着でのお客さんには下関名物・巌流焼きを食べながらトークイベントを楽しんでほしい。その他、当日いろいろ仕掛けを用意しているのでお楽しみに。日曜日に闘道館でお待ちしています。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅