今回の旅の最大の目的地である礼文島には、3泊する予定だったが、4泊して島を満喫した。花のオンシーズンを狙ったのもあるが、一番は晴天に恵まれたため、最高の時間を過ごすことができたからである…。礼文のシンボルである桃岩、そして猫岩、地蔵岩をドローンであらゆる角度から撮影できた。51年前に登ったゴロタ岬へのアプローチと海の美しさは昔のまま…。変わりゆく北海道の中で、ここだけは時間が止まっているかのようだった。
(写真1)

そして、日本最北限のスコトン岬から、洋上に浮かぶ海馬島へドローンを飛ばしてみる。また、島の最南端へ行くと道が途切れている。そこからドローンを飛ばし、険しい断崖の西海岸へと回り込む撮影もできた。また、礼文固有の“白い妖精”レブンアツモリソウやレブンソウは、やや時期が遅かったが、高山植物園で観ることができたし、エーデルワイスの一種、レブンウスユキソウが自生する群落も発見できた(言うことなしだね…)。ほかにも、私自身が「これは…」と確認できた自生の花は数十種にも…。この島は、まさしく千紫万紅の楽園であった。

私の楽しい礼文ライフを支えてくれたのが、民宿『海憧』の女将・美智子さんと、華子さん、春奈さん、ゆりさんの女性スタッフたち(私は勝手に“礼文ミチコと爆笑キャンディーズ”と命名)。かつてここは「船泊ユースホステル」という若者向けの宿であったが、30年前に民宿に転身。1970年代のピーク時に全国に数百軒あった古き良き時代のユースホステルの感覚を残し、それでいて温かい民宿の良さを兼ね備えている(ちなみに私は昔、北海道のユースだけで100泊以上している)。働き者で笑いが絶えない彼女たちが、ユース時代の“ヘルパーさん”(お手伝いさん)のようで、懐かしくも居心地の良さを与えてくれた。お陰で、私の心は50年前にタイムスリップすることができた。

快晴続きの4日間で撮ったドローンの動画と画像をすべて『海憧』さんに提供…。すると、帰京後にスタッフのゆりさんが恰好良く編集してくれました。とてもいい出来栄えだったので、下に貼り付けたのでご覧ください(私自身も数十回観ています…)。
「あのドローンの映像を見て、礼文に行きたいなと思った」「楽しそうな雰囲気が伝わりました。行くならば、あの宿に泊まりたい」なんて人が出て、ここに来てくれたら嬉しいよね。息をのむような美しい夕陽、彼女たちの優しい笑顔のおもてなしと、美味しい最北の海の幸が楽しめますよ。

さて、民宿の宣伝はここまでにして…。礼文に来たプロレスについて書きましょうか。
最初に礼文島に来たのは全日本女子プロレスであった。先週書いた利尻大会の翌日(1981年7月27日)、国際プロレスが知床の羅臼で崩壊する13日前…。全女は最北の島に来ていたのである。
場所は「礼文島ファミリースポーツセンター」。その体育館は『海憧』のある船泊の町に存在した。ゴングの愛読者だったホッケ漁師の岡本さんは言う。
「私も子供の頃にその大会を観に行きましたよ。でも、そのスポーツセンターはもうないです。久種湖畔キャンプ場の所にある住宅あたりに建っていたんです。当時、あそこが島内で唯一の体育館でした」
そこで礼文町役場船泊支所へ行って、さらに聞き込みをする。
「ファミリースポーツセンターができたのは74年です。それで96年に取り壊されています」とのこと。
道内の他の施設と違って、かなり寿命が短い…。道内では使用不能になっても、こんなに早く取り壊すことは珍しい。風雪に耐えるには造りが甘かったのだろうか…。
その日のメインは、ナンシー久美&ミミ萩原vsレイラニ・カイ&マミ熊野(ちなみに利尻・礼文には熊はいない)。セミは横田利美vsデビル雅美だった。
「小さい体育館でしたが、お客はいっぱいでしたよ」(岡本さん)。
当時の島の人口は今の倍以上、約6000人弱であった。76年の久種湖の航空写真を調べると、キャンプ場の北側に白い建物が確認できる。ここに間違いあるまい。
日本最北端の淡水湖・久種湖の湖畔からドローンを飛ばして、ファミリースポーツセンターの跡地を撮影したのが下の写真。手前が久種湖で、船泊湾と中央の尖った山がゴロタ岬、その延長線上の左がスコトン岬と海馬島…。北の果ての紺碧の海が広がるコロケーションで、ハワイアンもどきのレイラニ・カイ(実はフロリダ州タンパ生まれ)が試合をしていたのだ。
そして、私はあることに閃いた。もしやと思って緯度を調べてみると、やっぱり…。
稚内市体育館があった稚内市宝来は北緯45度25分9秒。この礼文島ファミリースポーツセンターのあった船泊は北緯45度26分15秒…。つまり、礼文の方が日本最北の体育館“だった”ということになる(ちなみに日本最北端の宗谷岬は45度31分21秒)。

さて、次に来島したプロレスはLLPW(ザ・華激ルネッサンス10~旗揚げ10周年記念大会シリーズ)。全女来島から21年が経過した2002年9月18日のことである。
会場は香深の北にある「礼文町総合体育館(潮騒ドーム)」。東海岸線沿いにある新しめの大型施設だが、ドーム形状ではない。南北に長い礼文島の中ほどにあるここの緯度を調べると、稚内市総合体育館(富士見町)よりやや南に位置する。日本最北端の現役体育館の座は、稚内に軍配が上がった…。
ここは全国的にドーム建築ブームが起こっていた頃、97年にできたメインとサブを持つ2階建ての、かなり立派な体育施設だ。時期的に、船泊のファミリースポーツセンターからバトンタッチするように造られたものなのであろう。


神取忍、風間ルミ、井上貴子らが参戦した大会だが、なんと言っても、ここで柳沼寛香がデビューしたことが後に有名になる(vs桑田真理)。その後、礼文島でデビューしたことから、“レヴン寛香”というリングネームに改名しているからだ。そのため、礼文島の名前がプロレスファンにも少し知られるようになった。
彼女は2005年にLLPWを退団して単身メキシコに渡り、8月にHIROKAの名でルーダとしてCMLLデビューする。そして06年6月9日、アレナ・メヒコでマルセラを破って第9代CMLL世界女子チャンピオンに輝いた。それは初代のブル中野、4代目レイナ・フブキ(北斗晶)、6代目の吉田万里子に続く、日本人選手4人目の快挙であった。
それを、何のコネもない根無し草の無名に近い選手が成し遂げた…。まさにシンデレラストーリーであった。

さらにHIROKAは10月に、強豪レディ・アパッチェをカベジェラ戦(髪の毛マッチ)で破るという大金星も挙げている(日本人選手がアレナ・メヒコのカベジェラ戦で勝利したのは、79年のサトル・サヤマvsアルフォンソ・ダンテス以来の快挙だ)。
私はこの年、メヒコで彼女にインタビューしている。現地で苦労しながらも努力して世界に辿り着いた経緯を聞いた。とにかく練習熱心で真面目な女性だった。また、動物が好きで、レスラーになる前は動物写真家を目指したという変わり者。そのインタビューの際に、当然のように礼文島の話をしている。
「そうですか。清水さんは3回も礼文に行っているんですか。私にとっても礼文島は忘れられない場所ですよ」
と笑っていた。
後にHIROKAはデムス(前身はペケーニョ・ダミアン666)と結婚し、引退してメキシコシティ市内でペットショップを経営している(アザラシの縫いぐるみをプレゼントしたい…)。
(写真9)

LLPWの来島から12年後、次に礼文に来たのは大日本プロレス。「大会前にグレート小鹿さんが視察に来たんですよ。潮騒ドームは大きすぎるので、手軽なピスカ21にしたんだと思います」と漁師の岡本さん。
大日本が来島したのは2014年7月21日。「ピスカ21」とは、香深フェリーターミナルに近い礼文町民活動総合センターの愛称で、ここは93年に完成した施設。使われたのは多目的大ホール…といっても、こじんまりした空間。発表によれば355人(満員)。当時の島の人口が2500人前後だったので、入れ物からしても善戦と言えよう。
そういえば小鹿さんは、利尻・礼文で植樹活動もしておられた。それから10年…。木は順調に育っているだろうか。
(写真10)

ということで、私の礼文島調査は終了。礼文岳、礼文滝、宇遠内の滝、アナマ岩、召国など…。元気ならば行ってドローンを飛ばしたい秘境はまだまだある。だから、また必ずこの最北の楽園に帰って来ようと思う。
引かれる後ろ髪はないが、名残惜しさだけを胸に、香深港からフェリーで稚内へ…。
知床へ行っても、こういう哀愁を感じないのは地続きだからか…。島だからこそ感傷的になるのかも…。
ありがとう、利尻・礼文。
島に滞在した1週間、毎日ずっと晴れていたのに、稚内の天気は悪かった…。翌日から宗谷岬を経てオホーツク沿いを南下することになる。
続きは、また来週。