ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第713回】レジェンドたちの感謝

土曜日と日曜日は『ルチャ・フエスタ』(メキシコ観光主催)のグッズ即売会と両国国技館のイベントに行って来た。私にとって嬉しかったのはエル・サタニコ、ネグロ・ナバーロ、オクタゴン、エル・パンテーラらレジェンドたちとの再会だ。彼らとは昨年9月21日にアレナ・コリセオでのレジェンド8人タッグ以来の再会だったが、まさか半年後に日本で会えるなんて思ってもみなかった。サタニコやナバーロなどは46年前からのとっても古いお付き合いだ。日本人で、それだけ長い友人は数人しかいない。近年、メキシコのレジェンドたちがポツポツ亡くなってしまったので、彼らは超貴重で特別な“アミーゴたち”である。一番短いアミーゴのオクタゴンとでさえ初対面から34年の歳月が経っている。彼らにはメキシコでとてもお世話になった。そうした恩を日本でお返しするのは当然のこと。それがメキシカンたちとの付き合い方だと思っている。

83年の家庭訪問の載ったゴングをプレゼント。
オクタゴン親子、ナバーロ、パンテーラ親子と浅草へ。

サタニコは2000年のCMLLジャパン以来、25年ぶりの来日で、両国国技館は1997年10月10日のみちのく以来(vsサトル・サヤマ)以来。ナバーロは2011年の府中プロレス以来の来日で、国技館ということなら旧UWF旗揚げで蔵前を経験している。パンテーラはレッスルワンの2017年以来だから来たのは比較的最近。オクタゴンは2000年7月の『トリプレマニア8』の初来日以来だから日本で試合をするのは25年ぶりだ。今回彼らを招聘してくれた主催者には感謝しかない。

ブラック・テリーと新間寿氏の追悼セレモニー。

来日直前に亡くなられたブラック・テリー(エステバン・マレス・カスタネージャ=72歳)と新間寿氏(90歳)の遺影は、メキシコ観光の伊藤さんに頼まれてこちらで用意させてもらう。サタニコと代打出場のサスケが遺影を持って追悼セレモニーに臨む。ブラック・テリーはメキシコ流の1分間の拍手で故人を天国へ送る。新間氏の方は日本流の10カウントゴングで…。テリーはアレナ・メヒコでも既に息子のホセ・マレスをリングに上げての追悼セレモニーをやっている。新間氏のリングを使っての10カウント追悼はここが初めてである。リングに上がれば常にマイクを取って我々に何かを訴え続けて来た新間氏だったが、この日は無言で10カウントを聞くことになった。思えば1990年3月1日、ルチャ・リブレの黒船とも言うべきユニバーサル・レスリング連盟が旗揚げした日、リング上で新間寿氏が顧問として開会の挨拶をし、その同じリングに初来日のブラック・テリーがいた。そして素顔のサスケも…。あれから35年の歳月が経ち、こういう悲しい姿で集まったことに不思議なものを感じた。

サタニコとナバーロのレジェンド攻防。

そのユニバーサルの「リバイバルマッチ」と題したタッグマッチ。ナバーロとパンテーラが組み、エル・サタニコとサスケが対戦。ナバーロはロス・ミショネロス・デ・ラ・ムエルテとして新間新日本に81年秋に初来日し、旧Uを経てユニバでも活躍した。新間氏ゆかりのメキシカンといえる。パンテーラは91年9月のユニバが初来日で、92年にはアメリカでスポット参戦している。サタニコはユニバではなく、92年4月のSWSが初来日で、この日の試合の中でも重鎮たる威厳を示した。御年75歳。メキシコでは最高齢の現役ルチャドールだ。控室では日本の高齢エストレージャである藤波さんとご対面。藤波さんは今年73歳で2つ下。「75なの…僕の人生の先輩だあ」と感心するが、藤波さんは71年デビューで、「俺は73年だから…」とサタ。レスラーとしては2つ違いの先輩後輩だった。それにしても、これぞ「ア・オメナヘ・ドス・レジェンダス」という顔合わせであった。

別の道を歩いて来た2人のレジェンドと。

「75歳になる私がまた日本に来られるなんて、考えてもみなかった。恐らくこれが最後だろう…でもこの国の再び来られたことに感謝している」と語ったサタニコ。彼には、いろんな懐かしい選手たちが会いに来ていた。高杉正彦(ウルトラセブン)もその一人。1981年、国際プロレス崩壊後に渡墨し、アレナ・メヒコで高杉がデビューした時の相手がサタニコ(6人タッグ)で、私もその試合に立ち会っている。「よく憶えているよ。懐かしいなあ。サトルが居なくなった後に来た日本人選手だったよな。日本に帰ってマスクを被ったと聞いていたよ」とサタ。実に44年ぶりの再会であった。それから引退したNOSAWAもサタを表敬訪問。「まさかサタニコさんが日本に来られるなんて。私の人生のマエストロですよ。私の選手としての到達点、アレナ・メヒコで僕がMAZADAさんと組んでサタニコさんとネグロ・カサスさんと戦ったカベジェラ戦(2003年5月16日)です。僕たちは何処のバックもない現地採用の叩き上げですから。そんな僕らの挑戦を受けて戦ってくれた…私の人生最高の思い出の試合はあれですよ。サタニコさんには感謝しかないです」。その横でサタニコは「キミはよくあの逆境でよく頑張っていたよ。身体のことを思って若くして辞めたのは賢明だけど、俺は75でも現役を続けている」と笑う。その背筋がピンとしていた。

44年ぶりに再会したサタニコと高杉。
NOSAWAもサタニコ先生に再会できて感激。

この日、オクタゴンは息子の初来日のオクタゴン・ジュニアと組んで東北ジュニア王者のパンテーラ・ジュニアと佐々木大輔のタッグマッチで対戦した。同名のオクタゴン・ジュニアはAAAにもいてGLEATに何度か来日している。だから「今回来たジュニアは誰が入っているんですか」なんていう声があったようだが、AAAのジュニアはオクタゴンとの血縁関係はなしで、今回のジュニアはリアルな息子である。確かに近年のイホやジュニア、同名の二代目、三代目など無秩序も甚だしい…だからこんな疑われ方をするのだ。困ったものである。それで試合はというと、64歳のオクタゴンが異常に頑張った。腹が出ているのに動きがキレキレだった。最近の彼の試合を何試合も観ているが、あれほど動いた試合はない。もしかしたら25年前の『トリプレマニア8』の時(39歳)よりも良かったかもしれない。でも、なぜこれほどまで見事にオクタゴンが動けたのかは、観ていてすぐにわかった。対戦相手のパンテーラ・ジュニアが絶妙の受けをしたからである。「ルチャは派手な攻め手の動きばかり見ていては駄目。受け手がどれほど巧いタイミングで動き、ポジションを取るか…そこが一番大事である」(ドクトル・ルチャの格言)。90年代の彼の全盛期で最も見事な受けをしたのはライバルのフエルサ・ゲレーラ(73歳)だった。でも、いくら百戦錬磨とはいえ今のフエルサでは今のオクタゴンの良さはもう引き出せない。日曜日の試合は若いパンテーラ・ジュニアだからこそ可能だったといえる。ふく面ワールドリーグ戦で優勝し、東北ジュニアヘビー級王者にもなったパンテーラの次男は、普段オクタゴン・ジュニアのような派手な空中殺法で沸せているが、この日はルードを演じ、オクタゴン親子の受けに徹した。投手(=テクニコ)は投手であって、捕手(=ルード)はやらない。この若者は短いキャリアで地味な捕手(受け手)も見事にできる器用さを備えていたのだ。そんな攻守の二刀流プレーヤーであることに私は凄いと感心したのである。私がパンテーラのパパにそれを伝えると、「わかるのはトマスだからだよ。俺もそう思いながらリングサイドで息子の動きを観ていたよ。息子でないとオクタゴンのマックスを引き出せなかったよな」と私にウインクした。まさに…である。

一つ残念なのはあの場に私の友人で、ドクトル・ルチャの応援団長的存在だった岡田清二くん(イジリー岡田氏の実弟)がいなかったこと。岡田くんは先日、マイティさんと同じ心室細動で路上にて倒れて緊急搬送された。彼は私のトークショー=全56回+αの最前列を常時確保して皆勤賞、一昨年のメヒコツアー(メキシコ観光)にも参加し、今秋のツアーも絶対に行くと超楽しみにしていた。一時は意識不明の危険な状態が続いたが意識をなんとか戻って現在リハビリ中…。そんな岡田君はこのルチャ・フエスタをとっても楽しみにしていたのだ。マスクよりもルチャそのものが大好きで、個人でもいろいろ熱心に研究するドクトル・ルチャ・ゼミの大学院生みたいな存在。マジで両国に来て観戦してほしかった。大好きなサタニコも紹介したし、オクタゴン親子にも会わせたかった。それが叶わなかったことが、私にとってこの大会唯一の残念な部分であった。岡田君、元気になってまたメキシコに行こう。そこでサタニコに会おうよ。今回の主催大会で、存在感を猛アピールした「メキシコ観光」のツアーで…。

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