ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第632回】テリーとの思い出雑話 (1)

 3週連続で訃報について書くというのも辛い。さすがにここをスルーするわけには行かない。キウイ・ロールの名人アベ・ヤコブ(エイブ・ジェイコブス=レッド・ピンバネール)が95歳で亡くなった。存命が確認できる世界最高齢レスラーだったが、21日にノースカロライナ州シャーロッテで没した。その2日後にテリー・ファンクがアリゾナの施設で亡くなった。猪木さんと同じ79歳だった。悲しい…。

 プロレスの思い出はたくさんあるけど、テリーが亡くなったと聞いて、私の頭に最初によぎったのはこの事だった。あれは1979年1月27日のカウパレスの控室。ここでウォーリー(山口)がファンクスに私を紹介してくれた。ウォーリーが「彼は競馬のマニアックなんだよ」と言ったものだから、「んっ」…一瞬ドリーとテリーの目が光った。「それなら今度アメリカに来る時はケンタッキーダービーを観に来るといい」とテリー。「俺は日本のダービーに行ってみたいな」とドリーが言うと、「日本の馬はアメリカに遠征してきたことがあるのか?」とテリーが質問してきた。私は「ワシントンDCインターナショナルに62年~76年まで日本から計8頭挑戦しているけど、スピードシンボリの5着が最高です。日本ダービー馬のハクチカラは58年にカリフォルニアに遠征して17戦で1勝しています。それが日本馬がアメリカで挙げた唯一の勝ち星です」などと話すと彼らは興味津々に聞き入っていた。

 それからファンクスは来日するたびに私を見つけると競馬の話をしてくる。アマリロは古今問わず畜産に集積地で、自身が牧場を持っているのは有名。アマリロにはクウォーターホース協会と殿堂博物館がある。クウォーターホースとは4/1マイル(約400m)ならサラブレッドより速い米国産のスプリンター種のこと。米国内にはクウォーター種のみの競馬場が点在している。といってもテリーが一番興味あるのはサラブレッドのレース。「英国ダービー馬のニジンスキーⅡの産駒はアメリカでもよく走るから俺は注目しているんだ。彼の仔は必ずケンタッキーダービー馬を出すぞ」。この人、かなりのマニアなので私と話が合った(実際、86年にニジンスキー産駒のファーディナンドがケンタッキーダービーを優勝)。どちらかというと、ドリーよりテリーの方がマニアックだった。

テリーと馬と長女ステイシー。

 81年10月の『ジャイアント・シリーズ』。ファンクスは揃って来日する。また私を見つけると、テリーが「日本で初めての国際競走が行われるって本当かい」「アメリカからどんな馬が参戦して来るんだ?」と矢継ぎ早に質問してくる。その年、東京競馬場で初の国際レース、『第1回ジャパンカップ』が開催された。「アメリカからは2年前のワシントン国際で2着だった7歳牝馬のザベリワン、GⅢしか勝っていないメアジードーツという6歳牝馬、それとペティエートにはウイリー・シューメーカー騎手が乗ります」と答えると、「シューメーカーはルー・テーズのような世界最多勝の名ジョッキーだよ。出走馬は名も知らない二流馬ばかりだけど頑張ってほしいな。日本馬も強い馬が出るのか?」(テリー)。「天皇賞馬が2頭参戦しますよ」。日本馬8頭、アメリカ3頭、カナダ3頭、インド1頭…それは競馬界初のワールドリーグ戦だった。「太平洋越えの長距離輸送の北米馬たちは不利だな。初めての日本の馬場だし…。レースは11月22日?俺たちが帰国してからかあ。11月末にまた日本に来るから結果を教えてくれ」とドリー。

 

 そして11月26日に最強タッグで再来日したファンクスは記者会見後に私の所に来た。「で、どうだったジャパンカップは!?」。ネットのない時代だからレース結果はわからなかったのだ。「5番人気のメアジードーツが圧勝しました。ザベリワンが3着。シューメーカーの馬は4着。2着がカナダの馬だから1~4着が北米馬でしたよ。日本馬は5着が最先着…日本馬は大惨敗でしたよ」と私が言うと、テリーは喜びの表情を押し隠して「そうだったんだ…」と頷いた。当時の日本の競馬報道はレース結果を受けて“黒船来たる!”と書きたて、アメリカ馬の驚異的な強さを表した。“顎足つきで二流馬を呼んだ結果、日本馬の惨敗。あと10年間、日本の馬はこのレースに勝てないだろう”とも書かれた。テリーは日本競馬のレベルの低さを感じたのか、私に気を遣って喜びを隠してくれたように受け取った。そんなテリーは最終戦の蔵前で乱入したハンセンのラリアットを受けて優勝を逃している。

ハンセンのライリアットに散る。

 翌82年。『第2回ジャパンカップ』は11月28日開催だった。最強タッグでファンクスが来日したのはレースの3日前。この年のJCはアメリカ馬2頭、カナダ馬1頭、ニュージーランド馬1頭、ヨーロッパ勢初参戦でフランス馬とアイルランド馬が各2頭、西ドイツとイタリア馬が1頭ずつ…国際色は高まったが、日本馬は前年の惨敗ショックが尾を引いて5頭しか参戦せず。それも天皇賞2着馬のヒカリデュールが8番人気でエース格という腰抜けの陣容。米国のエースは断然の一番人気のジョンヘンリー。31勝中GⅠレース12勝というアメリカ国民で知らぬ者がいないほどの大ヒーローだ。テリーは大興奮して「ジョンヘンリーが来るのか。それはすごい。そりゃ圧勝だな。鞍上はシューメーカーなのか。馬がモハメド・アリで、騎手がルー・テーズ…そりゃ、最強タッグだよ」。横でドリーはテリーの出したアリとテーズの例えに大笑い。「去年が無名のアメリカ馬で圧勝なら、ジョンヘンリーは間違いなくぶっちぎりだな。生観戦するか…いいなあ」。

4角先頭の赤帽がジョンヘンリー。

そのJC翌日、盛岡でファンクスと再会。「Oooh Nooo、ジョンヘンリーが負けた!?(15頭立ての)13着…嘘だ!」。テリーは暫く絶句したままだった。「兄貴、ジョンヘンリーが負けたってさ」と子供のように今にも泣きだしそうに…。勝ったのはもう1頭の米国馬…ハーフアイストというそれまでGⅡまでしか勝ったことのない6番人気の惑星馬。この時は米・仏・仏・愛・日の順でゴール板を駆け抜ける。日本馬はヒカリデュールの5着が最先着だった。ファンクスはこの年、ハンセン&ブロディに反則勝ちで辛うじて優勝している。それが彼らの最後の優勝になった…。

 この話にはもう少し先がある。それは来週書こう。とりあえずですが、ここではテリーさんのご冥福をお祈りすることにしましょう。

 さて、次回のトークショーが決定しました。10月8日(日)午後1時からの『第4回チャンピオンベルトカーニバル』。ここではPWFヘビー級の2本のベルト(同時登場は初!)がメインを張る。テーマは「PWFベルト4本あった!?」という新事実の考察。さらにフリッツ・フォン・エリックが67年から16回獲得し、超獣ブルーザー・ブロディも巻いた鉄の爪王国の至宝アメリカンヘビー級ベルトが登場する。開催までまだ少し時間があるので、詳細はこのへんで…。ただ、いい席で見れば、より研究成果がわかりやすいと思うので、ご予約はお早めに。チケット予約等は闘道館WEBにて。

74年8月、PWFに挑戦したテリー。

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