ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第684回】地方にこそ醍醐味

もうこれを書き始めた時点で、ツアーのお客さんたちはとっくに日本に帰られてしまった。ツアーの中身があまりに濃いのでツアー3日目あたりに「これは闘道館でツアー報告会をしたらどうだろう」と思い立って、みんなに提案する。是非との了解が出て、それで11月2日(土)の昼の闘道館を予約しました。詳細は闘道館HPにて。

さて、前回の続き。4日目からかな。プエブラへ行く前にメキシコシティの南の外れのかなりヤバい地区…野良犬がやたらうろうろしていた未舗装の道が多い小さな町。そこにフエルサ・ゲレーラのマスク工房がある。そこの前でフエルサ夫婦と合流。狭い小さな家に職人を住まわせている。職人はルチャドールのウルコという現役選手だった。暫く、そこでマスク作りの現場を見学した。フエルサ夫婦と別れて、我々はトラスカラへ向かう。プエブラの東にあるトラスカラ州の州都だ。私も初めて行った街。トラスカラ州のカルプラルパンはテンプラリオの地元で、そこに彼が経営のレストランがあるので行ったが、残念ながらクローズしていた。さらにそこからメキシコ第4の都市プエブラへ移動。車窓から夕景のポポカテペトル山(5426m)とイスタシワトル山(5286m)が見えた。何度もプエブラに行っているけど夜が多かったり、雲がかかっているので見るのは初めて。到着は夜。とりあえずアレナ・プエブラの外観を見学してからホテルのチェックイン。11時からのソカロ(中央広場)で独立記念日の前夜祭へ行く(この日、メキシコ全ての町のソカロでやっている)。街(世界遺産)は綺麗だし、市民もメキシコシティと違って穏やか、とてもいい街。天使の街と言われるのは、なるほどである。

ソカロで独立記念日前夜祭。

5日目…この日午前中は独立記念日のパレードを観る(州都ならどこでもやっているはず)。日本で言うならこの日が元旦で、昨晩は大晦日みたいなもの。昼前にドレル・ディクソンの自宅へ行く。これはGスピリッツ用のインタビューなので詳細はその時まで…。ディクソンさんは御年92歳。とても元気でたくさんの歌とピアノの演奏もしてくれた。ジムも完備していて、最上階の部屋では多くの写真と資料を見せてもらい語らう。写真を見ると記憶がいろいろ蘇るようだ。「それ欲しければ持って行っていいですよ」と資料類も頂いて帰る。

1984年の結婚式以来にディクソンと再会。

そこからアレナ近くの故アレハンドロ・ロドリゲスのお店へ。今は長男のゴンサロがルチャ開催日のみ出店している。ゴンサロもマスク職人で、腕はなかなかのもの。9歳になる息子も、すでにお手伝いを始めており、親子三代のマスカレーロは確定だ。その後、アレナ・プエブラでCMLL大会を観戦。ここは1953年開場だからアレナ・メヒコより3年早く完成している。アトランティス親子が試合をしていたけど、挨拶できなかったのが残念。ルードとテクニコの応援合戦も良かったし、試合はどれも楽しめた。私的にはここであった思い出をいろいろ回顧していた。そういうことは報告会で話しましょう。

アレナ・プエブラでのCMLL定期戦を観戦。

6日目…午前中はプエブラ旧市街地の世界遺産の地区を見学。カテドラル(大聖堂)やタイルの家、ラ・コンチータ寺院を見学。お昼にはゴンサロとエステリータ(アレハンドロの長女)と合流して、ダウンタウンの市場の中でセミータという郷土料理をご馳走になり、その後、チョルーラというエジプトのギザより大きいピラミッドへ登る。さらにゴンサロには地元の菓子店でカモーテなど大量のお菓子のお土産をツアー客たちにプレゼントしてくれた。そこから今度はイダルゴ州パチューカへ大移動。その日はAAA系の独立プロ主催の大会がアレナ・ラ・アフィシオンであるからだ。ここは日本出発2日前に大会があるのを知って強引に捻じ込んだオプション企画だった。日本ならば、前橋の群馬県スポーツセンターから上田市体育館へ移動した感じかな。

アレナ・アフィシオン・デ・パチューカに到着。

ここも80年代に何度来たことか。ソリとも、浜田さんとも、怪魚仮面とも、アグアヨとも…。結婚式ツアーの時には妻ともここへ来た。最後は1998年のドクトルツアー時のプロモ・アステカの興行だった。懐かしい会場だ。そういう話も報告会でしよう。ここは1952年開場だからプエブラより1年古い。まだ日本でプロレスが始まっていない時代の格闘技専用アレナが未だ健在なのが嬉しいじゃないか。メインがマスカラ・アニョ・ドスミルvsエル・オリエンタルのカベジェラ戦。彼らはフリー。オリエンタルは私が突然現れたのでびっくりしていた。シングルのカベジェラ戦って近年ありそうで、なかなかないみたい。それにしてもやっぱり流血戦はいいねえ。マスカラ戦もそうだが、特にカベジェラ戦には流血が絶対必要だ!と私は思う。それってこの国のプロレスの伝統だよ。ペロ・アグアヨが、エル・サタニコが、サングレ・チカナが、多くのレジェンドたちがどれだけ血を流してこの国のルチャの歴史と名勝負を作って来たことか…。私も久々にリングサイドで試合写真を撮った。出来映えは決して悪くないと、こっそり自画自賛(サント興行のトレーニングにしては上々)。エプロンの血が手に付いた…。結果はドスミルが勝ってオリエンタルがペローン(坊主)なった。ベテラン同士の味のあるカベジェラ戦だったと思う。前回ツアーはアレナ・メヒコだけ2試合だったが、今回はアレナ・メヒコ、コリセオ、プエブラ、パチューカと50年代以前の歴史あるアレナで4試合観られているのはかなり贅沢だったかもね…。

ドスミルが勝ってオリエンタルが坊主に…。

そこからメキシコシティに戻ったのは深夜1時。平時の試合開始は8時から遅いと9時…昔はパチューカ、トルーカ、クエルナバカ、プエプラ、ケレタロ…周辺都市での興行からメキシコシティに帰って来ると、いつもこんな時間であった。そういう感覚も私にはとても懐かしい。やはり地方都市へ行くのは楽しい。これぞ、ルチャのサーキットの醍醐味である。深夜の「すき屋」に駆け込むが、牛丼が切れて、絶対食べちゃ駄目と言われていたラーメンを食うしかなかった。ううううっ…(まずすぎる)。

7日目はツアー客さんたちの最終日。午前中は米資本「ウォルマート」でばら撒き用のお土産のお菓子など、最後のお買い物。昼過ぎにローリンの工房へ。ここで来日時に奥様が是非にと予告していた手料理をご馳走になる。マリスコス(海鮮料理)は初めてだったのでみなさん感激。超美味し。出発前にローリンに発注していた、お客さんご要望のマスクが完成していた。そのお客さんが頼んだのは、よりによりってドクトル・ルチャのマスクだった。色や素材はすべてローリン任せ。その完成品の出来栄えに本人はもちろん、私自身もびっくり(やや嫉妬…)。それを報告会で被って入場しましょうか。

ローリンの工房で、海鮮料理をご馳走になる。

ローリン宅を出て、次はドス・カラス宅へ…おいおい、今回のツアーは一体いくつの自宅を訪問したんだあ?ドスは笑顔で我々を歓待してくれた。マスクを買ったり、記念撮影したり…もう空港へ行く時間が迫っていた。最後の最後まで時間を使い切った今回のツアー。よくぞ、みなさんバテずに完走したと思う。何のトラブルも、怪我も病気もなく、無事全日程終了。スケジュールの半分以上は現地で調整した飛び込み企画。それをすべてやり遂げたのは、私もメキシコ観光の伊藤さんも前年でもっと出来るという手応えを掴んだからかもしれない。すべての詳細は報告会にて…。ということで、空港でみなさんを見送り、私はここから1週間、独自の行動を開始することになる。

最後は当日昼まで予定になかったドス・カラス宅へ。

ツアー客の去った19日木曜日は全休。ホテルでずっとゴロゴロしていたけど、脚を吊って痛くて動けなかったのが真相(今回、3度吊った…)。20日、金曜日は突然、ローリン親子がホテルへやって来た。先日の闘道館イベント(ローリン2)のDVDを取りに来たのだ。私はクリスチャン・シメット弁護士事務所で昔の雑誌を借りに行く約束をしていたので、ローリン親子に付き合ってもらう。恐ろしく厳重な警備の国家弁護士協会ビルの一室にまったく不似合いなルチャ雑誌の入った箱がポツリ…。それをしばらく親子が見て楽しむ。そしてローリン・ジュニアが重い箱を担いでかなり遠い駐車場まで運んでくれた。途中、スポーツ用品店をめぐって私のためにサッカーナショナルチームのジャケットを買ってくれ、ホテルまで箱を運んでくれた(まさに至れり尽くせりだ。大感謝)。夜はアレナ・メヒコへ。でも会場には入らずに露店めぐり。出店数はアニベルサリオの半分くらい。フエルサ店は出ていた。現地が超長い加治屋典子さんの手伝う店も、いつもの場所に…。ここの露店は区に決められたショバ代を払って、いつも決められた場所に出店しているそうな。

21日の土曜日は朝から部屋で雑誌の複写作業。腰が痛くなっては、ベッドで休みの繰り返し…。夜はアレナ・コリセオへ。単独行は危険だけど…目的はセミのレジェンド8人タッグ(アトランティス&ブルー・パンテル&フェリーリ&パンテリータ・デル・リングvsエル・サタニコ&パンテーラ&オクタゴン&ネグロ・ナバーロ)。彼らに会うため、控室の前で入り待ち。事前にサタニコとナバーロには連絡しておいた。みんなと懐かしく再会できたのは何よりだった。パンテーラには「ふく面ワールドへ行くウチの次男坊をよろしく」と頼まれた。サタニコには「来年、ツアーでグアダラハラに行くことになったら、よろしく頼みます」と伝えた。通路で彼らを待っていたら「トマスさん」と声を掛けてくれたのがサルバドル・ルテロ・ロメリ現CMLL代表だった。91周年のお祝いを述べた後、暫く、前日のアニベルサリオの内容について、先週のコリセオのこと、お父さんのカモウさんにお会いしてボクシング特訓(?)をしたことなどを談笑することが出来た。とても有意義な時間でした。

グアダラハラ以来、10年ぶりにサタニコと再会。
2月の日本以来、サルバドル・ルテロ・ロメリ代表と。

22日の日曜日、いよいよイホ・デル・サントの引退ツアーの第1弾メキシコシティ大会。「9時半にホテルに迎えに行く」と言っていたフエルサだけど、やはり45分遅れ。「やっぱ俺はメキシコ人だよ」と笑うフエルサ。2017年8月の『トリプレマニア25』以来のアレナ・シウダ・メヒコ。とにかく巨大だ。午前11時前、サントの到着とほぼ一緒だった。サントから「よく来てくれたね」と歓迎のハグを受ける。試合開始が5時なので長い一日が始まった。試合は13人のマスクマンと3人の素顔の選手が巨大ビジョンの電子ルーレットとバトルロイヤルでパートナーが決定。そこから負け残りのトーナメントが開始され、最後に残ったチームがシングルで対決し、敗者が罰を受けるというルール。82年パラシオでのサント引退試合と同じルール(あの時は全員がマスクマン。チームでマスクを取られた)。詳細は報告会や12月Gスピリッツで書くことにする。私的には今回の2週間のメキシコで一番楽しめた試合で、実によく出来た内容だった。たぶん、私にしかわからないようなことが中にいっぱい散りばめられていたからかもしれない。試合後にサント・ジュニア(イホ・デル・サントの孫)が現れた。彼に会ったのは2006年の日本。とっても久しぶりだった。サントは試合後のインタビューで来春に後楽園ホールで引退試合をすると発表。それから4月6日にこのシウダ・アレナ・メヒコでもう一回やるって発表、それが最後だって…おいおい、メキシコシティは今日が最後じゃなかったの!?ってファンも私も拍子抜け。私にまたメヒコに来いということか!

電子ルーレットとバトルの末、サントのパートナーはフエルサに!!
最後はライマンが坊主に。サントとフエルサは仲間割れ。そこに三代目の直系聖者…サント・ジュニアが乱入。

これでほぼ予定していたスケジュールを消化。23日の月曜日は一つ取材がキャンセルになったので、典子さんと恒例のラーメンデート。新しい美味しいと評判だというラーメン屋『JAMETARO』(蛇目太郎?)へ…。醤油ラーメン、餃子、チャーシュー丼を食べた。ここはチャーシューが美味い。その後、オープンカフェでおしゃべりタイム。昔のルチャ事情に始まり彼女の故郷・鹿児島のヒーロー、マッハ隼人の生涯の話をお聞かせました。実は83年1月16日の彼女の地元の川内市体育館でタイガーマスクを取材していた私と同じ屋根の下にいたことも判明した…。私は逆に最新のルチャ事情&ゴシップネタを大量に入手…お互いとてもためになった感じのコーヒータイムでした。残りまだ2日あるけど、24日はまたアレナ・メヒコ周辺をウロウロして、25日は荷造りして、夜発…帰国は27日早朝の予定です。駆け足でしたけど、ざっとこんな感じの旅でした。その3日後(30日)がGスピリッツの発売日。帰ったらまた時差ボケ地獄が始まるかと思うと、辛いなあ。そうそう、頭をメヒコから巌流島に切り替えないとね。果たして日本国への社会復帰できるか…。では、Gスピの誌面上と、巌流島か報告会か、どっちもOKの闘道館でお会いしましょう。アスタ・ルエゴ!

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅