Feliz Navidad(メリークリスマス)。
と、世界中がおめでたムードなのだが、その前にメキシコから飛び込んで来た訃報について触れなければならない。あの“世界のレイ・ミステリオ”(Jr.=オスカル・グティエレス・ルビオ)の叔父レイ・ミステリオ(Sr.)が20日にティファナで亡くなった。本名はミグエル・アンヘル・ロペス・ディアス。1958年1月8日生まれだから私より2年下。オヤジ面だったから、てっきり年上だと思い込んでいた。死因は定かでないが、66歳とはあまりに若すぎる。
彼に初めて会ったのはFMWの1990年2月12日の後楽園ホールのワンナイト興行。レイ・ミステリオ(ブル・ライダー)は愛弟子のコナン・エル・バルバロとともに初来日した。その日は新日本が東京ドームを全日本と合同で打った翌々日。3月1日にはUWAと結んだユニバーサルの旗揚げも迫っていた。大仁田がFMWを旗揚げしたのは前年10月。大仁田は浅井嘉浩の一本釣りに失敗した(私が「行くな」と言った…)。それを知らない大仁田は「清水さん、FMWにはルチャの要素が必要なのよ。メキシコで何処かいいインディーはない?」と相談され、推奨したのがティファナを中心に勢力を拡大していたWWA(代表=ベンハミン・モラ・ジュニア)。ここのエース格が彼、レイ・ミステリオだった。
つまりこのミステリオとコナンの師弟の来日は、FMWとWWAの提携の第一弾であった。後楽園で大仁田から「いい所を推薦してくれて、ありがとう」とお礼を言われた。その数日後に大仁田は渡米して、ロスでインディペンデント・ワールド会議(?)に出席。代表はレッド・バスチェン、副代表にはモラと大仁田が就いた。16日、大仁田はWWAの総本山ティファナのアウデトリオ・ムニシパルで試合をしている。この提携により、ティファナから「帰って来たウルトラマン=アミーゴ・ウルトラ=ダミアン」(ウルトラマン・ドスミル)を引っ張って来られたのは大きかった。だが、大仁田はダミアンを常連化しただけで、WWAから幅広く選手を引っぱろうとはしなかった。アウデトリオ・ティファナは71年には開場し、EMLL傘下のインディーとして細々興行をしていた。72年6月に、レイ・メンドーサからアルフォンソ・ダンテスにNWA世界ライトヘビー級王座がここで移動した。83年にはUWAが進出。同年6月にエル・ソリタリオvsエル・シグノでUWA世界ジュニアライトヘビー級王座が移動する。当時だと「えっ、なんで僻地のティファナで!」となる。当時、ティファナはメキシコのプロレス地図から大きく外れていたのだ。どちらの移動劇も大王者がひっそりベルトを落とすのに、あえて遠隔地を利用したとも取れる。80年代後半から好景気で、EMLLとUWAの選手たちがこぞってティファナにやって来た。彼らエストレージャたちはWWA王者になるなど、型にはまらない自由な交流が行われる一方、一時の大金欲しさにカト・クン・リー、ケンドー、シルバー・キング、レオン・チノらがマスクを脱いだ。そんなティファナにも地元勢がいた。スペル・アストロがその第1号の有名ルチャドールで、83年末にUWAにスカウトされた。続いてティファナに現れたスターがレイ・ミステリオ。2人に共通するのはチャマコ・マルティネスという師匠であった。
デビューは76年のエル・ヘニオで、マラビージャ・ブランカ、ライマンを経てレイ・ミステリオ(1号)に転身したのが79年。以後、ご当地のヒーローとして活躍し、WWA世界ジユニアライトヘビー級王者になるなどトップスターに君臨。ところが88年3月25日にフィッシュマンに敗れてマスクを取られ、暫くしてブル・ライダーを名乗ってルードに転向する。甥っ子のオスカルは手塩にかけて鍛えた天才少年で、当初はコリブリ(ハチドリ)を名乗り、その後、レイ・ミステリオ・ジュニアの名を与えた。それ以外にはコナン、シコシス、ミステリオッソ、ダミアン、ハロウィンら多くのスター選手を鍛え育てたことは、現役実績よりも遥かに大きかった。彼らの実力は米国メジャーのWCW、WWF(WWE)で実証される。アメプロの中に近代ルチャ・リブレの要素を根付かせた源流は、この男の1滴から始まったと言えるかもしれない。WCWにいたシコシスは99年9月27日のアトランタでキッドマンに敗れてマスクを取られているが、それより1ヵ月前、地元のティファナでメキシコ版のマスク剥ぎ戦でマスクを脱いでいる。その相手は師匠のレイ・ミステリオSr.だった。アメリカでは脱いでもギャラは同じだけど、メキシコならば大金が貰える。本当の理由はそこかもしれないが、「どうせ負けるなら、マエストロにマスクを取られたかった」は本音であろう。96年にティファナで私はミグエルに6年ぶりに再会した。「去年末のWARでのオスカル(ミステリオ・ジュニア)とニチョ(シコシス)はどうだった?日本人に受けたかい?レオナルド(ダミアン)の評価はどうだい?オーニタはもう使ってくれないのかね」と、自分のことよりも弟子たちの活躍が気になってしょうがない感じで、とってもいい奴だなあと思った。結局、アレナ・メヒコにも少し出ただけで、メキシコシティの中央マットでは活躍機会がなかった。でも、地方都市限定のヒーローとしてこれほど名を成した選手はいない。ミグエルが初代レイ・ミステリオであったことが、後々世界に大きなインパクトを与えたわけである。いい奴だったなあ…。ご冥福をお祈りいたします。
さて、Gスピリッツの最新号はもう買われましたか。佐山さんのインタビューについて、大阪在住の田宮社長から間違いのご指摘を受けました。「タイガーとソントンのタイトルマッチが組まれていたのは10月22日の広島で、体重オーバーで急遽、ノンタイトルに変更されました。従って26日の大阪は最初から小林が挑戦者。前のシリーズ最終戦大阪の時点で小林(キッド・コビー)挑戦のポスターで前売りしていました」とのこと。ポスターの存在は後年になって知ったのですが、大阪ではそんな早くからキッド・コビーが動いていたとは…。いや、それ以前に大阪のタイガーvsソントンというのは、私の勝手な思い込みだったようで、もっとしっかり調べればよかったと、反省しています。田宮さん、ご指摘ありがとうございました。
ところで、シッシー連載の最終回は読んでもらえましたか。日曜日のイベントに来られる方は是非、読んでからお越しください。もっと最高なのは第1回から連載を読み返して予習して来られると、ムイ・ビエンです。数多のイベントに立ち会って来た泉館長も「この業界のいろんな方とお会いしてきましたが、宍倉さんにだけは、まだ一度もお会いしたことがないので、とっても楽しみです」と語る。業界最強最後の珍獣アナクラ氏の生態を白日の下にさらすことになる今回のイベントは果たしてどうなるのか…エル・インゴベルナブレ=制御不能男にならぬよう調教師の私としては、精一杯努力するつもりなので、来場される方は棒で突いたり、威嚇したりしないように、よろしくお願いします。感情の波や奇行?はあれど、元来とても穏やかな性格なので…日曜日はみんなで楽しいひと時を過ごせればと思います。残念ながら日曜日に来られない方は、今年も一年ご愛読ありがとうございました。来年は1月8日からコラムを再開したいと思っています。みなさん、良いお年を!