ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第701回】憧れのポーズ写真(1)

近年は書店が少なくなり、駅の売店から新聞が消えていき、紙媒体の衰退は目に見えている。いくらパソコンやスマホが発達して、そこから黙って情報が簡単に取れる時代になったとはいえ、やはり紙に刷られたもののほうが良い。新聞や本の方が文字も読みやすいし、レイアウトの妙がある。写真だって迫力や感動が伝わるのは本だ。そう思っている私は、時代遅れなのだろうか…。私がプロレス中継にではなく、プロレス雑誌に惹かれてこの世界に入りたいと思ったのは、そこに掲載されていた試合写真ではない。プロレスラー、特に外国人選手たちのファイティングポーズ写真に魅了されたからである。それが強そうで、怖そうで、そして格好いい。カメラのレンズに視線を向けずに構える者や、薄ら笑いを浮かべる者、椅子に座る者、大胆に手を広げる者、ベルトを強調する者…とても個性豊かな世界だと思った。ルー・テーズ、アントニオ・ロッカ、バディ・ロジャース、ジン・キニスキー、ディック・ザ・ブルーザー、ジェス・オルテガ、ウエルバー・スナイダー…といった歴史的に有名なポーズ写真は、イコールその選手のイメージに結び付く。目を瞑っても姿が見えてくる念写の世界だ。それら独特のパーソナリティーを表現するポーズ写真の数々が私をプロレスの、紙媒体の世界へいざなって行ったのである。

鳥人アントニオ・ロッカ。今にも飛びそうなポーズ。

レスラーたちは、そうしたポーズ写真を控室やスタジオで撮影してもらい、常にその営業用紙焼き写真に持ち歩いて自分をプロモーターたちに渡すのだ。それらはブッキングされる転戦先、遠征先に送られる。それがパンフレットやポスターにその写真が使われるのだ。つまりポーズ写真はレスラーにとって営業用の必要なアイテムなのだ。ガイジンにとって日本遠征の際は、特にポーズ写真は重要になる。シリーズごとに作るポスターに写真は必要となるし、開幕までにパンレットも作らなければならないからだ。日本プロレスの場合、映画のプロデューサー、監督から力道山に見初められて宣伝部長のとなった押山保明氏がパンフやポスターを作っていた。故に映画のポスターやパンフから学んだ美術センスの押山氏の作品は群を抜いていた。竹内さん曰く、押山氏はアメリカから多くのプロレス資料を取り寄せてパンフ作りをしたので、驚くような写真を持っていたという。日プロが崩壊した後、押山氏が自宅の庭でパンフやそれら貴重な資料類を焼こうとした時に竹内さんは急行して、それらを貰い受けて来たという。竹内さんは、それ以外にもプロレス評論家の重鎮・田鶴浜弘氏からも貴重な古写真を多数譲り受けている。

骸骨男スカル・マーフィー。陰影を付けて不気味さを強調。

ゴング編集部にはそうした紙焼きのポーズ写真が大きなラックにファイルされていた。アイウエオ順にしてア行の選手はここというような保存の仕方の他、有名選手は実名で一つずつファイルがあった。竹内さん自身がポーズ写真を特に大事にした。選手名鑑やシリーズ来日カタログにはポーズ写真を必要だったし、全日本のポスターやパンフも作っていたから、試合写真よりもポーズ写真を使う頻度が圧倒的に多かったのだ。選手個人や現地プロモーターから日本の団体に送られて来るポーズ写真のことを「宣材写真」と呼んでいた。シリーズが終盤になる頃、団体から各マスコミに次期シリーズの資料が郵送で送って来る。そこにはシリーズの日程と参加選手のプロフィール、そして宣材写真が入っていた。各社それを見て記事を書くのだが、竹内さんは団体からの宣材ではなく、極力オリジナルのポーズ写真を使った。また各団体の親しい相手から事前に次のシリーズの大物来日選手の情報をキャッチする。それで全米に知り合い記者を多く持つ吉澤幸一氏を使って現地での最新のポーズやファイト写真を取り寄せて来日前に誌面に掲載する…これがゴングの凄さの一つだった。

ボブ・エリス。トロフィーと投げ縄、テンガロンハット…恰好いい。

映画が好きの竹内さんは映画人だった押山氏からの影響は強かったと言っていた。竹内さん自身、少年期に漫画家になりたかったようで、独学で美術センスを磨いた。だから70年代の本誌、別冊の表紙、すべてグラビアはすべて竹さんがレイアウトしていた。デザイナーや漫画家のようにデスクに少し傾斜を付けた板を置いてコツコツとレイアウトしている姿は記者でも編集者でもなくデザイナーに近かった。そのデスクの大きな引き出しには「ミル・マスカラス」「アントニオ猪木」「ジャイアント馬場」といった必要頻度の高いファイルがあり、その中にいろんな時代のポーズ写真や名勝負のシーンの紙焼きとポジが入っていた。「映画で一番ワクワクするのは予告編だよ。プロレスも次のシリーズに誰が来るのか、ドキドキさせる、そこが大事なんだ」。竹内さんは来日直前情報を重視した。そして常に先読みをしていて、誌面になった時にマニアがどう喜ぶだろうかまで計算に入れていた。

モンゴリアン・ストンパー。後楽園ホール4階控室通路の扉の前が撮影場所になることが多かった。

前にも書いたが、シリーズ開幕戦で、試合前に来日外国人たちのポーズ写真を全社で撮るのが恒例だった。ゴングでは開幕戦のグラビアに必ずそのポーズ写真を使った。後楽園ホールでの開幕が多かったので、私もよくその現場を眺めていた。選手によってはコスチュームを着てきたり、チャンピオンベルトを持って来たりする。「これを持っていてくれ」…時折、私はコスチュームやベルトを預かる光栄に授かることもあった。これを観ていると、ポーズが上手い選手、ヘタな選手がいる。どんな名のあるガイジン選手でも日本ほど多くのカメラマンたちに囲まれて写真を撮られることはないであろう。まんざらではあるまい。私はポーズの取り方を観察する一方、身体の大きさや筋肉に付き方を見る。そして注意して見るのが態度。ひねくれた奴もいれば、すでにスイッチを入れて喚いて現れる者、愛想のいい奴、前の来日からイメチェンしてしまった者、睨んで殺気を出す者、とっても紳士な人、伏目がちで元気のなさそうな奴、本当に怖そうな奴、知り合いの記者を見つけて喜ぶ者…いろいろいるから面白い。「次は誰だろう」…私にとっては、ここは競馬のパドックのようなもの…一人一人の雰囲気やコンディションを見極める場でもあった。そしてその後に開幕戦のリングで彼らのファイトを観る。そこではさっきポーズ写真を撮った時の態度と実戦を対比する。こういう見方はファンには経験できない。私自身は控室では紳士だったヒールの選手がリング上で凶変するのが好きで、さっきまで生意気そうな態度だった奴がリングではヘタクソだったりするのも笑えた。特に初来日の選手は注視した。期待以上、期待外れ、いろいろなケースがあるけど、初戦から自分をしっかり出せる選手は一流だと思う。「どんなガイジンがシリーズに来日するのかが一番大事」だった80年代半ばまでのプロレス…そこでしか楽しめなかったマスコミだけの開幕戦の観戦方法だったのかもしれない。どこの団体も毎シリーズあった、あの頃の、開幕戦の光景、懐かしいなあ…。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅