ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第700回】700という数

1年は早いもので、昨年の今頃、緊急来日したフエルサ・ゲレーラのトークショーを闘道館でやった。その前後にフエルサの家族を小田原城、横浜みなとみらい、富士山スキー、鎌倉大仏、お台場などへ連れて行った。彼のストーリーを書いたGスピリッツVol.74は自宅に届いたであろうか(メヒコは郵便事情悪いからなあ…)。

1年前、フエルサと富士山へ。

さて、今回でこのコラムはジャスト700回を迎えた。700という数字で浮かぶもの…廃線になってしまったけど、十和田観光電鉄に「七百駅」(しちひゃくえき)という駅があったよ。青森県六戸だったと思う。あれは北尾光司がボイコットした新日本の十和田市体育館へ行った時のこと、三沢から十和田市を結ぶこの線に一度乗った。その時に“七百か…面白い名前の駅だなあ”と思った。鉄道で700と言えば、新幹線の700系。1990年代後半に東海道、山陽新幹線で活躍した最高速285キロを出す速い奴。これには随分乗ったよ。700の大台といえば、本塁打王たちが積み上げたホームランの数。最初に700号を打ったのはベーブ・ルース。それはルチャ・リブレ(EMLL=現CMLL)が旗揚げした翌年、1934年のこと。ルースは最終的に714本打って引退した。その大記録を破って通算755本打ったのがハンク・アーロン。1976年の事だからルースから33年が経過していた。その記録を破ったのが、バリー・ボンズ。通算で762号の世界記録。2007年のことなのでアーロンから31年後の新記録達成である(ただし、薬物使用問題で記録に泥を塗る)。その後、アルバート・プホールズが史上最年長の42歳で700号に到達したのが2022年。そこに3本プラスして引退した。MLBではボンズ、アーロン、ルース、プホールズの順。日本のプロ野球で王(貞治)さんが700号に到達したのは76年7月23日の横浜戦。川崎球場での達成だった。これは自宅で観ていた!(その頃は巨人ファン)

700号の翌日が馬場vsロビンソン。

プロレスに絡めるならば、この700号の翌日…蔵前国技館でジャイアント馬場vsビル・ロビンソンのPWFヘビー級選手権があった。68年にロビンソンが国際プロレスに初来日して「世の中にはすごいレスラーがいるものだ!」と感心した時、のちに馬場と戦うことになるなんて1ミリも考えなかった。それは巨大戦艦・大和vsスーパーマリン・スピットファイアか、「連合艦隊」vs「空軍大戦略」か…戦史上にはありえない夢の対決なのだが、間に猪木vsロビンソンが挟まったことによって色褪せた。王さんがアーロンの記録を破る756号を放ったのが77年9月3日のヤクルト戦。この日、ゴングのある日本スポーツ出版社の石川一雄カメラマンは後楽園球場へ行くことになっていた。世界記録達成の瞬間を押さえるために何試合か巨人戦に張り付く社命が出ていたのだ。でも石川さんはその日、“今日は出ないだろう”という自己判断でパスしたのだ。そこで飛び出した756号!これが原因で石川さんは解雇され、ベースボール・マガジン社側に移籍したのだった。Gスピのアナクラ氏とのインタビュー最終回の中で、ゴングの岡本哲志カメラマンと石川さんが仲良く羅臼へ行ったのは、77年秋まで日本スポーツ出版社写真部の同僚だからだった。

名古屋の猪木vsハンセンの翌日が世界記録。

ちなみにこの王さんが世界記録達成した9月3日…新日本は碧南市マンモスプール駐車場で、愛知県体育館で猪木vsスタン・ハンセンのNWF戦があった翌日であった。全日本は室蘭市体育館。2日前に特別参加のマスカラスが帰国し、この日からロビンソンが特別参加しており、馬場はスウェード・ハンセンと戦った(4日後の小樽で馬場vsロビンソンのPWF戦があった)。国際は後楽園ホールの開幕戦前日(ボブ・エリス来日)。ということで、9月3日はプロレス的に大きな動きがあった日ではない。私は石川カメラマンがずっと日本スポーツ(ゴング)のカメラマンだと信じ込んでいたので、後日、後楽園ホールで石川さんを見かけた時に「竹内さんは来てますか?」なんて気軽に声を掛ける。「たぶんね」くらいのつれない返事に、私は「?」となった。もうあの時はベースボール・マガジン社にジャンプしていたのだ。そこに至る経緯をあとで竹内さんと小柳幸郎編集局長に聞く。誰にでも仕事で何か大きなミスはあるものだが、確かに、この756号を逃したのはマズかったなあ。それでも、あっけらかんとしていた石川さんが石川さんらしくて、私は好きだった。ライバル誌になっても、現場で旅の話や露天風呂のある宿の話をお聞きするのが楽しかった(その頃、露天風呂はまだ全国的に極少で、石川さんは露天風呂写真の専門家でもあった)。

力道山パーティーの主賓が王さんだった。

それで王さんは80年に引退するまで868本のホームランを打ち続けた。もちろん日米通じて世界一の大記録である。このコラムもベーブ・ルースの記録くらいで止めにしようかなと思っていたけど、王さんの数字を次の目標にしようかなと思う。めでたいのか、めでたくないのか、いつのまにか到達した700回…ホームランは打てないけど、もう少し頑張るかな。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅