ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第647回】来るぞ!AWAの顔

熊に出会うことなく、食われることなく、無事に帰京しました。

先週はフエルサ・ゲレーラのトークショーが緊急決定(1月21日)したことをお伝えしたけど、それより前…先月のうちに闘道館に依頼したイベントがある。それは『第5回チャンピオンベルト・カーニバル』…です。押さえたのは2月23日(祝)。なぜ、2024.2.23かといえば、ジャンボ鶴田が日本人初のAWA世界ヘビー級タイトルを奪取してジャスト40周年目の記念日だから。そう、次回のチャンピオンベルト・カーニバルのメインゲストは、あの「AWAニックベルト」登場です!もちろん、たった一本しか実在しない、実物、本物である!

 これは1975年のニックの初政権当時からバーン・ガニア→ニック→オットー・ワンツ→ニック→鶴田→リック・マーテル→スタン・ハンセンと渡り、約11年間AWAを支えた顔。日本にはニックにより初上陸、以後ワンツ以外のチャンピオンたちがこの大版のベルトを持ち込んでおり、日本ではレイスモデルのNWA世界ヘビー級のベルトに次ぐ人気と認知度を誇った。それはその当時のアメリカのファンたちも同様であった。

 ということで、AWAと対比する意味で、今回のイベントの露払いはレイスモデルを用意しよう。NWA世界ライトヘビー級のベルトである。このタイトルがメキシコEMLLの管理下に置かれたのは59年。レイスモデルは3代目のベルトで、74年11月に当時の王者ドクトル・ワグナーによって初披露された。一時期封印されたのが88年だから、ニックベルトと活躍時期が重なる。こうしてAWAとNWAのベルトが並ぶと、何かワクワクするのは、私だけではあるまい。あの時代のファンはみんなあの形のベルトこそ「世界だ!」と憧れたものである。2月23日は天皇誕生日。プロレスファンだったという天皇陛下は、鶴田がAWAを獲った40年前のあの日の快挙を憶えてらっしゃるだろうか。当日は木曜日の平日…それが数十年の時を経て「天皇誕生日」となり、お陰様でイベントを開催するのに相応しい日となった。ありがたや…。来年の2月23日は皇居の一般参賀で万歳三唱してから都営三田線で巣鴨に来られるのが、お薦めのコースである。是非、ご来場ください(もちろん、イベントの最後に肩掛けの記念撮影をできますよ!)。

今年の天皇賞秋、東京競馬場にて(撮影:近藤直也氏)

 明後日(22日=金曜日)発売のGスピリッツVol.70では、いつもチャンピンンベルト・カーニバルのゲスト解説を依頼している小泉悦次氏が「NWA世界ヘビー級王者 テリー・ファンクの足跡」を執筆しているので是非、そちらも読んでいただきたい。NWAという巨大組織の中でテリーが担った役割とは何かをそこから読み解いてほしい。ニックが75年11月にセントポールでガニアからAWA世界王座を奪取した1ヵ月後、テリーはジャック・ブリスコからマイアミでNWA世界王座を奪っている。テリーの在位は77年2月までの1年2ヵ月。ニックの初回政権は80年7月までの4年9ヵ月(4度獲得の中で最長)。NWAとAWAとではタイトルの性格が違うので、単純に比較は出来ないが、この初回政権はテリーとレイス政権と被る。テリー同様、ニックがAWAで成した役割は、帝王ガニア時代のそれとは違ったはずだ。『78世界最強タッグ決定リーグ戦』で全日本にベルト持参で初来日したニックはバリバリの現王者。12月7日の松山でテリーとシングル対決をしている(30分ドロー)。実はこれがウォーリー山口のレフェリーデビュー戦。「俺がニックvsテリーを裁いた」は彼の自慢の一つだった。そういえば、鶴田のAWA奪取の日(84年2月23日=蔵前)の特別レフェリーは引退したテリーだったね。鶴田のバックドロップホールドにカウント3を入れたのは、レフェリーに不似合いの衣装を着ていたテリーでした。

鶴田AWA奪取のレフェリーは…。

 ということで、今年のコラムはこれでお仕舞…ご愛読感謝。来年は1月10日(水)から再開する予定です。みなさん、メリークリスマス(フェリス・ナビダ)、そして、よいお年を!

来年に備えて、My作業場でマスク作り熱中。
Gスピリッツ Vol.70

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