ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第727回】神君とのトーク

先週の土曜日のサスケ選手とのトークショーは楽しかったねえ。ホストの私が楽しいと思ったのだから、観に来て下さったお客さんも十分以上に満足してもらえたものと思う。分かってはいたものの、サスケ選手のパフォーマンス、喋り芸は磨きがかかってきたなあと感心する。「サスケ選手」ではなく、ミチプロの取締役会長だから、「サスケ会長」と呼ばせてもらったほうが良かったのかも…。私が57回続けて来たトークショーのゲストの中で1969年生まれのサスケ会長が最年少であることに気づく。若いから元気なわけだと思う一方で、それ以上のエネルギーとパッションに満ち溢れていることは誰もが感じたはずだ。

アクション付きのトークは迫力も説得力もある。

さて、トークショー前の打ち合わせで、お互いの登場場面の演出を相談する。私は入場前にいつもドクトル・ルチャのプロモーション映像を流す。プロモは過去6本くらいある。サスケ会長は「このプロモ、すごいクオリティが高いですね」と感心する。6本で共通するのは、すべて使用曲がエンニオ・モリコーネ(イタリアの名作曲家)のマカロニウエスタンのテーマであるということ。今のプロモは『続・夕陽のガンマン』(伊1966年=監督セルジオ・レオーネ)の重要な挿入曲である『エクスタシー・オブ・ゴールド』だ。するとサスケ会長は「ええっ、モリコーネの曲なんですか。だから心にすごく響くんだ。私もモリコーネのファンで『ウエスタン』(1968年)という曲も映画も大好きなんですよ。ええっ、あれも同じ監督の作品なんだあ」と驚きを隠せない様子。年間200本の映画を観るというサスケ会長の心の中で『ウエスタン』は映画も、曲も物凄く心に刺さった作品だと言う。私もあれは西部劇の到達点で、曲も極上だと思う。レオーネ初の米国ロケである『ウエスタン』の原題は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』で、彼は84年にデニーロ主役の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を作ることになる。もちろん曲はモリコーネだ。イタリア人のレオーネ監督の作品にはアメリカ大陸への憧れ、ハリウッドへの憧れが深く込められていた。

ハリウッド映画にザ・グレート・サスケ参上。


イタリアではなく、日本からハリウッドへの憧れを抱き、遂にハリウッド映画デビューしてしまったのがサスケ会長である。ザ・グレート・サスケをテーマとしたドキュメント映画は2012年頃からハリウッドにて製作が進み、遂に完成に至ったのだ。今回のトークショーの冒頭ではドクトルのプロモ映像の後に私が登場し、その後にザ・グレート・サスケ映画の予告編の映像が流れてゲストのサスケ会長が入場する、そういう演出にしたのである。ということで、私とサスケ会長は控室でモリコーネの話や劇中のカメラワーク、ロケーションなど映画の話で、やたら盛り上がっていたのである。

死を恐れず身体を張ったサスケのアクションがハリウッドを動かした。


チラっと観た予告編はさすがハリウッド映画といった雰囲気。「明日(31日)、王子で試写会があるのですが、この映画の劇場上映は配給会社を決めたりとかあるので、もう少し先になると思いますが、待っていてくださいね」とのこと。それはともかくとして、トークの中身について…33年前のみちのくプロレス旗揚げ創成期の話はなかなかレアだったようだ。もうこの辺のことをサスケ会長から詳しく聞き出せるマスコミは私以外もう残っていないと思う。実際、私もあの時代、深くみちのくに関わっていたから、今回は事実関係のすり合わせみたいなトークになった。トークショーが終わった後、私はかなりディープなみちのくファンの人たちに声を掛けられた。「今日の話は今のみちのくプロレスファンの人たち全員に聞かせてあげたい重要なものでしたよ。入場料10倍分の価値がありました。僕たちが知らないみちプロの原点、その裏の苦労と努力を、今日初めて知りました。本当にありがたいお話でした」とやたら感激していた。

みちのく初期の細部の秘密を明かす。


私にとって33年前って最近のような気がする。何せ、Gスピリッツでは昭和プロレス考古学者のように40年前はやや最近、50年前は得意の守備範囲、古ければ60年前のことまでを毎回検証しているのだから、33年は意外と最近(?)の部類なのだ。恐らく今のみちのくプロレス(現ミチプロ)のファンは私が『ふく面ワールドリーグ戦』の実行委員長をやっていても「あれ、誰?」だと思っているはず。だけれども、みちのくプロレスを楽しむならば彼らが言うように今回のトークを聞いてほしい内容だった。例えばの話、現在のファンたちが観るミチプロは時間軸を大河ドラマ『べらぼう』の安政年間(1772年~)とする…ならば、みちプロの旗揚げは慶長8年(1603年)の江戸幕府の開府にあたる。今回、サスケ会長と私が語り合ったのは、関ヶ原から江戸幕府の成立、大坂の陣に至るような最も大事な時期の話。この例えをそのまま押し通すならば、“神君”と称えられた初代将軍・徳川家康こそがザ・グレート・サスケに当たる。そのサスケ会長(当時・専務)がどんな苦難のもとに、みちのくプロレスを始めたのかを、安政(現代)に生きる庶民(ファン)も知っておくべきだと思う。それはみちのくのファンに限らず、プロレスのファンならば誰でも共通に…。なぜならば新日本、全日本に次ぐ日本で現存する三番目に古いプロレス団体なのだから、その原点の部分を知っておいて損はないと思うのである。

憧れの本物の赤ベルトと初対面。「このベルトはこのポーズでしょ!」。

別の意味で今、ザ・グレート・サスケは神と称えられているようだが、みちのく幕府を開府した時点で、家康同様に彼は既に「神君」なのである。私があの頃に果たしたのは本多正信のように家康に狡猾な知恵を吹き込み続けた策士的な役どころだったのかもしれない…。ただ、そこに利害関係はなく、あるのは「どうすればプロレスが面白くなるか」という竹内村塾の教えであった。サスケ会長は旗揚げ時に「みちのくプロレス50年計画」を口にしていたが、あれから33年経過した。江戸幕府は264年続く。安政ならば江戸時代のまだ半ばである。時代が経てば経つほど、神君はさらに神格化されていくであろう。サスケ会長、いやサスケ権現様とは是非『続・みちのくの黎明期』を闘道館でまた語り合いたいものだ。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅