ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第736回】緊急募集!

さて、先週の水曜日には都内でパンテーラさんと会ってロングインタビューをする(話がどんどん細部にわたって、いくらやっても終わらなかった…)。そして奥様とパンテーラ・ジュニアとファミリーで焼き肉ディナーを楽しむ。パンテーラ一家は金曜日に盛岡へ移動。私もそれを追うように土曜日の早朝にブルー・デモン号を運転して盛岡へ向けて出発する。盛岡までは約570キロ。ノンストップだと6時間半。実際は途中で工事渋滞、トイレ休憩、昼食で、約8時間かけて盛岡へ到着しました。そして私も初めて行く、みちのくプロレスの道場へ…。ここは盛岡市ではなく、お隣の滝沢市になる(11年前までは滝沢村だった)。道場がある大釜白山地区は西がもう小岩井農場のある雫石町。国道46号線から北へ…ちょっと山の中に入った林道の先、未舗装路をさらに奥へ行った山中のヤバそうな場所だ。今年、若手の佐藤維選手が近くで熊を目撃して市役所に通報し、ハンターが駆け付けたこともあったという。ここでいつも道場マッチを開催しているのは知っているが、それにしてもなかなか凄い環境である。パンテーラ・ジュニアは8カ月間、この合宿所に住み込み、自炊しながら練習に励み、心身を鍛えている。メキシコ人にとっては、とんでもない修行だと思うが、彼は「僕はぜんぜん平気。毎日を楽しんでいますよ」とニッコリ。なんという順応性に富んだ頼もしい青年であろうか。

パンテーラ・パパ合宿所と道場を見学。

パンテーラのパパもこういう環境で頑張ってきた息子に満足そうだった。その晩は再びパンテーラ一家とディナー。そして日曜日。岩手県営体育館でのビッグマッチ(グランデ・ウノ2025)。懐かしい体育館だ。全日本、新日本、そしてみちのく…何度ここへ来たことだろうか。この体育館については来週、改めて書こうと思う。私的に注目していたカードが第3試合のザ・グレート・サスケ&エル・パンテーラ vs スペル・デルフィン&サングレ・アステカ。この盛岡マッハランドに始まり、サスケとデルフィンの絡みを何度盛岡で観てきたことであろうか。それよりも懐かしかったのがデルフィンとエル・パンテーラの絡みだ。94年10月30日のUWFスーパーウェルター級選手権は大仁田 vs サスケの爆破マッチのあった滝沢村・岩手産業文化センター屋外第一展示場…そのセミだった(デルフィン防衛)。1年後の一関市文化センターでの再戦でパンテーラが王座奪取(95年10月21日)し、ベルトはメキシコへ持ち去られた。その翌年3月15日の大阪府立臨海スポーツセンターではCMLL世界ウェルター級王座をデルフィンがパンテーラから奪取するも、パンテーラが来日直前にAAAへジャンプしていたことが発覚して王座移動は無効となる。仕切り直しでデルフィンがスーパーウェルター級王座を奪回したのは同じ年の8月18日の青森県民体育館だった。そんな遺恨マッチはもう30年も昔のこと…再び相まみえる両雄の姿に思わず懐かしいなあと思わずニンマリ。この会場に来ているどれだけのお客が30年前の抗争を憶えているだろうか。あの頃、中学生のファンだとしたら、40代半ばの働き盛り…所帯を持って中学生の息子を連れて、ここへ来ているだろうか。

デルティンとパンテーラが再会。
息子たちのセコンドに付くパパたち。

そしてメインはパンテーラ・ジュニア vs サングレ・アステカ・ジュニアの東北ジュニアヘビー級選手権。これは素晴らしい名勝負であった。お互いに卓越した身体能力と高度なテクニックがあるのは分かっていた。でも、それは父親からの教えがしっかり彼らの体の芯にまで根付いているからこそ、ここまで研ぎ澄まされた好勝負ができたのだと思う。セコンドのパパたちからの叱咤は息子たちの活力になった。30分超えの死闘…結果はパンテーラ・ジュニアの勝利だったが、サングレ・アステカ・ジュニアの健闘も光った。息子たちの好勝負をノーサイドで称え合うパパたち…。遠い異国の地で称賛の拍手が贈られる息子たちにパパたちも満足そうであった。日本では決して観られることはない親子 vs 親子という構図。親兄弟、親戚…家族でルチャをするのが当たり前というメキシコではこうした光景は決して珍しくはない。32年前、みちのくプロレス発足時にサスケがスローガンとして掲げた「東北をルチャの都に!」…それはこの試合を観てしっかりした形になったように思えた。

イホ・デル・サントの引退試合が決定。

さて、私が盛岡へ出発する数日前にメキシコから大きなニュースが飛び込んで来た。12月13日(土)、パラシオ・デ・ロス・デポルテスでエル・イホ・デル・サントの引退試合が決定したのだ。本来ならば今春に行われるはずだった引退試合だが、引退ツアーが好評で長引いたためにこの日までずれたというわけ。アレナ・シウダ・デ・メヒコでは昨年9月と今年4月で2回も引退ツアーをやってしまっていた。ではどこでやるの…。“そうか、パラシオという手があったか”という感じ。パラシオ・デ・ロス・デポルテスは1968年のメキシコシティ五輪のバスケットボールの競技会場として建造された、国営の2万数千人収容の巨大施設である。

パラシオ・デ・ロス・デポルテスの全容。

1975年1月29日の旗揚げ戦からUWAによって頻繁にビッグショーで使用され、藤波、長州、サトル・サヤマら新日本勢が登場し、テレ朝の中継も何度もあったビッグアリーナである。ルー・テーズ vs カネック、エル・サント vs ボビー・リーなど名勝負は数知れず、ボビー・リー以外にも、ここでは多くのマスクマンたちがマスクを剥がされた。アティラ、エル・マルケス、エル・コンドル、スコルピオ、エル・アウダス、エルマノス・ムエルテ、マサンブラ、ドクトル・オボールマン、レオン・ネグロ、ホワイトマン、サタン、ロス・コマンドス、ロス・エスコルピオネス、マスカラ・ロハ、ロス・ミグラ、エル・アセシノ、アメリカ・サルバヘ、ミスター・レスリング1&2号、フラマ・アスール、エンフェルメロ2号、セプティエンブレ・ネグロ、ブリジャンテ(後のケンドー)、スペル・マキナ、エル・ドラド、エル・コバルデ2号、レイ・ブカネロ、スペル・アルコン、ゲレーロ・デル・フトゥーロ、そしてフィッシュマン…。ざっと数えただけで、これだけのマスクマンのスターたちがパラシオの生贄となった。そして私も取材へ行った1982年8月22日のエル・サント引退試合…これもパラシオの興行で絶対に忘れてはならない。イホ・デル・サントが公式の場に姿を見せたのはまさにこの日であった。

82年のパラシオでのエル・サント引退試合。

パラシオは1990年代からルチャの使用が激減した。私が最後に取材したのは2006年のWWEスマックダウンのメキシコシティ初進出興行だったか。2008年と2011年にAAAがトリプレマニア16~19を開催。市内に新しくアレナ・シウダ・デ・メヒコが完成するとトリプレマニアもそっちに移行してしまう。それはWWEのショーも同様だった。少し間を置いて2015年と16年にAAAが一回ずつここを使うが、そこから9年間ルチャの興行は行われていない。つまり今回のイホ・デル・サント引退興行は9年ぶりのパラシオということになる。もしかしたらこれがパラシオへ行けるラストチャンスかもしれない。そこでこの『イホ・デル・サント引退興行ツアー』をメキシコ観光さんが急遽募集することになった。出発は12月11日(木)で全日空直行便。現地3泊で帰国は15日(費用48万円)。「そこならば行ける!」という方、詳細はメキシコ観光(伊藤)へご連絡ください。12日のアレナ・メヒコは必ず観戦します。翌日が同じ市内のパラシオで大嫌いなサントが興行を打つとすると、このアレナ・メヒコ大会にCMLLはビッグなカードをぶつけてくる可能性が大である(何を持って来るのか楽しみ…)。本場で生の大「サントコール」を聞けば感動することは間違いなし。私も43年ぶりの親子二代の引退試合をパラシオで取材できることに無上の喜びを感じている。

イホ・デル・サント引退試合のカード。

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