ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第602回】「縁」あって来たベルト

 喪中なので、年始の挨拶は省かせていただく。ただ「今年もよろしく」ということだけを言わせてもらいます。今度の日曜日は妻の一周忌で、本門寺へ行ってきます。早いもので、もう一年…未だにショックは尾を引いていて、胸に風穴の空いたままの1年だったような気がする。丸1年が何かの区切りになればいいのだが…。

北米王者のパワーズ

さて、新年早々、訃報が舞い込んだ。ジョニー・パワーズが12月30日に亡くなったというニュース。享年79。新日本の1973年9月にパワーズが来日した際に持参したのがノースアメリカン・ヘビー級のベルトで、オハイオ州クリーブランド&アクロン(ニューヨーク州バッファローも含む)の主要タイトル。といっても“パワーズのためのタイトル”のようなもので、新日本へ持ってきた時はすでに10度目の戴冠だった。パワーズは71年にNWFが発足してからも、このタイトルを併用している。パワーズ来日直前までNWF世界ヘビー級王座を保持していたのが、ジョニー・バレンタインだった(クリーブランドでは敵対関係)。

NWF王者のバレンタイン

バレンタインは66年10月に東京プロレス旗揚げに一緒に初来日した大先輩である。それも2人が9月にセントルイスで試合に出ていて、それをアントニオ猪木が視察したから呉越同舟で来日できたという「縁」。結果、バレンタインはUSヘビー級王座を猪木に落とし、7年後にパワーズがNWF王座を猪木に手渡すことになる。それも何かの「縁」であろうか。ちなみにパワーズがペドロ・マルティネスとNWFを立ち上げる前のクリーブランドでのボスがデトロイト地区から版図を広げていたエドワード・ファーハット=ザ・シークである。

 その「シーク王国の至宝」が今回の『第3回チャンピオンベルトカーニバル』の目玉となる。デトロイト版のUSヘビー級選手権のチャンピオンベルトである。このタイトルのルーツに関しては前回第2回大会で説明している。そこでは東プロのUSヘビー級のベルトはデトロイト版USだという定説を覆した。今回はシーク政権で64年11月からリセットされたデトロイト版USのタイトルの変遷とベルトの変遷をじっくり解き明かしていきたいと思う。

 NWFベルトとシークベルトは同じニキタ・マルコビッチ製である。NWFはニキタの初期作品で、WWWFやIWAなども東部の主要タイトルはもちろん、ジョージア、カロライナ、テキサスなどの各テリトリーのシングル、タッグのベルトとして全米マットで高いシェアを誇った。70年代から80年代前半はマルコビッチベルトが全米の流行の最先端を行ったと言っていい。そのため先行業者のレジー・パークス製は劣勢に立たされた。その流行は海を越えて国際プロレスのIWAヘビー級、タッグにも及んだ。74年から80年代頭まで日本では全日本PWF以外の新日本NWF、国際IWAはマルコビッチベルトだったということになる。その上にWWWF→WWFまでがそうだったたため、日本ではマルコビッチ製に憧れるファンが多い(マルコビッチ製の人気投票でもしてみましょうか)。全米だけで100近く(数えてないが多数)のマルコビッチ製ベルトが使われていたと推測するが、アメリカで現存が確認できるものは皆無に等しいと言っていい。


ミッドアトランティックUSの本物とレプレカ。

 たとえばシークベルトに似たアメリカの地図がデザインされたミッドアトランティック地区USヘビー級のベルトはサージャント・スローターが保管しているらしいが、どう見てもレプレカである。マルコビッチ製に限らず、「あの時代のあの本物のベルトたちは何処へ行っちゃったんだよ!」と叫びたくなるほど、アメリカではリアルベルトが出てこない。そこを行くとメキシコと日本はベルトを大事に保管する国だと思う。日本の主要タイトルならば現存するものより行方不明のベルトの数のほうが少ないはずだ。メキシコだってNWAやUWA、ナショナル王座の歴史的な主要ベルトは80%くらい現存している。それが、あれほどたくさんのテリトリーがあったアメリカでは、その地のフラッグシップたるベルトがほとんど消え失せている。それは10本以上もあったWWFを含めてである。ロサンゼルスのアメリカス・ヘビー級タイトルなど10数年の間に7~8本のベルトが使われているが、1本も現存が確認できていない。第1回大会で登場したミズーリ州ヘビー級ベルトのように亡くなったパット・オコーナーの自宅倉庫にあったものが後日発見されたように、オフィスがクローズしてしまった各プロモーターたちのガレージに埋もれしまった可能性が高いとみるべきか。未亡人にとってはガラクタなのだろう。現地のマニアもそこを衝かなかったのが残念である。

 そういう意味でも今回、シークベルトが公開できることは奇跡に近い。アメリカにあったら消えてしまうけど、日本に来たからこそ「残った」、「しっかり保管されている」と言えよう。団体のオフィシャルではないプロレスシヨップが存在する日本…それこそ我が国が誇るプロレスファンの収集癖のなせる業か。シークベルト…これもまた「縁」があって日本に来たベルトと言える。もし、今、このベルトの展示会をデトロイトでやったら、どのくらいのファンが集まるだろうか。ベルトを持ってモーターシティに乗り込んでみたいものだ。それよりも今回、10270km離れた東京のジジババシティの巣鴨でアメリカの一地方都市のベルトのために集まってくれる奇特な、殊勝なファンたちがいること自体を私は大事にしたいと思う。

デトロイトプロレスの語り部デーブとテリー。

デトロイトの著名なプロレスマニア代表のデーブ・ダーソンとテリー・サリバンも「シークのあのベルトは日本にあるらしいが確認できていない」と呟いているようだが、今回、こういうイベントがあると知ったら仰天することだろう。これは、あなたたちの街のプロレスの歴史そのものだ…デトロイトから巣鴨に来る価値あると思うよ。ご両人、超憧れのシークベルトと記念撮影できるぞ。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅