ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第771回】流氷の町に最古の体育館?

今回は道東へは行かずに…。

さて、北海道放浪ツアー話も終盤戦へ。私はオホーツク沿岸を日の出岬で一泊した後、興部(おこっぺ)へ下る。旧・興部駅は北の雄武へ行く興浜南線(1985年廃線)と遠軽へ向かう名寄本線(89年廃線)が交わる要衝だった。人口も私が初めて行った75年には6700人だったけど、今は3400人を割っている。廃線跡は草に埋もれて確認するのが難しいが、オホーツクに流れ込む河川を渡るための鉄橋などが所々に残っていた。私の調べた限りではメジャー団体は来ていない。

名もなき大草原とオホーツク。

 さらに南下して紋別市に入る。オホーツク沿岸の中央に位置する1万9千人の港町だ。ここだって75年には3万2千人が住んでいた。75年夏には“紋別流氷の宿”というユースホステルに泊まり、77年2月に再訪して初めて流氷を見た。オホーツク沿岸では網走が一番大きな町という認識があった。75年に網走は4万3千人だったのが、今では3万人強に減少していた。つまり現在では僅かであるが紋別のほうが網走よりも人口が多い…オホーツク一番の町になっていた。私も今回、車で市街地を走ってみて「あれっ、こんなに広かったかなあ」という印象を持った。オホーツク沿岸で長年ナンバー2の町だったから昭和のプロレス団体が網走の次にターゲットにしたのは当然であった。1968年7月24日、日本プロレス『サマー・シリーズ』第13戦。当時の記録によると「紋別市前浜広場」とある。メインは馬場&猪木&大木vsレイ・スティーブンス&スカル・マーフィー&マイク・ローレン(シスコの帝王が紋別に来ていたのか…)。まだ日のある午後5時開始で観衆は7000人。翌日の旭川大会(4500人)より入っている。ただ、この前浜広場が何処かは特定できなかった。

運動公園内のオホーツク紋別球場。

 次に紋別に来たのは国際プロレス。1971年7月17日。『ビッグ・サマー・シリーズ』第10戦の「紋別市前沢グラウンド」。メインはサンダー杉山&ラッシャー木村vsチャック・カルボ&ジャック・クレインボーン。セミがストロング小林vsチーフ・ブラック・イーグル(カルロス・コロン)。このグラウンドも実際何処だったのか特定できなかった。とりあえず、運動公園内にある「オホーツク紋別球場」の空撮だけはしておいた。次の紋別が1973年8月23日の全日本。『ワールド・チャンピオン・シリーズ』第6戦の「紋別市中央埠頭広場」。メインは馬場&杉山vsボボ・ブラジル&ハンク・ジェームスの兄弟。前述の前浜広場とここは同じ場所かもしれない。そして次も全日本。2年後の1975年8月24日の「紋別市スポーツセンター」だ。

最古か? 紋別市スポーツセンター。

 それは日テレが稚内から初の生中継をした翌日のこと。『第2次サマー・アクション・シリーズ』第9戦。メインは馬場&クツワダvsキング・イヤウケア&ブル・ラモス。常夏のハワイから来た巨象も目の前に広がるこの海が氷で閉ざされるなんて想像もつかないはずだ。ここで初めてスポーツセンターが出て来たので、それまで紋別市には屋内の体育館がなかったのだろうと思うのは当然のこと。しかし、実際は違った。私はスポーツセンターの事務所で訊ねると、係りの方が「ここが出来たのは昭和30年です」とおっしゃった。「ええっ、昭和30年(1955年)ですか!」。私は何度も聞き直した。もしそれが本当ならば、ここはアレナ・メヒコよりも、私よりも年上だということになる。私の調べでは旭川市総合体育館常盤分館が1953年に完成した北海道最古の体育館(1993年閉館)で、あの札幌中島体育センターが翌1954年竣工(2000年閉館)。ここはその翌年に完成した道内における現役最古の体育館ということになる。ちなみに旧大阪府立体育会館が1952年、蔵前国技館が1954年…どちらもとっくに無い。とすると、ここは日本で最古の体育館で、未だに現役という最長寿の体育施設ということになる(誠であろうか…)。館内は何度も修繕やリフォームが繰り返されたのだろうか、意外と新しめで奇麗に思えた。ただ1955年から1975年まで20年間もプロレス興行に使われなかったのは、なぜだろうか…。

館内は広くて奇麗であった。

 国際は1976年7月20日に初使用し、新日本は1979年7月15日に初めて紋別に来ている。それは『サマー・ファイト・シリーズ』第15戦で、メインは猪木&藤波vsマサ斎藤&ウルトラマン。猪木とウルトラマンが戦った唯一の試合である(これ、観たかったね)。この試合は昼の12時に行われ、その後、110㌔離れた美幌スポーツセンターにおいてダブルヘッダーを行なっている。リングの解体、輸送、組み立てがあったためか美幌は午後7時試合開始だった。当時、営業部長だった大塚直樹氏いわく「紋別は地元の商工会議所にお願いして打った興行で、美幌は市内で映画館をやっていた『高橋興行』の高橋貫一さんが買っていただいた大会でした」。美幌スポーツセンターは2021年5月に訪問した際は閉鎖されていた(第540回でレポート)…今年の2月に美幌を通った際にも建物だけはまだ現存していた。1978年7月28日には再び全日本が紋別に来る。この時のメインでは“紋別市長杯争奪バトルロイヤル”が行われ、キム・ドクが優勝している。地元密着のほのぼのとした取り組みである。このように紋別のプロレスは決まって夏に開催されている。しかし、そのパターンを破ったのは国際だ。晩年の1980年…5月4日に紋別に来た。例の「稚内市ショッピングセンター・タイガー」の前日だ。メインは木村&大木vsジョー・ルダック&マイク・ジョージだった。さらに1984年に全日本は極寒の1月12日に来ている(リスマルク参戦)。ちなみにその年の紋別の流氷初日(視界内の海面で初めて流氷が見られた日)は1月14日で、接岸初日が1月24日だったので、流氷を見るには少し早かった。でも12日当日の試合開始時の気温はマイナス6.7度…半端でなく寒かったことだけは間違いあるまい。

紋別の西にあるコムケ湖

 さて、紋別の町を後にした私はコムケ湖、シブノツナイ湖などマイナーな湖沼を空撮した後にオホーツク海とお別れする。国道242号へ右折して内陸へ入るとチューリップの町で有名な湧別町だ。ここにある湧別町小学校体育館で国際プロレスが1975年11月17日に試合をしている。メインは木村&井上vsピエール・マーチン&サージ・デュモン。セミが草津vsマイク・マーテル。今回はここをパスして先を急ぐ。次に出て来る大きな町が遠軽町だ。北見、網走、紋別の結節点にある人口1万6000人強の大きな町だ。ここにプロレスが来たのはやっぱりパイオニアスピリッツを持つ昭和の屯田兵…国際プロレスである。1970年8月19日、『第3回ビッグ・サマー・シリーズ』第31戦の「遠軽公園」。メインは豊登&小林vsドクター・デス&レス・ウォルフ。セミが杉山vsジャック・ラサルテーズ。翌1971年6月5日には日本プロレスがやって来る。「遠軽公園グラウンド」とあるからおそらく同じ場所だろう。『第7回ゴールデン・シリーズ』第10戦。メインはフレッド・ブラッシー&ダニー・ホッジ&イワン・コロフvs馬場&吉村&小鹿。セミが猪木vsボブ・カーセン(ボブ・スウィータン)。この試合を観ていた少年がいる…東京スポーツの写真部で活躍した木明勝義氏(現在はデジタル・事業室に所属し、東スポアプリ“プロレス雑記帳”を執筆)である。木明クンにはGスピリッツVol.69でインタビューさせてもらった。彼は隣の丸瀬布(現在は遠軽町に併入)の出身で、この遠軽の試合がプロレス初観戦だったと言う。馬場ファンだった木明少年はサインを貰おうと馬場に近づくと手で追い払われたが、猪木はちゃんとサインをしてくれたので、その日から猪木ファンになったという。

この瞰望岩の右下あたりが遠軽公園。

 この「遠軽町総合体育館」の職員さんに聞いたが「遠軽公園?」と言われてしまう。いろいろ探してみたがよくわからなかった。後日、木明クンに聞くと「瞰望岩の登り口あたりですよ」と言う。確かにこの岩は町のシンボルのようで、それを見上げるSLが展示してある広場がそこらしい(なんだあ、それなら体育館の近くで、目の前まで行っていたよ。いつかまた行ってみよう)。ちなみに木明少年は14歳の時、前述の「紋別市中央埠頭広場」を観戦している。父親の車で片道3時間くらいかけて紋別まで行ったそうだ。さて遠軽総合体育館を覗いてみよう。ここもかなり古い体育館だ。

遠軽町総合体育館の外観。

 でも、聞けば完成は1978年だという。最初にここを使ったのは1979年6月7日の全日本。『スーパー・パワー・シリーズ』第12戦。メインは馬場&鶴田vsビル・ロビンソン&ビリー・レッド・ライオン。セミはケビン&デビッドのエリックスvs石川&伊藤だった。次は新日本。1982年6月26日の猪木vsアリ戦記念日…メインは猪木&ハルク・ホーガン&藤波vsディック・マードック&カネック&スコット・マギー。セミはアンドレ・ザ・ジャイアントvs坂口で、その下がタイガーマスクvsウルトラマンだった。「遠軽も美幌の『高橋興行』の高橋貫一さんにやっていただいた興行です」(大塚氏)。

金の延べ棒のような形の台形状の体育館。

 今週で北海道レポートを終えようと思ったが、あともう少しあるので、続きは最終回の来週へ。

日本初のマスクマンはラウル・ロメロ。オープンカーパレードまでやった!

 さて、今週も『プロレス金曜8時ゴールデンアワー』がある。テーマは「最強マスクマン 昭和編」。ネタバレかもしれないが、私が日本マット史上最強マスクマンと推すザ・デストロイヤーがなぜか出て来ない…それだけがとっても気になるのだが…。でも、全体の中身はとても面白く仕上がっていると思いますよ。是非、ご覧ください。そして「最強マスクマン 平成編」の配信は少し先だが9月25日(金)、「俺の推しマスクマン」の配信は10月23日(金)とのこと。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅