先週土曜日の闘道館での『ドクトル・ルチャと行くルチャ・リブレ観戦ツアー報告会』はお陰様で盛況でした。参加いただいた方、お疲れさま。もしかしたら「巌流島…」よりも長く時間を要したかもしれないなあ。でも、その分、はしょることなくタップリ出すものは出し、喋るものは喋り尽くせました。特に遠方から来てくれた方には感謝。ルチャの勉強になったという方、メキシコに憧れている方、一度ルチャを体感したい方、行くならばドクトル行きたい方に響く内容であったとしたら幸いです。
2025年は8月末にメキシコ観光で試合三昧ツアー(8月21日~28日)を開催。その後、私も同行するツアーが9月に開催されるこことなりそう。そっちの日程はアニベルサリオ(92周年)の開催日次第となる。飽くまでだが私の予想…来年のアニベルサリオの本命は9月19日(金)で、可能性としては65%。9月12日(金)が対抗で25%くらい。9月26日(金)は10%。ちなみに基本は「9月第3週の金曜日」であったのだが、近年変則開催なので注意。競馬の予想風に過去のG1レース傾向を、いやアニベルサリオの開催日の傾向をチェックしてみよう。2013年の80周年大会が9月13日(金)、2014年は9月19日(金)、2015年は9月18日(金)、2016年は9月2日(金)、2017年は9月16日(土)、2018年は9月14日(金)、2019年は9月27日(金)、コロナ禍の2020年が9月25日(金)、2021年が9月24日(金)、2022年は9月16日(金)、90周年の昨年は9月16日(土)、そして今年が9月13日(金)でした。この変則な開催に毎年振り回されている。ここはメキシコ観光の伊藤さんと要相談だが、もし、アニベルサリオが9月19日開催ならば、18日出発で26日帰国という可能性が強い。もし12日開催ならば11日出発で19日帰国になるのでは…。飽くまでだけど、これを目安にして、みなさん今から休みを取る準備をして、10ヵ月間しっかりお金を貯めておいてほしい。はっきりわかるのが2ヵ月前…7月になってからか。人生観を一変する異次元の旅へご一緒しましょう。来年は来年でもっと面白い企画をいろいろ考えているので、よろしく!
さて、岩手県、陸中の旅の報告も今週が最後に…。釜石で泊まった翌日、私は久慈市まで北上した。久慈…ドラマ中で北三陸市は『あまちゃん』(2011年朝ドラ)の舞台になった町。この日は山城登りをお休みして、まるまる『あまちゃん』のロケ地を巡りに専念した。数年前に山陰の山城へ行った時に1日だけ『砂の器』ロケ地めぐりをしたのと同じ感じかな。そういえば2013年にリスマルクと一緒に上野の『あまちゃん』のロケ地(アメ横女学園=アメ横センタービル)に偶然行ったのがきっかけ…。私のトークショーに来てくれた“アカプルコの青い翼”リスマルクはもういない…。北三陸の舞台となるロケ地・久慈は海女の北限で、琥珀の産出量は世界屈指、“空気投げ”で有名な明治の柔道家・三船久蔵の生誕地でもある。三船十段は159センチ、55キロの小兵であったという。ルチャドールは小さいからと軽視する人がいるが、強い弱いに体格は関係ない、三船さんはそれを示したレジェンドである。
『あまちゃん』のロケ地は中心に南北、広範囲に散らばっていたが、田舎だから11年経った今もほぼ当時のまま残っているのが嬉しい。このドラマのロケハンは大したものだと感心したよ。私は袖ヶ浜で塩生ウニの瓶詰を買って帰り、うに丼を食いながら第1話からドラマを見直し、現場とドラマと現場をすり合わせた(アホだね…)。
さて久慈のプロレスはどうだったのか。1969年4月28日の国際プロレス『ワールド選抜シリーズ』の久慈市体育館が最初か。メインは豊登&サンダー杉山&ラッシャー木村vsスタン・スタージャック&ホセ・アローヨ&ドレル・ディクソンの6人タッグ。琥珀色した“ドミニカの弾丸”は北三陸のお客を沸せたであろうか。次の久慈大会も国際だった。72年7月2日、『ビッグ・サマー・シリーズ』第5戦。袖ヶ浦(本当は小袖)の海女の素潜り解禁日は毎年7月1日と決まっているから、その翌日がプロレス開催日だったというわけ。メインは木村vsレーン・ゴルトの金網デスマッチ。若き日の夏バッバや袖ヶ浦漁協の面々も金網を観て興奮しただろうか。
その次に久慈に来たのは新日本。あの伊勢丹事件の17日後、73年11月22日(ちなみにウニ漁は10月末までなので海女さんたちはオフ)。試合は『闘魂シリーズ第2弾』の第15戦の久慈市体育館。メインは坂口&木戸vsビル・ホワイト&レイ・グレーン、セミが猪木vsジャック・ルージョ、その下がシンvs新日入りしたばかりの永源だった。それから丸2年後、久慈に来たのは、またまた国際。75年11月13日、『ビッグ・ウィンター・シリーズ』第11戦。メインが木村&草津vsピエール・マーチン&マイク・マーテルのザ・コンバット(この時点でIWA世界タッグ王者)。第2試合はこの巡業中、毎試合定番の“ジョージアの春子”ビッキー・ウイリアムスvs“ハワイの海女さん”レイラニ・カイだった。「北へ行くのね、ここも北なのに…」の“潮騒のメモリー”の歌詞にあるように、国際のご一行は久慈の翌日、北海道へ渡り、次の試合地・名寄へ移動する(遠いなあ…)。
全日本は70年代に一度も久慈に来ていない。三陸は苦手地域だったようだ。先週書いたように74年9月に釜石で一度興行を打っただけ。でも、馬場はこの74年に釜石大会より前に久慈に大接近している。それが4月2日の大野町小学校グラウンド(現存)での国際・全日本提携記念『チャレンジ・シリーズ』第6戦だ。ストロング小林を新日本に抜かれて馬場が国際に手を貸した国際主催のシリーズだ。全日本からは馬場、高千穂、大熊、クツワダが開幕から11試合参加した。この大野町(現・九戸郡洋野町)は久慈市から内陸に25キロ入った車で30分の近場である。4月なのにこの日はあいにくの雪だった。平日だけど試合開始は14時。メインは馬場&草津vsザ・ブルート(マイティ・ブルータス)&ジム・ブランゼル(初来日)。悪天候のために逆取りを始めるが、草津がTシャツを着て出ようとすると、馬場の雷が落ちたという。「プロレスラーは肌を見せてナンボの世界。寒いからシャツを着るなんてお客に失礼だ」と他団体のマッチメーカーを𠮟りつけたという逸話が残る。マイティさんに言わせると「最終試合の頃には大雪で客はいなくなった」とか…。
70年代最後の久慈でのプロレスは77年2月6日。『新春黄金シリーズ』第25戦。この日もかなり寒かったであろう。第1試合で佐山聡が小林邦昭をスリーパーで破っている。メインは何とアントニオ猪木vsスタン・ハンセン。不沈艦は新日本にはこれが初来日。1月7日の越谷での開幕戦で初シングルは猪木の反則勝ち。14日の九電体育館のセミでの再戦も反則裁定。この試合で猪木は第3頸椎捻挫を負傷し、31日まで半月間欠場する。これ、ブルーノの首折り事件を逆利用した怪我では?と私は怪しんでいる。大塚直樹元営業部長も「もしかしたら…」と言っておられた。それはともかくとして猪木は2月1日の岐阜から戦線へ復帰。2月2日の大阪府立での3度目の対決…この日もセミだったがシングル初勝利する。久慈でのシングルは4度目の対決で、猪木が逆さ押さえ込みで勝利している。大都市のテレビでしか見られない好カード…久慈のファンはいいものを観ている。当時11歳、グレていた「天野春子」は、久慈市体育館でこの試合を観ただろうか…。