ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第729回】謎ベルトの補足写真

79年4月5日のシン戦が表紙。

先週に引き続き24日(水)発売のGスピリッツVol.77の中身について話をしたいと思う。コンテンツを発表して、一番反応が良かったのが「ベルト検証 東京プロレス版USヘビー級選手権」だった。このベルトに関しては2001年のゴング増刊号『ザ・ヒストリー・オブ・チャンピオンズ』で小佐野景浩氏が検証報告をしている。あれはもう24年前のことで、一時はそれが定説になっていた。だが、あれから研究が進んだ。近年では昨年末にベースボールマガジン社の『日本プロレス歴代王者名鑑 ヘビー級シングル編③』において流智美氏がこのタイトルやベルトについての見解を執筆している。まあ、それにしても謎は多いベルトである。私は2022年8月27日に新間寿氏からこのベルトをお借りして『第2回チャンピオンベルト・カーニバル』(闘道館)というイベントで、この謎に挑んだ。そこでそれまでになかった私見を披露している(このコラムの第584回でもその触りを書いている)。あれからたった3年だが…新史料も発見され、私の脳内もアップデートしている。故にあのイベントからさらに進んだ持論を誌面で展開しているのでお楽しみにしていただきたい。あのUSヘビー級のチャンピオンベルトは同タイプのものが3本あることが分かっている。そのルーツとなるのがシカゴの大物プロモーターであるフレッド・コーラーが1953年9月にバーン・ガニアへ贈呈したもの…それを「1号ベルト」(仮称)とした。

1953年のガニアがUSのルーツ。

そしてもう一つが62年4月から使われ出したサンフランシスコ版USヘビー級の2代目ベルト。これを今回の検証記事の中では「2号ベルト」ということにした。初代のレイ・スティーブンスや次のペッパー・ゴメスは1号だが、以後は2号が使用されている。似ているが1号とは明らかに違う。これは、今回の本の中では2号ベルトの写真が使われないので、読みながら「ああ、これのことか…」と照らし合わせてもらうといい。1号との違いがわかるはずだ。

シスコの2代目USベルトはこれ。

そしてジョニー・バレンタインが1966年に持ち込んだ東京プロレス版USヘビー級を「3号ベルト」と位置づけした。これが何のために作られたのかということが問題だ。最終的にはバレンタインの個人所有のベルトになったから日本へ持って来て置いていったのであろうが、最初から“お飾り”のために作られたベルトであったとは思えないのである。

日時場所不明のバレンタインのUSベルト姿。

そして「1号ベルト」のデトロイト地区への流出後、その後継として60年4月から使われたシカゴ版USヘビー級のベルトは、写真下のベルト。ガニアから始まる1953の1号とはタイプの全然違うベルトで、新王者のバディ・ロジャースが巻いた。これはオハイオ州のアメリカン・タッグのベルトで、以後ロジャースのお気に入りとなって個人所有化していた。このベルトはUSで使われた後、63年4月にWWWF(現WWE)の初代ベルトとして使用されることになる。

バディ・ロジャースのUSベルト姿。

それ以外に今度の誌面に写真が掲載されないのが下の写真。フレッド・コーラーがNWAを離脱して63年に旗揚げしたのがシカゴ版IWA。その世界ヘビー級の初代チャンピオンがムース・ショーラック。これはUSヘビー級ではないので、4号ベルトとはしていないが、製造は1~3号ベルトと同一のメーカーのようだ。もちろん、発注したのはシカゴ版IWAのボスであるコーラーである。

ショーラックのIWAベルトは同メーカー。

これらのベルトはバレンタインが東京プロレスへ持って来た3号ベルトと直接の関係があるわけではない。ただ文中に出てくる話なので、24日にGスピリッツVol.77の私の記事を読まれる際に、このコラムを開いて写真を参照してもらえれば、内容がより理解しやすいと思う。ということで、来週も私が書いたGスピリッツVol.77の別の記事について、補足することを綴りたいと思う。では、これから飛騨、北陸の旅へ行ってきます――。また来週…。

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