ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第717回】プレゼント着(3)

さて、3週目に入ったメキシカンへのプレゼント着の話…今回はミル・マスカラス・ファンクラブ『エル・アミーゴ』の会長だった頃のことを書く。1977年夏の全日本『第2弾サマー・アクション・シリーズ』はスカイハイブームの真っただ中であった。前年には本人へのインタビューもしたし、ファンクラブとしてマスカラスに何かしてあげたいと考えて思いついたのが、プレゼント。ありきたりのものではなく、自分たちだけのオリジナルなものをと頭を捻る。熟考した末に閃いたのが着るもの。それも出来ることならばコスチュームとして使ってほしいもの、である。マスカラスのコスチュームを大まかに分類すると3つある。一つがマント(カパ)。日本で言うところの「合羽」の語源はスペイン語のカパである。マスカラスのカパは総じてチョッキのような上着が付属している。これは先輩のブラック・シャドーやウラカン・ラミレスから踏襲してものであろう。

黄色いタイツには金色のマスクとマント。

二つ目はジャンパー風の上着=チャマラである。ヒョウ柄、虎柄のものもあれば、金糸や銀糸の細工を施し、メキシコの手芸の技術の高さが際立つ鮮やかなチャマラが多い。柄物以外で金と銀、黒が多いのはマスクやロングタイツの色とのコーディネーションを意識していたからであろう。マスカラスは一回の来日で2つの色のロングタイツを持参する。チャマラもそれに合わせたものを選んで持って来ているように思う。

背中に自分の顔の入ったチャマラ。

そして三つ目のコスチュームは、マリアッチの衣装=チャロである(ソンブレロもセット)。スペインの植民地となったメキシコで、メキシコ人たちは当初、乗馬が許されなかった。だが、スペイン人の領主に許可を得て馬に乗れるようになった時に、スペイン人と間違われないように特別の衣装を着て山賊たちと戦った。それがチャロの始まりである。メキシコ人は次第に馬術を向上させ、衣装も次第に勇ましさを表すものへ変化する。独立戦争の際もメキシコ人はこれを着て戦った。つまりチャロは男らしさと勇猛果敢な戦士の象徴であったのだ。71年の初来日初戦も、72年のMSG初登場も、マスカラスは「私はメキシコ人である!」を強調するためにチャロを着てリングインしている。独立戦争から発生したメキシコ流の馬術は「チャレアーダ」という国技にも近い競技となる。そこでもチャロは着用されるが、飾りを押さえたものが多い。『サマー・ミステリー・シリーズ』で使用した茶色いチャロは、そっち系のもので、派手なマリアッチ風のものとは少し違う。

ロスでのチャロ姿。日本にはズボンは持って来なかった。
チャレアーダ風のチャロとソンブレロ。

民族衣装ならば、チャロ以外にもポンチョがある。北中南米の山間部に暮らすインディオたちが着る被りものの衣装で、寒暖差のあるメキシコでも山深い農村では今も着られている。マスカラスのコスチュームでポンチョは極少だ。68年のロスで黒いものを、日本では74年7月25日の日大講堂でのデストロイヤー戦で白いのを、計2つ着ていたくらいか。その白い方のポンチョはマスカラスから竹内さんにプレゼントされた(ソンブレロも)。どちらもメキシコに持って帰るには嵩張るのでプレゼントしたのだろう。日米ではメキシコ人を強調するために着ていたが、母国メキシコで着ている姿は記憶にない。日本人メインエベンターが日本マットで田吾作スタイルをしないのと同じことか…。頭に被るアステカ王朝の羽根飾りはペナチョと呼ぶ。横に開く羽根と、縦に配列した羽根と2種類あるらしく、「これがモクテスマ王で、こっちが…」とマスカラス本人に詳しく解説されたが、もう忘れてしまった。確か日本では4回違うペナチョを披露している。それらはマントとセットになっていた。ところがメキシコ国内の試合でマスカラスがペナチョで登場したケースを私は知らない。あくまでアステカの王が神事や祭事に着る衣装なので、外国遠征用のコスチュームだったのであろう。

有名すぎるペナチョは海外遠征用だった!?

さて、話がマスカラスのコスチュームの種類に振られてしまい、我々のファンクラブのプレゼントから脱線してしまった。何に絞るか。これらのコスチュームの分別からマントと民族衣装のチャロは消える。ポンチョやペナチョも無し。とするとチャマラ(ジャンパー風の上着)しかない。私は目黒のステーションビルとターミナルビルの洋服売り場をいろいろ探したが、いい感じのものがない。それに当時はスポーツ用品店というものが、アチコチにあったわけではない。目黒駅周辺はなかった。やっぱり渋谷へ行くしかないかと思った時によぎったのが、権之助坂を下りて目黒川沿いの角に一件あった、やや大き目のスポーツ用品店。確かあそこでオランダナショナルチームのオレンジ色のストッキングを買ったような…。ということで名前は忘れたけど、そのお店へ行って店主と相談する。すると奥から鮮やかなブルーのジャンパーを出して来てくれた。マスカラスのサイズが分からないので、適当にLLにした。そして背中に特注で「MIL MASCARAS FANCLUB EL AMIGO」と文字を入れて貰うことにした。すると店主が言う。「これは裏表で両方着られるんですよ」と。今でいうリバーシブルであった。その頃ならかなり斬新だ。裏は真っ赤だった。そこにも文字を入れて貰う。「MIL MASCARAS MEXICO」だったか記憶にない。値段は当時2万円くらいしたかも。それを8月25日の田園コロシアム(vsジャンボ鶴田)の日の控室で本人に渡した。「オオ、ビューティフルカラー、テンキュー、テンキュー」と喜んでくれた。

田コロで渡したFCのジャンパー。

田コロの次が27日の佐倉市東高校広場、28日が八王子市南口広場、29日が大宮スケートセンター、30日が宇都宮スポーツセンター(デストロイヤーに初勝利)…これに全部行く。竹内さんとは八王子以外全部一緒に行動していた。宇都宮の時に竹さんが「清水君、明日の沼津でマスカラスがあのジャンパーを着て出るって言っているよ」って教えてくれた。「ええっ、本当ですか」。私は小躍りした。今回はマスカラスにオリジナルのジャンパーをプレゼントして、それを試合のコスチュームとして着てくれることになったというところまでで、タイムアップ…。この続きは来週(引っ張るね…)。

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