訃報は連鎖する。なぜ悲しいことって続くのだろうか。今度の訃報もきつかった。ご存知のようにマイティ井上さんが亡くなった。ショック!10月初頭にこっちでイベントがあった時に会えなかったのが悔やまれる。「ごめんなさん、行けなくて…」と最後の電話をしたのが10月22日。その時に三陸海岸でやった1973年夏の『幻の合宿シリーズ』の話を電話でお聞きした。その時に「何でも聞いて来てくださいよ。通院以外はほとんど暇していますから。僕で答えられることは何でも話しますよ。西に来ることあったら神戸に寄ってくださいよ。来年、また東京でイベントをやったら、そのときお会いしましょう」と約束までした。私も国際のことを調べている時に行き詰まると、いつもお電話をさせてもらっていた。ある時期には毎日のように電話していた。すると次第に他人じゃないような気がしてくる。歳の離れた兄貴みたいだけど、言葉遣いはいつも丁寧。井上さんから見たら小僧なのに…恐縮してしまうことがしばしばあった。
2020年1月だったか、『闘道館』でのイベントにマイティさんはゲスト出演してくれた。誌面を通じて今までいろんなインタビューをさせてもらったけど、そのどれよりも、あの日のことは忘れない。第1部では誰も深く知ろうとしないスペインのプロレスに関して根掘り葉掘りお聞きした。私の個人的な趣味の世界だったけど、もうそこを語れる人がマイティさんしかいなかったので、フォーカスさせてもらった。そして第2部で本物のIWA世界ヘビー級のチャンピオンベルトとご対面コーナー。ここで他のニキタ・マルコビッチ製のベルトの事やこのIWAベルトの誕生秘話などを考察し、プレゼンさせてもらった。井上さんには事前にベルトを見せず、本番でお披露目することにした…。あのベルトは国際のベルトにしては珍しくベルトケースが昔のまま残っている。ご開帳…それまで静かに座っていた井上さんが身を乗り出してきた。厨子、いやケースの中から出て来たベルトを手渡すと、ジッと見つめて一瞬、顔が緩んだ。あの時のナチュラルな笑みが忘れられないのだ。王座転落から45年ぶりの再会…「チャンピオンだった時は、こんなにじっくり見た記憶がないですよ。また、会えて、触れられて、いい思い出が出来ました。このベルトは俺が最初に締めた日本人というよりも、国際プロレスの魂でしたからね」と感慨深く語るマイティさん。今から思うと、あれはあの時に再会してもらって本当に良かったと思っている。国際は崩壊しても、国際の魂は少なくなってしまった選手OBとファンの心に残っている。とはいえ、形として残っているものはほとんどない。故に国際のご神体ともいえるIWAのベルトと、それを最初に巻いたマイティさんを会わせられたのは、あの時代を知る者にとって無情の喜びであった。スマホの履歴には10月22日「マイティ井上」が暫く残るだろうけど…いつ消えちゃうのかなあ…。改めて井上さんのご冥福をお祈り申し上げます。
29日に迫ったアナクラ氏(宍倉清則氏=シッシー=ジチョー)のトークショー『ご愛読御礼!Gスピリッツ連載終了記念 そこに国際愛はあるんか――シッシーこと宍倉清則 トークショー初見参!』では冒頭にマイティさんの10カウントゴングを鳴らして、故人を偲びたい。そしてアナクラ氏が愛してやまないマイティさんの話もたっぷり聞きたいと思う。彼しかしらないマイティ井上がそこにいるはずだ。
「トークショーはNOとずっと拒絶してきた私が、出るぞと決意したからには、ただのトークの会で終わらせたくない。あっと驚く趣向を盛り込みたい!」と、アナクラ氏はゲストとしての受け身のポジションではなく、プロデューサー的な攻めの姿勢を示す。“こりゃあ、29日は今までとまったく違うイベントになりそうだ。いや、アナクラ氏自身が今までの常識では通用しない人だから、間違いなくそうなるよな”というのが現時点での私の感想。ナビゲーターのはずの私のナビがすでにバグっている…。そう、今まで誰からも耳にすることなかった国際愛に、みなさんは27日(日)に生で接することが出来るのだ(それって、超ラッキー!でもバグりにご注意)。その前、23日(月)はGスピリッツVol.74の発売日。いよいよアナクラ氏の連載『シッシー、国際プロレスLOVEを語る』最終回(第7回)だ…「出来る事ならば、それを読んでから、闘道館に来てくださいね」という宿題も出たよ。