今週も訃報です。小林邦昭さんが9日に亡くなった。昨年、闘道館でトークショーをやったばかり…あの時はあんなに元気だったのに。おうちがご近所で、邦昭さんの行きつけのお店も我が家から歩いて3分とすぐ近く。「今度、一緒にメシ食おうね」と言っていたのに…。邦昭さんはいつもバイクで来ているとのことだが、もし店の前にバイクが置いてあったら、いつでも突撃しようと思っていたのに…それらしきバイクがない。ちょっと心配していたら、「かなり具合が悪いらしい」と耳にした。それにしても、まさか、まさかである。学年は邦昭さんが一つ上だけど、同じ1956年生まれ。嗚呼、早過ぎるよ…。ご冥福をお祈りいたします。
邦昭さんと会って初めて話したのは、1981年9月27日のアレナ・メヒコでのUWA興行。その日は第2試合で栗栖正伸がタッグマッチで、第3試合でグラン浜田&木戸修&ヒロ斎藤が6人タッグで組んでいた。そしてメインでは邦昭さんが何と大巨人アンドレ・エル・ヒガンテと組んで登場し、カネック&ピーター・メイビア&コロソ・コロセッティと2対3のハンデキャップマッチをやって快勝。控室で邦昭さんに「ゴングの清水です」と挨拶すると「おお、いつ来たの?何処に泊まっているの?」と笑顔で優しく応対してくれた。「何しに来たの」と言う栗栖さんとは対照的である。「日本からソリタリオと一緒に来ました。昨日はグアダラハラ泊で、今日、メヒコに入りました。泊りはビスカイーナのソリのアパートです」。ソリタリオはその日のセミに出ていた。「そうなんだあ。そりゃいいや」と邦昭さんはニッコリ。私の隣には事務所でさっき偶然出くわした高杉正彦がいた。高杉もメヒコに着いたばかり。「高杉選手は何処に泊まっているの?俺はチョビとテクパンってアパートで共同生活しているから良かったらこっちへ来れば。ホテル泊まったら高いから、おいでよ」と優しい誘い。それが邦昭さんと高杉さん、そして私の出会いのシーンだった。邦昭さんはレフォルマ通りの北にあるマンション群の一つ、テクパン棟に前年から住んでいた。新日本メキシコ合宿所の寮長みたいなものだった。翌年にはジョージ高野、長州力が入寮する。約8年間、日本で厳しいトレーニングと規律に守られた合宿所生活を過ごした若手時代から野生に解き放たれた感じか…。82年秋、邦昭さんは日本に帰って虎ハンターになるが、その原動力は、日本とは違うテクパンでの自由奔放な生活にあったようだ。
昨年のトークショーでは邦昭さんと高杉さんと、そんな42年前の懐かしい思い出話をたっぷり聞くことが出来た。私は明日からメキシコへ行ってきます。邦昭さんがペロ・アグアヨのWWFライトヘビー級王座に挑戦した本拠地エル・トレオの跡地へ、ビジャノ3号のUWA世界ライトヘビー級王座に挑んだアレナ・メヒコへ訪れます。現地で会う予定のレジェンドたちに邦昭さんの訃報を伝え、思い出を聞いてきたいと思う。ということで、今回は虎ハンターの原点を振り返る旅になるかも…。
今回の旅の前半の目的は「ドクトル・ルチャと行くルチャ・リブレツアー」を成功させること。13日は91周年のアニベルサリオだ。メインはミスティコvsクリス・ジェリコ。コラソン・デ・レオン(ライオン・ハート)の名で92年1月にメキシコ入りし、93年12月にNWA世界ミドル級王者になったジェリコ。邦昭さん同様、メヒコが彼の出世の原点だ。「シミズさん、次に出るこのスペシャルイッシュ(増刊)を私に下さい」…クリスはゴングの大ファンで、勤勉な彼は漢字以外の日本語が読めたので、週刊ゴングに出ている増刊の広告が理解できた。30余年ぶりの再会が楽しみだ。セミの4つ巴のマスク剥ぎ戦はエチセラvsエスフィンヘvsエウフォリアvsバリエント…今年は誰が生贄になるかなあ。14日はトレオの跡地でカネック、ドス・カラスらが出るUWAのファンフエスタがある。カネックやドスも邦昭さんの死を悲しむだろう。15日からは世界遺産プエブラへ…。その他、エストレージャの自宅やマスカレーロの工房訪問など、ドクトルならではのルチャ漬けの日々にしたいと思う。
18日にツアーのご一行を空港で見送った後、私はあと一週間、現地に残ります。それは22日にアレナ・シウダ・メヒコでイホ・デル・サントの引退試合があるから。引退試合と言っても、ラストマッチではなく引退ツアーの第1戦。この後、10月4日がケレタロ、6日がレオン、13日がモンテレイ、11月1日と2日が英国ロンドン、9日がプエブラ、10日がベラクルス、12月8日がメリダ、2025年3月2日がハラパ、そしてラストの16日がグアダラハラ…とツアーが続く。つまり首都メキシコシティでの聖者最後の試合が22日ということになる。
1982年8月から9月まで父のエル・サントはパラシオ・デ・ロス・デポルテス、アレナ・メヒコ、エル・トレオ…と、3箇所のみで引退試合をした(すべてUWA主催)。それは患っていた心臓に負担がかからないようにという配慮からだ3試合のみに絞ったのだ。もし、サントが全国各都市をツアーしたならば、1年はかかったであろう。ペロ・アグアヨの引退ツアーも1年かかったからね。イホ・デル・サントは数年前、背骨を痛めて戦列から離れ、奇跡の復活を遂げた。そんな中でここまでしっかりツアーをするということは、コンディションも上々なのであろう。82年の父サント引退を見届けたマスコミは、もうメヒコに残っていない。「だからこそ、トマスが立ち会う意味があるんだよ」とイホがコメントをくれた。うん、親子二代の引退を見届ける…それは生き残っている私の義務なのかもしれない。もし忙しくて忘れなければだけど、来週から2回(日本時間18日と25日に)、現地から何かこの用のコラムのネタを日本のみなさんへ送ろうと思う。期待しないで待っててほしい。では、邦昭さん、行ってきま~す。