ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第591回】幻の速報増刊

猪木さんの訃報を耳にしたマスカラスから先日、連絡があった。

「ショックだよ。素晴らしいレジェンドが去ってしまったことにすごく動揺しているよ。実は彼が闘病している様子をネットで何回も観ていたんだよ。大変な病気だったみたいだけど、何とか快復することを祈っていたんだ…。でもね、彼は最期までよく頑張ったよ。アントニオ・イノキは本当に素晴らしいレスラーだった。私はイノキ、ババと、あの時代に彼らと戦えたことを誇りに思っているよ。それにしても残念だ…」と、とっても悲しげで、さすがにテンションも低かった…。ブッチャーもコメントを出していたけど、アントニオ猪木と日本プロレス時代に戦った外国人レスラーもファンクスを含めて極少になってしまった。それも寂しい。

 猪木さんが亡くなった時に、もしゴングがあったら、どうしていただろうかと想像した…。いや、失礼ながら、そういうシミュレーションをゴングがまだあった時代にしてなかったわけではなかった(実際はこっちが先に潰れてしまったわけだけど…)。世の中、何があるかわからない。そこでどう対処するかも長い編集生活で試された。その一番の例がブルーザー・ブロディ。1988年7月17日にブロディが亡くなった時、週刊ゴングは校了日。朝、編集部へ行って一報を知る。活版ページの巻頭記事は既に入校していたものをボツにして、プエルトリコや米国からの情報をギリギリまで放り込むことに徹した。それも今のようにネットがある時代ではないから四苦八苦だった。もう一つの問題は表紙。もう別の表紙が既に入稿されていたけど、大日本印刷に差し替えの交渉をする。その一方で、どんな写真がいいか候補を数枚ピックアップした。そこに出社してきた竹内さんが「これを使えば」と即座に一枚のモノクロの紙焼き写真を手渡してくれた。「亡くなった時はカラーよりモノクロのほうがいい」。それがその時、学んだ竹内流の教えであった。一人のレスラーが亡くなって、それを大々的に表紙で速報するという経験は我々にとって初めてであった。先週のこのコラムの猪木さんの一枚目の写真をわざとモノトーンに変換したのは、その教えからである。

馬場さんが1999年1月31日に亡くなった時もそう。竹内さんから、もう用意していたかのように「これを」と馬場さんの若い頃のモノクロ写真を渡される。「こういう時は歳を取った今の写真よりも、若い凛々しい時代のものがいいんだよ」。なるほど…老いた姿よりも、全盛期の勇姿を伝承したいという意味もあったのだろうと思う。実はその日も運悪く校了日だった。表紙以外に巻頭カラーグラビア2ページ分を大日本印刷との交渉で緊急にゲットできたものの、編集部は、それを埋めるための情報を掴むのにバタバタだった。馬場さんと親しかった竹内さんは恵比寿の馬場家に弔問に駆けつけることをせず、編集企画室に籠って馬場さんの速報増刊を作り出した。感傷に浸っている間なんてない。通夜だ、葬儀だ、出棺だよりも自分の仕事が第一…故人には後でも手を合わすことはできる。それよりもいち早く増刊を出さなければ…という竹内さんのプロ意識に頭が下がった。

ブロディの時も竹さんはすぐに増刊を作った(表紙はラウル・ゴメス・デ・モリーナ・ジュニア撮影のスタジオカラー写真。まるでキリストのような写真が週刊の第一候補だった)。2000年5月のジャンボ鶴田死去の時も週刊と速報増刊を出している。ただ、あの時の週刊の表紙はモノクロではなく、スタジオでのカラー写真を使った。バックが黒で、着ているジャケットも黒で、落ち着いた雰囲気だったから、竹さんも「ピークの時の姿だし、色もこれならいいね…」と納得。派手な色を使わず、見出しを白抜きにして白黒感を強調した。増刊の表紙も同じスタジオ写真を使った。

その後だったか、竹さんはこんなことを言い出した。「もし次に何かあるとしたら、猪木さんの時だよなあ。そういう不測の事態に備えていないとね」と、いつでも増刊が作れるようにと写真の整理をしていた姿を忘れない。“その時にそれを作るのは俺。それが自分にとって最後の大仕事”と思っていたようだ。ところが、猪木さんよりも、ずっと先に竹さんが天国へ召されてしまった…のである。

世の中では、この後にいろんな形で猪木さん関連の本が出版されるだろうけど、私が見たいのはやっぱり竹内宏介自身が編集・レイアウトした増刊である。これは他の人では駄目。竹さんなら、こんなことをやっただろうなという企画を想像する。文章を入れるページでは間違いなく櫻井康雄さんに執筆してもらったことだろう。大好きだった名勝負ものもあっただろう。昭和丸出しの中身でもいい。竹さんならば、速報を出した後に改めて集大成のような豪華本を作ったはずだ。過去に竹さんが1人で手掛けた懐かしいアントニオ猪木増刊を数冊並べてみた。猪木増刊を作る時だけは編集の誰の手も借りず、一人で黙々と作っていた。それほど竹さんはアントニオ猪木が好きだった。過去ものをペラペラめくりながら、猪木さん、櫻井さん、竹内さんを重ね合わすように回想する。そっちの世界で三人が楽し気に語らっている様子が目に浮かぶ。その話の輪に天国の先輩の馬場さんも加わっているのかなあと妄想した。“ああ、いるいる”、雲の上に頭が入っていてわからなかっただけか…。あの世ではしがらみもなく、さすがにもうクリアしなければならないこともなく、平穏のうちに企画・開催されるであろう『夢のオールスター戦2』は、1979年夏よりもかなり凄いラインナップになりそうである。その「天国ドーム」大会でも竹内さんは速報増刊を作るはずだ。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅