
先週はオホーツクの紋別市から内陸に入った交通の要衝・遠軽町に至るロードを書いた。そうそう、先週、79年の新日本紋別でのタッグ…猪木とウルトラマンは唯一の対決と書いてしまったけれど、あれは初対戦でして、あの後にも網走、帯広、滝川など、6人タッグで何度も当たっていました(我が家のある綱島でも!)。まったくもってスミマセンでした…。
さて、今週こそ、北海道の旅レポートを終わりにしたいと思う。遠軽町の後、次に隣の丸瀬布(まるせっぷ)へ行く。といってもここは2005年に遠軽町に合併されている。東京スポーツ新聞社の元写真部の木明勝義氏(現在・東スポWEB『プロレス蔵出し写真館』を執筆中)が生まれた町で、ゴング(日本スポーツ出版社)の写真部長だった佐々木雄一氏の出身地でもある。この山間部の小さな町からプロレスカメラマンが2人も出たのは驚きだ。
ここにある「丸瀬布町中学校体育館」では1977年7月20日、国際プロレスが来ている。『ビッグ・チャレンジ・シリーズ』第22戦、メインは木村&草津vsキラー・トーア・カマタ&ビースト・コロンビア。同シリーズで行われていた“北海タイムス杯争奪トーナメント”ではサモアンズ2号はミスター・ヒトに、1号は大位山に勝っている。佐々木さんはとっくに東京に出て写真部長になっていたし、高校生の木明クンは札幌に住んでいたので、この地元初のプロレス開催を観ていない。

さて、国際は丸瀬布に再度やって来る。しかし、その日程はどの媒体にも載っていなかった。これがマニアの中で長年謎とされてきた“幻のシリーズ”の中の一試合だったのだ。
80年の『第一次ビッグ・サマー・シリーズ』は6月28日に開幕し、7月25日の札幌・中島スポーツセンターで終了している。後日、デラプロにだけ『第二次ビッグ・サマー・シリーズ』の日程が載った。それによると第二次…の開幕は8月1日の岩手県西根町民体育館で、最終戦は21日の千葉公園。参加ガイジン選手の発表はなし、タイトルマッチもなし、記録もマスコミに送らないという超異例のシリーズ(どのマスコミも取材していない)。だから余計に、謎が深まった。
記録マニアたちが疑問に思ったのは、札幌の後、西根までの6日間、国際の本体はどこかで試合をしていたのではないかという点である。それが明らかになったのは、2008年、私が鶴見五郎を取材した時に日記の存在を突き止めたこと。そして2013年に行った、鶴見がゲストのトークショーでその事実を公表している。その後、高杉日記も出てきて幻のシリーズの全容がはっきりしてきた。

2つの日記によれば、あの札幌の夜、国際プロレスご一行は定宿のグリーホテルに泊まって翌日(80年7月26日)、深川市に移動。そして「深川市緑町野球場(子供広場)」で試合をしている。その現場のレポートは7週間前の“日本の天辺へ(2)”で書いている。

国際一行は7月27日、丸瀬布に入った。高杉日記によれば深川を午前11時に出て、丸瀬布には午後2時に着いたとある。高杉は阿修羅・原と20分1本勝負で敗れ、バトルロイヤルにも出たと記してあるが、珍しく宿の名が書かれていない。鶴見日記によれば、彼は金光稙とシングルをやって敗れている。深川同様、メインやセミなどその他の結果はすべて不明だ。
鶴見日記には「明日は帰るので遠軽泊まりにしてもらった。試合後、ガイジンの所に行って泊まった」とある。日本人は丸瀬布に、ガイジンは遠軽に分宿したことがわかる。“明日は帰るので”とは、帰国する一部のガイジンを引率して千歳から帰京するということなのだ。
帰国するガイジンとはスパイク・ヒューバー、ランディ・タイラーの2人で、ジプシー・ジョーとジェイク・ロバーツ、ロッキー・ブリューワーは残留した。ガイジンとの契約期限…このことから、深川が『第二次ビッグ・サマー・シリーズ』の開幕戦ではなく、『第一次ビッグ・サマー・シリーズ』は丸瀬布までだったというふうにも取れる。あるいは未発表だった深川と丸瀬布は“第一次…”の追撃戦だったとも受け取れる。

翌日(28日)、鶴見日記によると「朝早く起きて出発したら、丸瀬布(の駅)で大位山選手と会った。列車は(急行列車?は)丸瀬布も止まった。夕方(茅ヶ崎の家に)着いてくつろいだ」とある。
では高杉日記で28日からの国際本隊の動きを追ってみよう。丸瀬布朝9時発の列車で夕方5時半に洞爺湖に近い有珠町の民宿吉田に入っている。ここで連泊したのは顔見知りの安宿だったからか。そして30日早朝5時出発で苫小牧に戻り、9時15分の東日本フェリーで八戸へ渡り、10時に秋田県大館に着く。丸瀬布から中3日、8月31日が大館市民体育館(未発表)であった。茅ヶ崎の自宅で休んだ鶴見は31日に飛行機で秋田入りしている。そしてこの翌日が一部で発表された西根町民体育館へと繋がるというわけだ。

さて、丸瀬布中学校の体育館は校外から見る限り、新しそうで、70年代以前の物件には見えなかった。木明クンが「自分もそこが母校で、場所は今も昔と同じ。もう体育館は建て直されていますよ」と教えてくれた。
でも、ここで私は大きなポカをしてしまった。77年7月の時は確かに「中学校」だったが、改めて高杉日記を読み返すと「丸瀬布町小学校」だったのだ。中学校は湧別川右岸の新町で、小学校は左岸の東町。1カ月前、我が家を出る前には場所までしっかり確認しておいたのに、現地に着いたら頭からすっかり飛んでいた。
年寄りの悲しい性で、物忘れが多く、なかなかパーフェクトには事が運ばない(笑ってください…)。実は、同様のポカを今回の旅でもやらかしている。思い出してほしい。5週前に書いた中川町のラッシャー木村の故郷を訪れた時のことを…。
私は天塩中川駅に着いた時に「よし、ここまで来たなら木村さんの生家を探そう!」という予定外の行動に移したがために、この町で国際が興行をやったことが完全に頭からぶっ飛んでいたのだ。

それは79年7月17日、『ビッグ・サマー・シリーズ』第19戦の中川町中学校体育館。ここからアンドレ・ザ・ジャイアントとヘイスタック・カルホーンが特別参加している。新日本から逆貸出された大巨人の初戦ということがクローズアップされて、ラッシャーの故郷凱旋ということがぶっ飛んでいた。
メインは木村&井上vsアンドレ&アレックス・スミルノフ。中学校だというのにTV中継もあったよね(23日オンエア)。それにしても、アメリカから来たばかりの大巨人と人間空母をよくぞ僻地の中川町まで移動させたものだ。この輸送大作戦の裏話を知りたいなあ。
それはともかく、私は中川町中学校へ行くのを忘れてしまっていた…(また宿題を作った)。

さて、丸瀬布のポカの言い訳をするならば、この後にヒグマの巣窟とも言われる浮島湿原に登る予定だったから先を急いでいたのである。陽があるうちの登山だったので、幸いヒグマには出会わずに済んだ(唯一、出くわしたのはネマガリダケ採りのオヤジだけ)。
その後の数日間は、大雪山系を登ったり、林道を激走したりで、プロレスとはまったく無縁の旅の主目的に徹する。

そして数日後。十勝川河口で久しぶりの太平洋に出会う。その周辺のトイドッキ沼、長節湖、湧洞湖、キモントウ沼、生花苗沼、ホロカヤントウなどマイナー湖沼を空撮。ナウマン象発掘の地・虫類で泊まって、襟裳岬経由で日高に数泊して苫小牧からフェリーで帰るコースを取る。
襟裳へ向かう日はハート型の豊似湖を空撮することが一番の狙いだったが、その途中で黄金道路への入口の広尾町へ寄る。十勝管内の最南端に位置し、西に日高山脈が迫り、十勝港を有する漁業と林業が中心で人口は約5600人。かつて帯広から広尾線がここまで伸びていたが、87年に廃線になった。途中の「幸福」駅と「愛国」駅は73年にNHKの『新日本紀行』で紹介されて以来、道内の観光スポットとなり、縁起切符ブームの先駆けであった(どっちも帯広市だが…)。
この広尾町が今回の旅で寄った最後の昭和プロレス遺産だ。

70年8月10日、『ビッグ・サマー・シリーズ』第23戦の「広尾町営球場」。メインは杉山&草津&井上vsジャック・ラサルテーズ&ドクター・デス&ミスター・ブラウンの6人タッグで、セミは小林vsレイ・ウォルフ。翌日の苫小牧が杉山&草津vsデス&ウォルフのIWA世界タッグだから前哨戦的な意味合いだった。
場所は町の中心に聳える丸山の中腹にある。この頃の人口は今の倍以上、1万3千人強だった。86年7月13日に全日本が「シーサイドパーク広尾体育センター」に来たのが、メジャー団体が広尾に来た最後か…。
この頃の人口は1万人強。メインは長州&谷津&浜口vsスタン・ハンセン&テッド・デビアス&ピート・ロバーツで、セミが鶴田&天龍&三沢タイガーvs木村&阿修羅・原&鶴見。上の5試合が全部タッグという飽和状態だった時期だ(34選手で全9試合)。
80年に完成したこの体育館はその名前の通り海岸線にあり、現在は「広尾勤労体育センター」となっている。

今回、ブルー・デモン号は道内だけで3000㌔を激走した。第1の目的は利尻・礼文で、それ以下は高山植物の観察と観光客が行かないマイナー湖沼、高層湿原など北海道ならではのワイルドな絶景の空撮だった。
プロレス史跡めぐりは旅の繋ぎのような形でやっていたが、内地(本州)ではほとんど無くなってきている昭和物件を十数カ所も発見できて、成果は上々だったといえる。
今回、一番感じたのは、出会った人たちの優しさだった。それは各市町村の役場の職員さんからセイコーマート(道内限定コンビニ)の店員さんに至るまで、誰も一様に素朴でとても優しくて親切なのだ。おかげで楽しい人情旅になった。
名寄市スポーツセンターの松澤事務局長、羽幌のマスクマニアでホタテ養殖業の野宮さん、中川町のラッシャー木村の兄の同級生のご老人、利尻島『らーめん味楽』の江差家会長夫妻、礼文島のホッケ漁師の岡本夫妻、民宿『海憧』の礼文ミチコと爆笑キャンディーズ…今回の旅で私に関わったすべての人たちに感謝したい。
「ありがとう…いい旅ができました」。
この旅の連載を9週にわたって読まれた方たちにも、長らくお付き合いいただきありがとうございました。
私は今週末から次の旅に出ます。メキシコです。ドクトル・ルチャ監修観戦ツアーのお客さんたちより前に、先乗りして現地取材することにした。それなので、このコラムは2週分お休みさせてもらいます。元気に帰国できたら9月30日に再開する予定です。
それではアスタ・ルエゴ(Hasta Luego=またね…)。